第112話 精神疲労です
「アナトーリア様、お待ちしておりました」
会議室を出ると、軍装に身を包んだ体格のいい男性が待ち構えていた。
彼は魔導部隊のメンバーで、これから師団室エリアの上階へ案内してもらう予定になっている。
お父様やお兄様とも別れ、同じく外で待機していたバルナバを連れてついて行くことにした。
師団室エリアの上階には、王族用の牢がある。
私は、そこに収監されている人物の様子を見てほしいとキアッフレードから依頼を受けていた。……そう、クララだ。
ボナート父子とレオフリックは、地下の一般牢に入っていると聞いている。
近いうちに処刑されることが決まっているから、わざわざ居心地のいい場所を提供する必要はないってことね。
王族牢は自由はないし狭いけれど、少なくとも室温や寝具のせいで体調を崩すというようなことはない。
地下牢はレイモンドが一部破壊してしまって空きが少ないだとか、王族用の牢のほうが魔導部による結界が強いだとか、そういった理由からクララは王族用の牢に入れられているのだそう。
彼女がレイのように精霊魔法を行使して逃亡だなんて考え難いけど、そんなこと普通の人にはわかりようがないものね。
「こちらです」
案内された先で、鉄製の扉の上部に取り付けられた小さな窓から中を覗くと、クララが寝台に腰かけてぼんやり壁を見ているのが見えた。
「基本的には、あのようにただ一点を見ているだけですが、時に悲鳴をあげたり泣き叫んだりするのです。気が触れたようなのですが、ちょっと我々には原因も不明で」
「中へ入っても?」
「ええと、それは……」
小さな窓から暗い牢内を見るには、少し限度がある。クララの顔色すらイマイチわからないのだ。
ただ、私が中へ入ることは想定していなかったのか、案内してくれた男性が口ごもってしまう。
キアッフレードと直接話をして、出直したほうがいいかもしれない。ただあまり時間を融通できないので、どうしたものかと思案していると、背後から声をかけられた。
「彼女は入っても問題ない。精霊の守りがあるのでしょう?」
「キアッフレード様。ええ、恐らく守り石があれば問題ないでしょう」
首元のクリスタルに触れながら答える。
その横で、案内してくれた男性が、右手を胸の前に床と水平になるよう構える敬礼をとると、キアッフレードは優雅にひとつ頷いて錠を開けるよう促した。
「突然お呼びだてして申し訳ない。ちょっと様子がおかしいものだから」
「まだ数日しか経ってませんのに、少しやつれたように見えますわ」
「あまり食べてないし、ちゃんと寝られてもいないようです」
キィと小さな金属の擦過音がしたかと思うと、ゆっくりと扉が開く。
バルナバが先に入って、室内を見回してから私を中へと導き入れた。
『あー巫女さまだー』
『巫女さまー』
『どうしたのー』
『空気がきれいになったとおもったー』
『巫女さまがきたんだねー』
ピスキー族。赤い羽根を持った本土に住まう妖精たちが何体か、ふわふわと飛んでいた。
「あなたたち、なぜここに?」
『このひとぼくらのこと見えてるみたい』
『でも居心地悪いんだー』
『まだ上手に祈れないみたい』
『それにね』
『それにね』
『巫女さまをいじめたって聞いたから』
『ぼくらはこの子が嫌いなの』
『きらーい』
「……るさい……うるさーいっ!!」
「クララ?」
ピスキーたちがかわるがわる話してくれるのを、クララが叫んで止めた。
その目は確かにピスキーを見ているようだったけれど、恐怖の色が支配していて冷静とは思えない。
「んなの、なんなのこいつら」
「この子たちはピスキー。気のいい妖精族よ」
「気がいい? 冗談やめて、こいつら暇さえあれば私を殺そうとするのに!」
クララが後退りながら叫ぶ。
妖精たちはクスクス笑いながらクララの周りを飛び回って、クララは虫を払うように大きく両手を振り回し始めた。
『ころすだってー』
『ちょっとからかってるだけなのに』
『自分は巫女さまをころそうとしたくせにー』
『ねー』
『ねー』
ああ、そういえばピスキーは元来イタズラ好きな妖精なのだ。
島での生活を始めたとき、エストがピスキーについて説明してくれたことがある。確か……
――益をもたらす者には益を、そうでない者にはイタズラを返すのだ
そう言っていたはず。
イタズラの内容まではちゃんと聞いていないけれど……
「あなたたち、どんなイタズラしてるの?」
『ないしょー』
『道に迷わせるのー』
『分身たくさん作るんだよー』
『こわいものとかきらいなものをたくさん見せてあげるの』
なるほど。
幻覚というやつかしら。苦手なものに囲まれて道に迷ったら最悪ね。
「なんなのよ……なんなの? これはアンタがやらせてんの!?」
「えっ」
「アンタと話してから、変なものばっかり見えて頭がおかしくなりそう!」
膝を抱えて俯いた彼女は、かなり重症に見えた。
実際、今まで見えていなかったものが見えるようになって、それに対する説明もなく、さらに幻覚を見せられたり耳元で囁かれたりしたら、うん、辛いかもしれない。
今のクララは巫女として正しい祈りを持っているようには見えないけれど、一度見えてしまったものはもう見えなくはならないのかもしれない。
エストの加護を失えば見えなくなる私とは違う、天然の巫女が、私には羨ましい。
「彼女は、妖精のイタズラによって幻覚を見させられてる状態です。今のままなら、早晩ほんとうに気を狂わせてしまいますわ」
「できることならそれは避けたい。もし精霊が見えるようになっているなら、ヤナタの精霊の声も聞いてみたいのです」
私がキアッフレードに状況を説明すると、彼は眉を下げて溜息を吐いた。
案内してくれた男性や牢番には聞こえないよう小声で話してはいるけれど、ここで長々とする話ではないわよね。
「では、とりあえず妖精にはイタズラをやめるよう伝えます。……もし時間があるなら、どこかでお話を」
「今夜、屋敷にみすぼらしい男が伺いますよ」
キアッフレードら魔導部隊の面々と別れて、内務室エリアに戻る。
来客は王城の出入りが正面からしか認められていないから、いちいちこの内務室エリアまで戻って来ないとならないのが正直面倒なのだけど。
「ねねさま!」
長い廊下をひたすら直進していると、少し幼さの残る声が聞こえて来た。
この声はもちろん、この言葉そのものにも懐かしさを感じて振り返る。
「エミリアーノ殿下」
「ねねさま、お久しゅうございます」
小走りで寄って来たのは、フィルディナンド殿下の弟君のエミリアーノ殿下だ。
フィルとそっくりのプラチナブロンドと、空のように青い瞳をわずかに揺らしてやって来た。
「ええ、エミリアーノ殿下におかれましては――」
「それより、兄上がごめんなさい。ご無事でお戻りになったと聞いて心から安堵しました」
恐らく最初の婚約破棄と島流しのことを言っているのだと思うけれど、もはやフィルのどの件について謝っていらっしゃるのかしら、と首を傾げてしまいそうね。
「はい。こうやってピンピンしておりますよ。エミリアーノ殿下こそ、立太子おめでとうございます」
「……兄上とのご婚約がなくなって、わたしはねねさまをなんとお呼びしたら良いかわからなくなりました」
殿下は不安げな様子を隠しもせず、私との距離が離れてしまったことを残念がってくれている。
小さなころから、本当の姉弟のようにと言うと大袈裟かもしれないけれど、随分と仲良くしてきた。でももう以前のように弟として可愛がることはできないのだ。
「殿下」
「エミと」
「なんだか昔を思い出しますね、エミ。そうだ。来週末になると私は王様で、エミは王太子です。そしたら、ふたりとももう立派な大人ですわ」
「?」
殿下が不思議そうな顔で首を傾げた。
最後にお会いしたのはもう1年近く前のことだけど、あの頃と比べてずっと大人っぽくなったような感じがする。
「お互いに大人なら、呼び方なんて好きにしたらいいのです」
「はい……!」
一瞬目を丸くしてから、お日様ような笑顔を残して、エミリアーノ殿下は去って行った。
まだまだあどけなさが残る笑顔に、少し胸が痛む。殿下はこれから政争のど真ん中に立たされることになるのだけど、そう仕向けたのは私たちだから。
今まで名前しか出て来なかったキャラがついに……!
しかしバルナバ君は気が付いたら護衛仕事も付き人仕事も板についてしまいましたねぇ。




