第108話 新しい朝です
私を起こしたのは、室内にこれでもかと降り注ぐ日差しだった。
太陽が思った以上に高いところにあって、時間を確認してみればもう11時近い。
本当に寝坊してしまった。ジャンの預言通り、当初の予定は数時間ずつ後ろ倒しだ。
「あらら……」
「おはようございます、お嬢様」
上体を起こした私の耳に飛び込んできたのは、ドリスのいつもと変わらない澄ました声。
さすがに寝すぎだと判断したのか、カーテンを大きく開けて起こしてくれたらしい。もっと早く起こしてくれてもよかったのに。
「いつまで抱えているんですか? 気持ちはお察ししますが、お立場もお考え下さいね」
眉を吊り上げるドリスの言葉の意味がわからなくて、へぁ? と変な声が出る。
ベッドに座っているだけでなぜ叱られるのか。起きてこないことを言われるなら納得なのだけど、「抱えている」とは?
ドリスの視線を追って目線を下げる。腕の中には、普段なら私のベッドにあるはずのない、濃紺の布がある。
どこかで見たことのある生地だ。
「あら、これ」
高地に住む羊の毛でできた厚手でぎゅっと詰まった生地は風を通さず、保温・保湿効果に優れ、それでいてとても軽くて滑らか。
独特の光沢があって……
「なんで、レイのローブが」
「お嬢様が手を離さないからでございます。レイモンド様をここに寝かせるわけにいきませんでしょう」
「っ!」
昨夜、楽しい食事風景に席を立つのを躊躇っているうちに寝てしまったんだ、と思う。
でも。
「誰がここまで」
「ご自身でローブを握っていらっしゃるんですから、おわかりでしょうに。ほんっとうに、どなたが運ぶべきかで微妙な空気になるんですから、二度と居眠りなんておやめくださいね」
すごい怒ってる……。
ドリスの言い分はもっともだ。現状、口約束とはいえ私の婚約者はジャンで、ちょっとした遺言書じみたものにもそのように書いてある。
だから昨夜みたいに私が眠ってしまったなら、私に触れられるのは基本的にお父様やお兄様を除けばジャンだけ、ということになるのだけども。
レイが運んだと言うなら、彼がそうすることのできる立場にあるという意識を少なからずみんなも持っているわけで、つまり、神殿で私が彼に向けた言葉をみんな聞いていたということであって、えっと。
「ああああああああ」
「急に思い出して狼狽えないでください。さあ顔を洗いますよ」
引きずられるようにしてバスルームへ連れて行かれる。
「だって、ドリス……」
「だってもなにもありません。公表していない話ですから良かったものの、もう、本来なら大変なゴシップですよ。ジャンバティスタ様としっかり話し合ってくださいませ! 名誉を傷つけたんですから」
「はい……」
ジャンは私を守るために神殿を飛び出そうとしたと聞いている。私の意志を守るために、必死に気持ちを押し殺して神殿に籠ってくれたとも。
対して私はレイに……。
はい、反省いたします。
屋敷のホールでレイと待ち合わせて、真っ直ぐ神殿へ向かう。
レイが羽織っている浅葱色のローブは、お母様が張り切って仕立てさせた何枚ものローブのうちの1枚で、私のお気に入りだ。
春と呼ぶには早すぎるこの季節に、暗くなりがちな島の景色を明るくしてくれるような気がする。
道中で私たちの間に会話は全くなかった。昨夜のことは全く覚えてないテイで接していきたいこともあって、なかなか適当な話題が見つからないのだ。
とはいえ、今日ほど自分のポーカーフェイスを誇らしく思ったことはないわね。受けていてよかった王妃教育。
神殿の敷地へと入って、微かに漂っていたハーブの香りが濃厚になったころ、レイがぽつりと口を開いた。
「昨日さ」
「ん?」
「リア、可愛かったね」
「ハイ?」
深く被ったフードの下で、楽し気に笑う口元が見えた。どうやらからかっているらしい。
ちょっと寝ぼけていただけじゃないか。そう思いつつも、私は何も覚えていないのだからと深呼吸して、にこりと笑う。
「ちょっとよくわからないわ」
レイモンドの含み笑いも気づかないふりをして、重い扉に手をかける。
「そういうことにしておこうか」
扉は、背後から伸びて来たたくましい腕によって軽々と開いてしまった。
「よく来たな」
朝の分の祈りを終えて2階のダイニングルームへ入ると、白い美少年がいつものように琥珀色の液体の入ったグラスを傾けていた。
「ぜんぶ話してもらわないとね」
「話せることなどほとんどないがな」
意味ありげに笑うレイに、エストもまた片方の口の端をあげて答えた。
神に向かい合うように椅子に腰かけると、ピスキーたちが甲斐甲斐しく目の前に軽食の準備をしてくれる。
今日はまだ何も食べていないから、とてもありがたいわ。
「単刀直入に聞くけど、どこからどこまでがシナリオだった?」
「は?」
レイモンドの言葉に思わず二度見する。
単刀直入というレベルの話じゃないように思うのだけど。
シナリオ?
私の困惑をよそに、エストはにこにこと笑いながら、グラスを傾けて中の液体をぐるぐると回した。
「シナリオなど知らん。ただ、あるべき結果、達成すべき結果だけわかる。これでも神の端くれじゃからな」
「僕が聞きたいのは、感情に介入したか否かだけだよ」
「それはない。神と言えど万能ではないし、だから面白いんじゃろうが」
「なら、一安心だ」
私だけ置いてけぼりにして、話がどんどんと進んでいってしまう。
ほんの二言三言を交わしただけでレイは満足気で、放っておいたらこのまま話も終わりだとか言い出してしまいそうだ。
「ちょ、ちょっと待って。あなたたち、一体なんの話をしているの?」
「エストが策士だって話さ」
「人聞きが悪かろうが。……まあ良い。簡単に言うとだな、リアが巫女たる力を持って生まれることも、お前たちが出会うことも決まっておった」
全く想定外すぎて、エストの言葉が右から左へとすり抜けていく。
私の生まれも出会いも決まってた? 私とレイが出会うことは偶然じゃなかったの?
よくわからなくて、とりあえずお茶を飲んでみる。
「いつ決まったの?」
「お前たちが伝説と呼ぶ本を当時の巫覡が書いたころか」
「あれは700年は経ってるって……」
「そんなもんだったか。リアも知っておろう? アレは神の言葉を文字に起こしたものじゃ」
そうだった。
この島に来て、精霊たちと【精霊伝書】の話をしたときに同じことを考えたじゃない。
精霊伝書は、誰かが神から伝え聞いた言葉を文字に起こしたもの。つまり神とは、目の前のエスト少年ではないか、と。
「あれは、民を導くリアと、正統な巫覡であるレイが精霊どもと力を合わせて試練に打ち勝つ、という話じゃ。試練が儂自身だとは思わなんだが」
わははと笑う神は嘘を吐いているようには見えないけれど、もともとからしてこの神は腹黒いのだから信用ならない。
「出来レースだったの?」
「いいや、儂の怒りは本物よ。民の祈りも、精霊を含めたお前たちの絆、強い想いもないと届きやせん。達成すべき結果というのは努力目標じゃろう。結果が決まっておるわけではない。
ましてや、魂を連れ帰るなんてのはよほどの想いがないとな。伝説と現実が違ったとして、誰も文句は言わんじゃろ?」
あるべき結果、達成すべき結果というのは恐らく噴火を止めることと、民の祈りを取り戻すこと。
その過程で、私が生まれることとレイと私が出会うことだけは決まってた?
それなら。
「死ぬことも決まっていた?」
ゲーム上のイベント扱いと思われる、アナトーリアの死と蘇生。
実際にこの世界で起こっていることとゲームの進行とは違うけれど、それでもいくつかのポイントではゲームのシナリオ通りの事象が起きてる。
それが決まっていること、なのだとしたら。
ドリスさんが朝からお怒りでしたね!
彼女は怒ると怖いのです。ぴえん。




