第105話 ゲームではなくリアルです
屋敷のホールに関係者が集まっている。
ボナート公爵は、たまに目を覚ましてはまるでゾンビみたいに歪に動いたり呻いたりして気を失うことを繰り返している。
ビーは完全に拘束され、猿ぐつわまで噛まされた状態で転がっているし、それはレオフリックも同じだった。
クララとフィルは拘束こそされていないものの、カルの配下の騎士に囲まれているので妙な動きはできないようだ。
ジャンは何を考えているのかわからない沈鬱な表情で全体を眺めていたし、ドリスはせっせと私の体を温めようと暖炉に薪をくべたり毛布でくるんだりしている。
レオフリック配下の騎士たちには、島中の瓦礫の撤去作業をお願いしている。
彼らは上官の命令を聞いただけだから罪はないけれど、ボランティアでもしてもらったほうが彼らの心も軽くなるだろうから。
バルナバは私の傍らでクララを睨みつけている。彼女が指一本でも動かしたら、隠し持ったナイフを投げそうなくらいの殺気を纏って。
「アナトーリア嬢。お疲れとは思うのだが、島で起きたことを説明してもらえますか? 国に報告する義務がある」
長い沈黙を経て、最初に口を開いたのはキアッフレードだった。
沈黙がホールに降りる前、キアッフレードは王国内で起きたことを掻い摘んで教えてくれていた。
レイモンドは未知の魔導兵器を使用して王を騙している……というのが、精霊の存在を否定する人たちの共通見解だった。
だからレイモンドさえ隔離すれば島を制圧することなど造作ないと考え、レイが王の元へ向かったのを好機と行動に出たらしい。
レイを拘束し、騎士団を動かすために邪魔になるバウド父子も拘束。
彼らは島を制圧するための時間稼ぎができればそれで良かったため、かなり無理やりではあったけれどキアッフレードがいなければ目論見は成功していただろう。
キアッフレードの機転でお父様とお兄様が助け出され、カルとキアッフレードが正規の手順で騎士団を招集。
レイはバルナバの助けを借りながら脱出した際に、バルナバをかばって矢をわき腹に受けたのだと聞いた。
そこへカルの部隊が通りかかり、レイとバルナバを拾って港へ。彼らは小さな船で先に島へやって来たのだそう。
命に関わる大怪我だと思わなかった。バルナバはそう言ったけれど、恐らくレイは自分で止血していたのだと思う。傷口を焼いたかもしれないし、単純に血液の流れを調節したかもしれない。
でもどちらにせよ、他の魔法と同時にそれをコントロールすることはできなかった。だから、島に来て多くの血を失った。
「ええ。精霊たちの話をしなければ説明できませんから、俄かに信じられないかもしれませんが、先ずはお聞きください」
悪意の船団が来ることはわかっていたこと。
その悪意の大きさと、レイモンドが拘束されたことに、神が怒り狂ったこと。
精霊たちは噴火を抑制するために尽力したこと。
その間に神をなだめようと試みたけど難しかったこと。
民への被害をなくすために一人でボナート公爵と対峙したこと。
守り石のこと、レイの戦い、ビーの暴挙と消えた炎の精霊。
神や精霊の話をするとクララが何か声をあげるのだけど、その度に騎士に小突かれていた。
「炎の精霊はなぜ消えたのでしょう?」
キアッフレードが口を挟む。
自国で精霊信仰を復活させようと考えるキアッフレードにとって、精霊の話ならなんだって聞いておきたいだろう。
「たぶん、だけど……。噴火を抑制するのに最も負担がかかるのは炎の精霊です。私に刃を向け、ネックレスが守ってくれたとはいえ、刺し貫こうとしたことは神を刺激した。
あのとき、イフライネの負担はピークだったはずなんです。なのに、……私を守るために無理をしたから」
沈黙。
精霊がいないという状況を、彼らは本当の意味で理解することはできないだろう。
私もそれを説明することはできない。ただ、イフライネがいなくなった。それだけ。
「……イフライネがいなくなって、噴火を抑えていた力が弱まってしまった。そこからはキアッフレード卿もご存じの通りです」
「わかりました、ありがとうございます」
私とレイが神殿に向かって駆け出したのを、クララが追った。それを追いかけてフィル、カル、キアッフレードも神殿へやって来た。
……キアッフレードの場合は巫覡の行動に興味を持ったというほうが正しいかもしれないけれど。そこから彼らは一部始終を見ていたのだ。
「嘘ばっかり! 精霊が見えるだなんて、大嘘もいいところだわ!」
クララが叫ぶ。
「でも、君も見ただろう。嵐がおさまるのを。火山がその動きを止めたのを。希望の朝がきたみたいに厚い雲が消えていくのを」
フィルがクララをなだめようとする。
「神殿での、あのときのアニーの神々しさを見てないわけじゃないだろう」
カルが呟く。
「でも、でも私には精霊なんて見えないのに!!」
クララの叫びは、全員の注目を集めた。
わかっていたけれど、白状すると思わなかったから。
「クララ、貴女はこの世界を、なんだと思っているの?」
「は?」
「この世界はゲームじゃない。人は生きてるし、血を流せば死ぬ。誰かを陥れればその誰かは悲しむ」
「……」
「逆に言うわね。仮にゲームだったとして、この世界のことを貴女はよく知っているんでしょう? じゃあどうして、精霊の存在を信じないの? 貴女の知るクララは人を傷つけるような人だった?」
誰もが、私の言葉を理解できない様子で私とクララを交互に見つめた。
クララだけは私の言葉に何か思うところがあったらしく、大きな瞳をさらに大きくして見つめ返す。
半開きの口から、言葉にならない声が漏れ出ている。
「シル、ウティ、ゲノ、少しだけ来てくれる?」
宙へ声を掛けると、ふわりと周囲の空気が動いて3体の精霊が姿を現した。
ウティーネは困ったように微笑んで私を抱き締め、ゲノーマスは狼の姿で私の足元に控える。シルファムは半べそで私の腰に縋りついていた。
「なっ……」
「ね、見えたでしょう? 貴女が彼らを信じて、本当のクララを思い出していたら……こんなことには」
それ以上の言葉を発することができなくて、私は目を伏せて手を振った。
もう、出て行ってほしい。
今はこれ以上クララを視界に入れたくない。
意図を察したらしいキアッフレードが、ひとつ目礼を落として「行こう」と声を掛けた。
もうすぐ夜のとばりが降りる。本土へ戻るなら急がなくてはいけないだろう。
カロージェロが配下の騎士たちにいくつか指示を出しながら、バタバタと出て行った。
「精霊を見えるようにして、よかったの?」
小さな一言はジャンから。
ずっと何も言わずにいたジャンは、きっといろいろ察していると思う。
私はシルファムの髪を撫でながら頷いた。
「彼女は自分の目で見ないと信じないでしょう? もっと早く、彼女とちゃんと話をしておくべきだった。……いいえ、無駄ね。こうならないと、彼女はきっと信じなかったものね」
一人になりたくて、その場にいる全員に断って席を外すことにした。
もう夜になるけれど、北の岬にでも行こうか。彼に初めて会った断崖はどうだろう。二人きりで話をした洞窟は?
どこに出かけようとしても、こんな時間ではレイもイフもきっといい顔をしないだろうな、と思って可笑しくなって、庭に出た。
そうだ、湖に行こう。目と鼻の先だもの、それくらいなら叱らないでしょう?
悪役の皆さんは本土に帰りました。
島に残った人たちはどんよりですね。いやぁ困ったな(←どんよりの原因は作者にあり)




