第103話 喪失です
枝が折れ、葉がばさばさと落ちて、その木の傾きが大きくなるごとに聞こえてくる音も大きくなって、私の胸を酷く引っ掻いた。
「レイ……ッ!」
あのままでは、騎士たちが大木の下敷きになってしまう。
「わかってる」
言うが早いか、レイは駆け出して騎士たちの元へ行き、杖を掲げて何やら詠唱し始めた。
老木は何かに支えられているかのようにピタリと腰を折ることをやめ、その足元からひとり、ふたりと順に騎士が起き上がる。
騎士たちを絡めとっている草木を解くのがひとりずつなのは、杉を抑えているからだろうか。それとも繊細な詠唱が必要なのか……。
以前、陛下へ謁見を賜ったときにレイから詠唱の重要性について教えてもらったことがあるけれど、細かく繊細な事象ほど詠唱が長くなるのだとか。
どちらにせよもうしばらく時間がかかりそうだ。
公爵が物を言えない状態になっているため、騎士たちはレオフリックの周りに集まりはじめた。彼を地面に縛り付ける草木をどうにかしようとしているらしい。
こちらはこちらで、人間の手には解け無いのか全く進捗が見られない。
あと、彼らを動かし得るのはフィルだけだけど……あれほどレイに圧倒的な力を見せつけられて、まだ何かしようと思うほどさすがに彼もバカではないし、それに動機がない。
彼はただ、クララについて来ただけのお人形なのだ。
ボナート公爵に奪われたネックレスを探して辺りを見回したとき、視線の先に影が落ちた。
「やぁアナトーリア」
「ビー……」
「お探しのものはここだ。これを持たない君には、剣も銃も効くんだろ?」
ビアッジョの掲げた左手からこぼれたクリスタルが、風に吹かれて大きく揺れている。
右手には、銃。
レイはまだこちらの異変に気づいてないみたい。叫んでも、私のところに到着するのはさすがにレイより銃の方が早い。
気づいてくれるまで、時間を稼がないと。
「ねぇ、ビー。私を連れ帰るのに一度死なせたい理由はなに?」
「君は今の生でフィルやジャンや、それにあの男とか、たくさんの男をくわえこんだだろう。生まれ変わって綺麗にならないとボクにふさわしくない」
「くわえこ……」
「もちろん、ボクは君が綺麗な体じゃなくたって受け入れてあげられるよ。だからそれはそんなに重要なことじゃないんだ、心配しなくていい。
でも、君が安心してボクのところに来られるようにするには、全てのしがらみから開放してあげなくちゃ。バウドの人間であることも、これから女王になろうって重責からもね」
ああ、ボナート公爵がビーの行動を止めなかった理由がそれなのね。
お父様へのあの憎しみぶりを見る限り、ビーが私に好意を持つだけでも嫌がりそうなのに、近くに置いておかせるなんて思えなかった。
生まれ変わりを信じていないから、私を連れ帰ることができるなんて公爵自身も思っていなかったのね。
バウド家のしがらみを絶つという名目で、信じてもいない生まれ変わり話に乗ったんだわ。
私を死なせた後の、ビーの心の傷も考えないで。
「私は生まれ変わらない。私を殺せばそのまま死ぬだけよ、ビー」
「それはクララがどうにかする」
「……」
「愛してるんだ、アニー。ずっと、ずっと昔から」
一瞬の出来事だった。でも私には、すごく長く長く長く感じられた。
映画のスローモーションみたいに。
私はその観客にでもなったようにどこか他人事みたいな目で、それを見てた。
ネックレスをジャケットのポケットに仕舞い、流れるように撃鉄を起こす動作へ。
同時に、背後からはレイの叫び声と大木の折れる音。今までのミシミシと様子を伺うようなそれではなくて、ゴウゴウと悲鳴を上げるみたいな音だった。
だけどそれよりも発砲音のほうがずっと響いたんだ。
私の前に立つビアッジョは、いつもの冷たい瞳じゃなくて、子どもの頃と同じ優しい眼差しで、だけど少し悲しそうな笑顔で、引き金を引いた。
花火みたいだと思った。
だって、目の前で、弾がはじけたから。
庇うように私を抱き締めた朱い髪の向こう側で、銃弾は弾けて消えた。
『わりい、言い付け、守れなかった』
朱い髪の彼は、苦笑して、線香花火みたいに消えた。
「イフ……?」
消えた。
炎の精霊がいなくなったのが、わかる。巫女だから。
「なんで!? どこに行ったの!? 冗談やめてよ!」
視界の隅で、ビーがレイモンドにぼこぼこに殴られてるのが見えて、レイは物理もつよいんだね、なんて乾いた頭のどこかで笑った。
「ね、レイ、イフライネがいないの!!」
「落ち着いて、リア」
力強く抱き締めてくれるけど、その手も震えてる。
レイもイフがいないって気づいてるんだとわかって、信じたくなくて、子供がイヤイヤをするみたいに彼の胸を叩くんだけど、レイは何も言ってくれなくて。
だから。
「魔女……! やっぱり魔女じゃない! 銃で撃たれてなんともない人間なんていないもの!」
だから、クララにめちゃくちゃ腹が立った。
「なんともなくないのがどうしてわからないのよ! あなた巫女なんでしょう! どうして! あなたのせいでイフライネが消えてしまった!」
「なっ……」
「どうして、どうして見えないのよ……っ!」
精霊の存在を感じていることは、巫女にとって当たり前だった。
……と、今、気づかされた。
知らないうちに、私は精霊の存在を空気のように纏っていたんだ。いなくなるとこんなにも喪失感があるなんて知らなかった。
レイに支えられながら泣き崩れて、もうドレスが涙と鼻水と雨でぐちゃぐちゃになったころ、新たに王国騎士の一団が到着した。
「アナトーリア嬢、無事なようでなによりです」
「キアッフレード卿……」
「我々の出番はほとんど無さそうですね」
転がっているボナート親子に視線を投げて苦笑する。
カロージェロも来ているのがわかった。
彼は普段フィルの護衛をしているけれど、階級は大佐でそれなりの指揮権を持ってる。今回はずいぶんたくさんの騎士を連れて来たようだ。
泣き疲れて、それに、ここにあるべき存在が無いという状況が得も言われぬ不安感を煽って、私は助けに来てくれたみんなとまともに会話することもできなかった。
「カル、お願い、あの魔女をやっつけて! あの人、本当に魔女なの。本当なの!」
フィルの元へ向かったカロージェロに、クララが必死に訴える。
キアッフレードのために、ヤナタのために、私は彼女の立場も命も守らなければならないと思っていたけど、なんだかそれが馬鹿らしく思えてきた。
彼女がいないほうが、世界は平和になるのではないかしら、などと随分と暗い想いが心をよぎる。
「アニーは魔女ではない」
「なっ……! カル、あなたまで……」
クララが何か言いかけたけれど、それは大きな大地の揺れによって遮られる。
一段と大きな地震だった。見れば山の頂上から大量の煙が噴出している。
「まずいな、イフがいなくなったから均衡が崩れたんだ」
レイが焦りを滲ませた声で呟く。
そうだ、イフがいない今、エストの怒りを他の3人が必死に押し留めてくれているんだ。
もう時間は全く残されてない。
「行くよ、リア。エストのところに。泣くのはそのあとだ」
嘘だと言ってよイフライネェ
「私にはわかる!だって巫女だもん!」という、いんちゅいてぃぶな論理で読者をけむに巻いていくスタイル




