第10話 国の歴史です
人語を解する動物たちの説明によると、このエスピリディオン島は遥か昔から神聖な場所として崇められてきたらしい。
祈りが集まるこの土地は、精霊や妖精たちにとってとても居心地が良い。
また、人が祈るほど、島と同じ名を持つこの土地の神、エスピリディオン神の力も強くなり、より強力な精霊が集まるようになる。
ところが、ここ100年ほどで人々は神や精霊への祈りを忘れ、作り話と言う者まで現れる始末。
『はじまりはー、内乱だったかしらー』
『祈りヲ持たヌ種族が攻めテ来まシタ』
歴史で勉強した覚えがある。
100年ほど前、この国は北にブール、南にカルディアというふたつの国に分かれていた。
信心深いカルディアと、古くから産業の発達したブールの対立は根深く、長い争いの末、ブールが天下をとった。
その後もカルディア派とブール派による幾度かの内乱を経て、50年と少し前にカルディア派のキャロモンテ家が台頭して今に至るのだ。
その初代国王の弟が、私の先祖にあたる。
しかし100年の間に、人々は……カルディア派であっても、信仰を忘れてしまった。
ブールのもたらした魔科学は、やはり便利だったし、火を起こす原理を科学で解明されてしまえば、イフライネに祈る必要がないのだから。
人が祈りを忘れることで、どうなったか。
神が、精霊が、力を弱め、自然の驚異や、悪しき者から人々を守ることが困難になる。
『俺たちは、もうほとんど余力がねーんだわ』
そう呟いた朱い猫を見て、白い少年は、悲し気に目を伏せ、やはり輝くような白い睫毛がふわりと震えた。
『だからー、信仰心のない人間に島を荒らされるとー、困っちゃうのよねー』
島を暴風域で守っていたのは、そういうことだったらしい。
この土地を汚されるほど、より一層彼らの力が奪われていくのだという。
「えっと、そしたら私はどうして……」
「正しき祈りを持つ者は拒まぬ」
白くて綺麗な少年は、顔を上げてこちらを見ると、はにかむように笑った。
その表情には、年相応の幼さからくる可愛らしさと、何か荘厳さみたいなものが綯い交ぜになった、得も言われぬ魅力があって、心が洗われる気がした。
正しき祈りというのはよくわからないけど、受け入れてもらえて良かった。
でなければ今ごろ海の藻屑だ。
そういえばあの嵐を止めたのがウティーネとシルファムならば……?
「あれ、じゃあもしかして、昨日の火をつけてくれたのって」
『俺よ、俺。なんだ、やっと気づいたのか、ドンくせぇな』
イフライネは、やはり私の膝の上で私に撫でられながら文句を言う。
ドンくさいだなんて。まぁ、反論できるほど聡明なところも俊敏なところもお見せできてないけど。
言い返せない腹いせに、イフライネの顎の下を指先でわしわしと掻いてやった。
『おぁっ! おい! あっ……!』
なんだか情けない声が聞こえてきたが、そのまま続行の刑に処す。
『火のサン、偉そうに言いマスけど、そもそもりあの魔法石使えなくシタのアナタでショ』
「あ、え?」
『ばっ……言うなよゲノ! お前だってリンゴっ……ばっやめろ』
何事か言いかけたイフライネに、ゲノーマスのパンチが飛んでくる。
魔法石を使えなくしたとは?
それでは私を困らせたかったのか助けたかったのか判断がつかない。
『あらー。ごめんなさいねーりあちゃん。この子たち、あなたに祈られたかっただけなのー』
『ウティーネ!』
『水サン!』
猫と狼の抗議など聞こえない素振りで、ウサギは話を続ける。
水の中に入って行ったのは、物理的な黙らせを回避するためかもしれない。
『アタシとシルちゃんが貴方の祈りを受け取ったでしょー? あと感謝も! それが羨ましかったのねー』
ゲノーマスは私の進行方向にリンゴを育て、感謝してもらおうとした。イフライネは、道具を制限してでも私にお願いと言わせたかった。らしい。
うん、イフライネのほうが若干性格に難がありそうだ。
『てか怪我するとは思わなかったよなー。大体、崖っぷちで盛大に飛び跳ねる奴がいるかよ。……あっあっ』
ウティーネに黒歴史を暴露された腹いせか、なぜかイフライネが憎まれ口を叩く。
やはり彼には休まず顎下わしわしの刑を続けてやるべきだ。
「そ、そう言えば。あなたはどうやって怪我を治してくれたの?」
「どうもこうも、治癒力を高める程度、造作もないことじゃ」
少し欠けた粘土細工を修理した、くらいの軽いノリで、白い少年が事もなげに言ってのける。
その目は、いじられ続ける猫に釘付けになっているので、イフライネは今後、少年からもわしわししてもらえるようになるかもしれない。
「造作もないって……」
治癒魔法なんて、聞いたことない。
そもそも魔法自体が妄想だと言われて育った私にとって、この島の何もかもがあり得ないことの連続ではあるのだけど。
「儂はエスピリディオンじゃ。覚えておけ。エストでよいぞ」
エスピリディオン君ね、なるほどはいはい、いい名前……?
「えすぴ……っ! えっ、えーっ!?」
エスピリディオンは島の名前だ。
その名を冠する神がいるとさっきウティーネが。
目の前の少年が神様であるという事実に、私はもうどうにでもなれという気分になった。
自分の信じる「普通」の世界など、とっくに崩壊している。
実際、動物は喋るし、妖精は飛んでいるし、怪我は治って、少年は可愛い。
あるがままを受け入れよう。
「リアよ、お主に会ってもらいたい人間がおるのじゃ。が、その前にもう少しだけ、話を聞いてもらいたい」
「はい」
真剣な眼差しでエスト少年が語った話は、俄かに信じ難いものだった。
あるがままを受け入れることの難しさよ……。
「これは、ヒトがみな精霊に頼り、精霊がヒトと共にあった時代の話よ」
白く小さな神が語る。
瞳をとじた彼の白い肌には、長く白い睫毛が黒い影を落としていた。
猫チャンはこのあとエスト君にめっちゃわしわしされました




