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里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。  作者: 音喜多子平
第二章 岩馬
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聖なる蜜


「ついたね」

「すごい。いい景色ですね」


 と、僕は心に思ったことをそっくりそのまま口に出した。


 恋慕の穴の外には、入ってきたのと同じように男女が何組かいた。巳坂の時と違って飲み食いができる店が居並んでいた訳でないので、屋台を少しマシにしたような茶屋が一軒だけ構えていた。


 僕がいい景色と言ったのは、勿論それの事ではない。


 辿り着いた場所はかなり高い山の天辺のような場所だった。木々や岩肌の合間を縫って麓へとつながる山道があるのだが、枝葉の合間から見える下の町並みが何とも言い難い。一言で言い表すのなら江戸っぽい。まるでTVで見る時代劇のような風景だ。


「岩馬はこういう江戸情緒が感じられるからいいよね。とは言ってもボクは江戸時代に生まれてないけどさ」


 その言葉にさっきの大妖怪の話がちらついた。けれどもその疑問は紫さんがいつの間にか買っていて手渡された三色団子と共に飲み込むことにしたのだった。


 その団子を丁度食べ終わった頃、恋慕の穴から円さんと朱さんが出てきた。


「よ、待たせたな」

「全然。さあ、さっさと用事を済ませちまおうぜー」

「その前に挨拶はしておくか?」

「そだね。一応は坂鐘家のお使いとして岩馬に入ったからね」


 再び円さんが先頭に立つと、恋慕の穴をぐるりと回り込み裏手の方へと進んで行った。そこには石段がありまだ上へと続いているらしい。恋慕の穴のある岩壁と景色の良さとに目を奪われ気が付かなかったのだが、向かう先に大きな樹が一本そびえ立っていた。


 それを見た時、僕は此の世にいた頃に何かの写真で見た事があった屋久島の縄文杉の事を思い出した。


 桁外れな程に太い幹には、これまた並外れた太さの注連縄が巻かれている。それがただでさえ荘厳で神聖な雰囲気を纏う大樹の存在感を強調していた。石段を上がり、大樹の下に付く頃には息が上がってしまっていた。標高が高いのもあるかもしれない。


 恋慕の穴と違って、ここには僕ら以外の者の姿はなかった。


 先頭にいた円さんと紫さんが大樹に向かって柏手を打ってから礼をしたので、後ろにいた僕らもそれに倣った。もしかしなくても霊験あらたかな代物であることは察している。


 目をつむり祈りの真似事をしていると、突然に何かの気配が前に現れたのに気が付く。思わず目を開くと、そこには圧倒されるくらい清純な気を放つ女がいた。


 もしも天女だ、と説明されたなら間違いなく信じてしまっていたと思う。


大樹の葉と同じ映え映えとした緑の着物と透き通らんばかりの羽衣に身を包んだその体は、普通の人間の倍近い大きさがある。その上、かなりスタイルがいいので胸や腰のラインの迫力が相まってすごい。


「久しいですね。円」


 女の声はまるで上質なガラスの風鈴が鳴ったかのような声であった。


「聖様、ご無沙汰しております。ついでのご挨拶で申し訳ありませんが」

「よいのですよ。あなたが何のことはない用で岩馬を尋ねてくれることが朗報です」

「それは・・・どうも」


 円さんは苦笑いしながら頬を掻いた。

「其方たちの多幸を祈ります」


 天女と見紛うばかりの女は衣と同じ色の淡い光に溶けると、後ろの大樹の中に吸い込まれるように消えて行ってしまった。


 すると前の石製の供犠台のようなものの上に、酒が注がれた盃が一つだけ残っていた。僕の顔くらいの大きさの盃だったが、煤けていてかなりの時代を感じた。紫さんは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに破顔して期待感を露わにしている。それに気付いたのか否か、円さんは盃をずいっと紫さんに差し出した。


「え、本当にいいのかい?」

「構いやしないだろ」


 盃と円さんの顔とを交互に見た紫さんはやがて恭しく頭を一度下げてから口をつけ、酒を飲んだ。


ゴクリという喉の音がここまで聞こえてきた。


 やがて紫さんは盃から口を離す。その顔はこれ以上あるのかというくらい幸せそうに紅潮していた。


 すると円さんは次に朱さんにも同じように盃を差し出してきたのである。


「環はともかく、飲めないって訳じゃないんだろ。舐めるだけでもいいから飲んでみな」

「う、うむ」


 朱さんは戸惑いながらも言われる通り、そっと口を付けて酒を飲んだ。するとやはり頬を少しだけ染めていた。紫さんとは違い、蕩けた顔を必死に取り繕おうとしていたが、逆に言えばそれほどまでに美味な酒であるということなのだろう。


 少しだけ、お酒が飲めるのが羨ましくなってしまった。


 最後に円がぐいっと残りを呷る。そこにはいつもと同じように酒に酔いしれる顔が残るばかりだった。


読んでいただきありがとうございます。


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