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里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。  作者: 音喜多子平
第二章 岩馬
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瞬間の味わい

「はい。お待たせ。最初はこれね」


 エリさんはそう言ってオレ達の前に麦茶色のリキュールが入ったグラスを置いてきた。氷が浮かび、炭酸の泡がシュワシュワと小気味よい音を奏でている。玄は想像していたモノと少し違っていたようで少し面食らっているようだ。


「こちらは?」


「干した樹人族の木の皮を漬け込んだリキュールで『ドラン』っていうの。少しだけ渋味があるけど、シロップを多くしてあるから飲みやすいわよ」


「…頂戴します」


 まるで茶の湯でもやっているかのように、玄は極めて上品にグラスを傾けた。ゴクリ、という喉の鳴る音が耳に届く。次にふうっという色っぽい息遣いが聞こえたかと思うと、あとにはキョトンとした顔の玄が残るばかりだった。


「どう?」


「ええ、美味しいです。確かに渋みはありますが、すんなり入って行きますね。木の香、とでも言えばいいのでしょうか? 何だか森の中に佇んでいるみたいですわ」


「あら、詩的な事を言ってくれると嬉しいわ。ドランにはこれを合わせてみて」


 そう言って乾きものとして数粒のナッツを差し出してきた。オレと玄は言われるがままにそれを口に放り込み、再度グラスを傾ける。途端にリキュールの香りが強くなり、さっきも増して鼻の奥をくすぐられた。


 オレは森林浴というよりも、総ヒノキ造りの風呂に入っているような爽快感を覚えていた。


 玄に至っては、思わず蕩けた様な笑顔をさらけ出している。


「うまいな、コレ。」


「でしょ?」


 エリさんは自信あり気な表情を浮かべ、うふふと笑った。


「じゃあ、次はこれね」


 キャリーに用意した多種多様な瓶の中から一本を選び、リキュールを仕上げてくれた。マドラーがグラスに当たる音がオレの心の浮かれた様子を表しているかのようだ。


 そうして、次はカシスリキュールのような紫がかった黒色の酒を差し出してきた。


「これは?」


「今度のは『ヤーグル』ってお酒。薬草を食べさせた虫だけをエサにした蛙を天日に干して、薬草と一緒に煎じて混ぜてみたの」


「か、蛙ですか…?」


「まあ抵抗あるのは分かるけどね、一口飲めば絶対に気に入るから飲んでみて」


 流石に蛙とネタバラシされた酒は怖気づいたのか、玄の手が的確に戸惑いを表現していた。


 オレはゲテモノ食いという訳じゃないが、天獄屋にいると蛙なんかよりも

もっとグロテスクなものを食う機会がごまんとある。むしろ蛙は足の炭焼きなんかを酒のツマミで偶に齧る。全くと言っていいほど抵抗はなかった。


 どうしようと悩んでいる玄を横目にオレは一口、口の中に流し込む。


 …。


 あ、コレ好きな奴だ。


 アルコールの芳醇さの中に旨味がある。蛙の出汁でも効いてるのか? 例えるなら肉の出汁が入った柳陰とでも言えばいいのだろうか。ともかく胃の腑にどっしりと染みわたる感じが堪らなく心地よかった。


 恐る恐る舐めるようにして飲んでいた玄も、すぐに美味さに圧倒されたのか何度も口を付けていた。


 そんなオレ達の様子をエリさんはドヤ顔で見ていた。


「うふふ。やっぱり気に入ってくれたねえ…という訳で、ヤーグルに合う肴はコレ! 『カース・マルツゥ』だよ」


「これは…先程のお店で出された酪というモノに似てますね」


 …。


 玄は見たままの感想を素直に述べた。


 それは決して間違ってはいない。カース・マルツゥはチーズの一種なのだから、オレと朱が食べた酪とはいわば親戚のような食べ物だ。だがあれは正しく極楽の食べ物であるとするならば、こっちは人によっては地獄の食い物ともいえる。


 カース・マルツゥは日本語にするなら「蛆入りチーズ」とでも訳されるだろう。文字通り製造の過程で蝿に卵を産ませ、その幼虫の力を借りて発酵させる代物だ。作り方が作り方なだけに、一歩間違うと死ぬこともあるとか何とか言われている。事実、ヨーロッパでは一時は危険食物として法規制ができたほどだったと記憶している。もっとも、魔女が経営するスナックで出てくるには、ある意味うってつけのものかもしれない。


 通は蛆ごと頂くらしいが、流石にこれは切り分ける段階で蟲の類は除去してくれているようだ。が、匂いはきつい。


 しかしながら巳坂の酒屋が勧める飲み方にはハズレがない。


 オレと玄は一旦顔を見合わせると、互いに覚悟めいた光を目に宿した。指で触るとまるで熱を通してあるみたいにトロッとした触感が伝わってきた。行儀が悪いかもしれないが、オレは指についたそれを舐めて次いでヤーグルを流し込んだ。


 その瞬間に頭をぶん殴られた様な衝撃を受けた様な錯覚を覚えた。


 びっくりするくらいチーズも酒も相乗効果でびっくりするくらいに臭くなった。が、その匂いが収まると口中にも鼻孔にも癖になる味わいがへばりついてくる。オレは何とか堪えたが、玄は限界だったようで思いきり咽てしまっていた。


「す、ごい匂いですね…けど」


「けど?」


「美味しい……です」


 美味しいのはとてもよくわかったが、それを素直に認めたくはない。そんな言い方だった。玄の気持ちはとてもよく理解できた。これは酒も肴も味も何もかも品がない。刺激も強い上に濃厚なモノだから、年に一回味わえれば十分だと思う。そんな組み合わせだった。


 反対に言えばオレはこの味を知ってしまったから、年に一回はこの店にきて、これを注文するんだろうなぁ。まあ、言われなくても最低月一のペースで来てる店ではあるのだが。


「さ、次で最後にしておきましょうか。店のメニューを片っ端から飲んでもらったら、もう来てくれなくなるものね。玄ちゃんにお酒の魅力を紹介するって言うなら、次の楽しみも残しておかないと」


「あら? その事をお話しましたか?」


「円さんと玄ちゃんの様子を見てそうじゃないかと思っただけよ。そのくらい察せなきゃスナックのママはできないでしょ。さ、最後の一杯にどうぞ」


 したり顔でリキュールを仕上げる様子は確かにスナックのママに見えなくもない。多少酒が回ってエリさんの童顔がぼやけてきたのも一因かもしれない。


 ただ最後の最後に中々にどぎついリキュールを出してきた。これは何度か飲んだ事があるから、知らぬは玄ばかりとなった。


「このリキュールの名前は『スライムフット』って言って、世にも珍しいキノコで作るお酒なの」


 茸で作るリキュールってことは、つまりはポルチーニ・リキュールみたいなものか? 一度飲んだ事があるが個性的な香りで病みつきになった覚えがある。オレは思わずゴクリ、と喉を鳴らした。


 オン・ザ・ロックで出されたそのスライムフットとやらは、手に持っただけで芳醇な香りが鼻を掠めてきた。微かに甘い匂いを嗅いでいると、気分はまるで蜜蜂のようだった。


ロックで出てきていたので、少量を口に含み、噛むように飲んでみた。くどくないのに後を引く、不思議な甘さが口中に広がってくる。


「で、スライムフットには、コレ」


 そう言ってエリさんが差し出してきたのは、何の変哲もないただの椎茸の串焼きだった。が、それにまぶしてある塩が普通ではなかった。


 この塩は「蛞蝓塩(なめくじお)」と呼ばれている、天獄屋の中にある『斜酉(ななとり)』という階層の名産品だ。カツユという特別なナメクジに塩をかけてエキスを染み込ませ、それを再度結晶化させた塩で、天獄屋の中じゃ高級品に分類される。と、同時にゲテモノとしても広く認知されている。


 オレは美味いモノに貴賤なし、という信念で生きているから構いはしないが玄はどうだろうか?


 一応、オレとエリさんはどういうものなのか、という説明はしてみたが、


「折角私達に美味しいモノを、とエリ様が用意してくださったのですから、頂きます」


 と言って蛞蝓塩のかかった椎茸を食んだ。


 スライムフットが甘い分、普通よりも余剰に塩味を利かせてある椎茸はこの世の物とは思えぬ程に美味かった。酒と肴が交互にすすみ、微かな酔いにいい心地にさせられてしまった。


 やがて、三種類のリキュールをしこたま堪能させてもらったオレ達はエリさんの店を後にして、帰路へ着いた。オレはまだまだ余裕はあったものの、酒に慣れていない玄は頬を薄く染め、若干蕩けた顔になっていた。


「円様。ありがとうございました」


 そういう玄の面持ちは、少々色っぽい。つい、そんなことを思ってしまい自分で勝手に気まずくなったオレは、棒手売から水を買ってごまかした。


 玄は酔っぱらっている。


 このまま家に帰れば…。


 と、オレの中に一つ邪な感情が生まれてしまった。


 だが、結果としてそれは叶わなかった。


 家についた玄は何よりも真っ先に、オレに清肝茶を入れて差し出してきた。それも飛び切り可愛らしい笑顔で。


 やがて棗たちに送られて帰ってきた環を迎え入れると、数年ぶりに家で酒を飲まずに床に就いたのだった。


読んで頂きありがとうございます。


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