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里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。  作者: 音喜多子平
第二章 岩馬
52/81

陶酔

 ◇


 環が棗に連れられて行ってしまったので、突然に朱とのサシ飲みになってしまった。


 いや、厳密に言えば玄もいるからサシではないか。


 ともかく飲みに行く数が変わると、飲み屋も変えてみたくなるのが人情だ。特に玄は多少なら酒が飲めるらしいから、どうせなら玄も朱も楽しめる店に連れていってやりたい。



「お前らは行ってみたい店とかないのか?」



 頭一つ分背の低い朱に声をかけた。急に選択肢を与えられた朱は「む?」という素っ頓狂な声を出して考え込んでしまった。どうやら玄にも意見を聞いているらしい。


 やがて申し訳なさそうな顔と声とで尋ね返してきた。



「興味のある店はあるが、本当に良いのだろうか?」


「なんだ? そんなに行きにくい店なのか?」



 巳坂に女が入りずらい様な飲み屋があっただろうか。そりゃ芸者遊びをやったり、色茶屋だってあることはあるが表の通りにアリはしない。例えそんな店を知っていたとしても、到底行ってみたいという奴には思えない。


 事実、オレの予想は全く的外れだった訳だが。



「いやそうではない。我らは居候の身…しかも今日からは、いわば師弟の関係とも言える。それなのに我儘を言うのは…」


「義理堅いやっちゃな」


「当然であろう」


「なら、師匠のご機嫌取りとでも思っておけ。オレに取ってみれば記念すべき一番弟子なんだから」



 それでも朱はうーむと頭を抱えてしまった。


 まあこういうお堅いところが魅力の奴ではあるんだけども。


 するとようやく観念したのか、ぼそぼそと何かを言い始めた。



「ともすれば一つ試してみたい事がある」


「何を?」


「姉上は『わいん』という酒が好みだと言っている。ならば妹の私の舌もうまいと感じるかも知れん。他にもしかすると西洋の酒であれば飲めるかも、とな」


「ほほう」



 中々に面白い事を言ってくれた。ここの妖怪たちは基本的には酒と言えば日本酒しか知らない奴が多い。それはそれで結構だが洋酒好きのオレとしては少し寂しいと思う事もある。


 そこにきてこの姉妹がもしかして洋酒にはまってくれでもしたら見っけもんだ。


 すぐさま頭の中の地図を全開放して店を考える。尤も洋酒を出してくれる店など高が知れているからすぐに候補は思い付いた。けど、玄のワインともかく、朱には色々な種類の酒を飲ましてみたい。ただ、そんなに沢山の酒を出してくれる店は巳坂にはなかった。


 今度はオレが頭を抱える番だった。


 しかし朱とは違ってすぐに答えが出てきた。


 何も一件の店に拘る必要は皆無だ。何件も梯子させてしまえばいい。むしろそうした方が好き嫌いが手っ取り早く分かるというものだ。



「よし。そうと決まればあちこちと回って色々試してみよう」


「かたじけない」


「気にしなくていい。飲み仲間が増えるのは隣が赤子を生むよりも喜べってのが巳坂の酒飲みだ」


「…言っておくがそこまで羽目外す気はないぞ」


 一睨みを利かせる朱の眼光を背中で受けながら、いそいそと歩き始めた。



「という訳で今日は巳坂の洋酒四天王を案内しよう」


「ほう?」



 如何にも興味深そうな声で朱は返事をした。多分だけれど、こいつは四天王とか剣豪みたいな厳つい言葉が好きなんだと思う。厳つい性格してるし。


 オレ達は階段を二つ上がり三階へたどり着いた。大きな通りにほんの少しだけ出ると、すぐに脇の路地に入る。通りに出してある腰掛に座ってる呑兵衛どもは殆どが知り合いだ。厳ついとは言え、見た目はうら若くついでに見目も麗しい女なモノだから冷やかしの声が飛んでくる。


 ウチに来た頃は一々反応して更にからかわれもしていたが、店で給仕を手伝ってもらっている中で適当な往なし方も心得た様だった。


ま、それでも調子に乗って尻でも触ろうものなら、そこの縁台と一緒になってひしゃげている奴みたいになっちまうが。



「自業自得だ、馬鹿者め」



 と、そんな捨て台詞を吐いた朱に賞賛の声が飛んできていた。


 それから間もなく目的の店の前にまでやってきた。


 木造の店構えが基本の巳坂の飲み屋街の中で、レンガ造りに西洋風のドアが異彩を放っている。現に朱も、



「中々にハイカラな店構えだな」



 と零していた。



「…これは何と読むのだ?」



 ドアの上にかけられた看板を指差して聞いてきた。英語だから読めないのも当然だろう。



『The Hand’s of Fate』



 これでピンとくる奴は相当な映画オタクだし、それを踏まえてマスターの意図が分かる奴はかなりの藤子不二雄Ⓐ好きだ。


 どのみち朱には両方当てはまらないだろうから、詳細は割愛して中へ入った。


 店の中にドアに括りつけてあったベルの音が響く。するとすぐに外見から想像できた通りの狭い店内の光景が圧迫感と共に歓迎してきた。中はL字に折れたカウンター席しかない。その席も5人が座れば満員御礼となってしまう。


 そして客席よりも更に狭いカウンターの向こう側には立派な口ひげを生やした三十代前半くらいの男がグラスを布で拭きながら佇んでいた。


 バーテンダーのその男は首だけを動かしてこちらを見ると、無言のまま右手で目の前の席に座るようにサインを出した。


 入り口の台に生けてある花の香りが、一瞬だけ鼻を掠める。朱はキョロキョロと落ち着かない様子だった。袴姿が余計に場違い感を演出していた。ともかく座らなければ話は始まらないので、オレは朱をエスコートして指図された丸椅子へと腰かけた。



「シュウジさん。赤と白のいいヤツを一杯ずつ」



 赤ん坊の掌くらいの皿に盛られたナッツをそれぞれの前に置くと、すぐにカウンターの下からグラスとワインボトルを取り出して注ぎ始めた。いつ見ても映画のワンシーンのような絵になる注ぎ方だと感心する。今日は白からのようだった。


 まるで手品師のような華麗な手つきでコースターをセットしてそれをオレ達に差し出してきた。そして朱の前にグラスを置いた時、



「お客さん、悩み事ですか?」



 と、言った。


 朱は目を丸くして驚く。



「え?」


「気にしなくていい。この人誰にでもまずそう聞くんだ」


「ちょっと、円さん。そういうネタバレはしないでよ」



 今まで纏っていた渋い雰囲気を全て脱ぎ捨てる様なフランクな砕け方をしてシュウジさんは文句を言う。



「僕はそう聞いて会話を掴むきっかけになればと思ってるんだから。この台詞が言いたいから、こんな店構えて雰囲気も作ってさぁ…ハードボイルド感が全部ぶち壊しじゃなーい」


「その喋り方でもう何もかもお終いだよ」



 これは何年も続いている、いつものやり取りだ。しかし何も知らない朱は見事に置いてけ堀を喰らっている。

読んで頂きありがとうございます。


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