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里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。  作者: 音喜多子平
第一章 巳坂
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出会い


「さてと…これから一体どうしたものか」





『橋の上で使いを待て』


 言われた通りに手紙の封を開いてみるとたった一文、そう書かれた紙が入っていた。母から持参を許されたのは、この手紙と手拭いが一枚きりだ。


 橋というのが今自分が立っているこれで良いのか、それとも別の橋なのかという一抹の不安はあったものの、周囲には他に橋はなく、同時に僕にはこの辺りの土地勘もなかった。


 ここは全くもって初めての場所なのだ。


 先程から目の前を通り過ぎる者の顔に知り合いはいない。頼りになる者は誰もおらず、あるのは便りばかりである。


 橋の上から周りを望めば、四角形が螺旋を成して上下に果てしなく続いているような、何とも妙な風景が広がっている。その四角の辺には、色々な店が所狭しと並んでおり、多少離れているこの場所からも活気は伝わってくる。どうやらその奥にも、脇道と店舗が広がっているようなのだが、ここからはよく見えない。


 今立っているこの橋は、その四角の辺と辺の真ん中を繋ぐように掛かっている。構造上、螺旋の辺を繋ぐと橋は斜めに架かるはずなのだが、どういう訳か水平になっている。これがまた騙し絵を見ているかのようで、こちらもまた不思議な感覚に陥る。


 橋の欄干と店々の周りの通路にある柵は同じ作りの様だ。総丹塗りの艶やかな朱色のお陰で、前に立っている自分の灰色掛かった茶色の毛並みがみすぼらしく見えてしまう。


 そして。さっきから気のせいか、橋を渡る者の視線が集まっているように思える。妖怪の住む場所なのだから、別に猫又が珍しいなんてことはないと思うのだが。


 それにまた別の違和感もあった。何がおかしいかと聞かれれば上手くは答えられないのだが、とにかく妙だ。


 待つ間、特にすることがない。まさか毛繕いをする訳にもいかず、ふと持っていた手紙を開く。


 あれ?

 文面が変わっている。


 確か『橋の上で使いを待て』と記されていたはずなのに『傘を差して、全身がずぶ濡れの女が向かう』という文に書き変えられている。


 慌てて顔を上げて周囲を見回す。けれども、それらしい影はなかった。すこぶる疑問の残る文面だったのだが、とりあえず漠然と使いを待つよりも、特徴が分かっただけ気が軽くなった。


 この橋はどうやら待ち合わせの定番になっているようで、僕の他にも誰かを待っているのであろう者達が、そこそこの数見て取れた。欠伸をしたり、煙管を吹かしたり、合流してどこかへ歩き出したりと、いかにもこの巳坂の階に馴染み、溶け込んでいる。


 ふと男が一人、僕の脇に立ち止まった。例によって待ち合わせをしているのだろうが、何故か少しだけ驚いたように二度見されてしまった。


 そして僕も驚いて二度見し返してしまった。その男の格好が異質すぎた。


 周りを歩く者達は鯔背な着こなし姿もあれば、逆にいぶし銀な着物姿もある。対照的に少なく見えるが現代的な洋服を着ている者もあり、まさに老若男女十人十色である。


 けれども脇に立つこの男はそのいずれでもない。


 童話や物語の中に出てくる魔法使いや死神のようなローブを着ているのだ。夜明け前の空を思わせる青黒い地のローブには白く古代文字のような紋が縫い込まれている。僕はふと、昔に見た「隠者」のタロットカードを思い出した。


 袖から出ている手には手袋をしているので、深く被ったローブの下から僅かに顔半分しか男の肌は見えない。


 そんな男に二度見までされてしまうと、ひょっとして猫又っていうのは珍しいのだろうか、などとそんな事を考えていると向こうから声を掛けられた。


「なあお前、尾が割れてるって事は猫又だろ?」


「はい…そうですが」


「…そのままの姿で良いのか?」


「え? 何かまずいですか?」


 男の質問の意図がわからなかった。

 僕のそんな疑問はお構いなしに男は次言を続けた。


「いや、人間に化けなくていいのかと思ってよ」


「人間にですか? でもここは妖怪の街ですよね」


「そりゃあそうなんだけど。お前、もしかして外様(とざま)か? 猫岳の猫じゃないのか?」


「外様? いや、猫岳の猫又ではあるんですが…」


「それなら尚更…まあ自分でいいと言っているからいいのか」


 男は疑問を残しつつも一人で納得してしまった。

 当然、こちらとしては大いにもやもやが残ったので逆に聞き返した。


「このままでいると、何かまずいんでしょうか?」


「だって妖怪が――」


 その続きは聞くことができなかった。突然、男の後ろから湿ったような女の声で遮られたのだ。


「見つけた」


「うぉっ!?」


 男も予想外だったと見えて驚いている。


 後ろを覗くと小豆色の蛇の目傘を差し群青色の着物を着て、まるで池にでも落ちたように全身がずぶ濡れの女が立っていた。水で重くなった着物の襟や袂がだらしなく垂れ下がったり、肩を越すほどに長い濡れ烏も、本当に濡れて首筋の肌にぴったりとくっ付いている。色気を通り越した悲壮さが、どんよりと漂ってくる。そして何よりも、傘の下にいる女の周囲までもが濡れているのが見て取れるのだ。


 空気が濡れているという正しく面妖な光景が目の前にあるのだが、僕は髭に纏わりついてくる湿気がベタベタとくすぐったくてそれどころじゃない。顔を洗いたくなる。


 女は振り返ったローブ男を見るとおぉ、と小さく漏れるように驚いた。


(まどか)も見つけた。一度に二つの仕事をこなす私、優秀」


「八雲の知り合いか」


「鈴さまのお知り合い」


「鈴の?」


 こくん、と首だけで肯定した。


 そして男を追い越すと今度は僕に話しかけてきた。全身の至る所から、ぽたぽたと水滴が落ちる。ジトっとした垂れ目と曇ったようなポーカーフェイスが印象的だった。


「初めまして。私は八雲。今から鈴さまのところへお連れする。着いてきて」


 ひとまず目的の相手に会えて安心した。


「まあ待ち合わせが済んだならそれでいいさ。じゃあな」


 そう言って男は手を振ったが、ずぶ濡れ女はそれを否定した。


「円、あなたも来る」


「は? 何で?」


「鈴さまが探してる」


 八雲と名乗った女はそう言い終えるとそそくさと踵を返して歩いて行く。僕と男はお互いに動けないで、顔を見合わせた。


「って言われても、こっちだって待ち合わせしてるんだぞ」


「私は用件を伝えた。帰ったら着いてこなかったと報告するだけ」


 そう聞いた途端、男は観念したように大きなため息をついた。


 男と並んで、僕は八雲さんについて行く。橋の袂を出たところで振り返ると、橋は向こう側へ下るように掛っていた。


 通路へ入ると、左回りに四角い螺旋を上へ上へと向かう。あちらこちらから料理の香りが溢れており、そしてそれ以上にお酒の匂いが漂っていた。


 左手にある欄干の向こうは吹き抜けになっており、上から月光のような淡い光が差し込んできている。そのお陰で、吹き抜けに面している縁の部分は幾分明るさがあるのだが、少しでも奥に入って光が届かない路地やその裏手では、規則正しい間隔で提灯を灯している。


 少し登ったところで、不意に吹き抜けの下を覗いてみた。けれども、またしても不思議な事に、さっきまで立っていたはずの橋が見つからなかった。


 妖怪の住処ではあるのだろうけれど、おどろおどろしさはまるでない。景観は、全体的に純和風の趣がある。足元は板張りで、天井がつまりは上の階の通路と言う事になる。まるで露店の並んだ旅館の中でも歩いているような気になるので、ついウキウキと浮かれ気分になってしまう。


 食べ物とお酒を売っている店がほとんどなのだが、日用雑貨や小間物を置いている店もちらほらと見受けられた。


 店々の軒先では、前に設置された腰掛で酒を飲み交わしながら将棋を指したり、それを覗いていたり、はたまた井戸端会議で盛り上がったりしている。そのガヤガヤとした賑やかさは、提灯のぶら下がった路地の方でも同じようだった。


 色々なモノが新鮮で僕はいかにも余所者ですという具合に、キョロキョロしている。

ふと、男が話しかけてきた。


「なあ猫又。お前、名前は?」


「た、環です」


 とっさに名を聞かれたので言葉に詰まってしまった。


「俺は和泉円(いずみまどか)。なんかよく分からんけど、これも何かの縁だ。よろしく」


「はい。こちらこそ」


「ところでさ、環。お前、人間には化けられねぇの?」


「それ、私も思ってた」


 前からずぶ濡れ女も口を挟む。


「いえ、そんな事はないですけど」


「何だ。ならさっさと化けといた方がいいんじゃないのか」


 さっきの話題に戻った。今度こそはと思い聞き返す。


「あの実は僕、訳あってずっと此の世にいまして、今日天獄屋に来たんです。」


 円さんは得心がいった顔をした。


「ああ、どおりで」


「それで、よく事情が分からないんですが、この姿のままじゃまずいんですか?」


「まずいというかな、人間の前で正体を晒しちゃいけないってのが、ここの妖怪連中の作法らしいからさ」


 なるほど。


 皆の視線が集まっていた訳が分かった。確かに妖怪の気配がするのに、周りには人間の姿しか見えなかったのが違和感の正体だった。


 人にとってみれば、見知らない者が下着姿で待ち合わせのスポットに突っ立っていたような、そんな怪訝な状況だったのだろう。


「そうなんですか。猫岳じゃあ、みんな猫のまんまだったんで」


「飽くまで人前でって話らしいからな。猫岳じゃその必要がないんだろう。猫だけしかいないからな、猫岳だけに」


 そんな洒落に笑いをこらえるような息遣いが聞こえてきた。八雲さんだろうか。


「ああ見えて、結構な笑い上戸なんだよ」


 円さんが小声でボソリと教えてくれた。


「よいしょ」


 と二、三歩助走をつけてから宙返りをして十代半ばの歳の人間に化けた。色々と化ける手順はあるのだが、僕はこれが気に入っている。


「お見事。便利だよなぁ妖怪って」


 円さんの独り言に八雲さんが答える。


「妖怪は妖怪で大変。むしろ私たちの方が、人間っていいなと思う事がある」


「ふうん。無いものねだりなのかね、結局。因みどういうところがいいなと思うわけ?」


「座敷に座るときにスノコが要らない。湿気っていないぱりぱりのお煎餅が食べられる。干しシイタケを戻す為だけに台所に呼ばれない。みんなで仲良くぽちゃぽちゃお風呂。あったかい布団で眠るんだろな」


「後半おかしいだろ」


「円はびちゃびちゃの布団の冷たさを知らない」


「そりゃあ、知らないな」


「畳も傷みやすいし、偶には湿気を気にせずに眠りたい」


「ならいっそのことぽちゃぽちゃの風呂場で寝ればいいんじゃね?」


「それだ」


 八雲さんは、目から鱗が落ちたような顔して勢いよく振り返った。

 当の円さんは困惑して、若干引いていた。

 それよりも、今の話振りで気になったことがある。


「あの、今の話を聞くと円さんは人間なんですか?」


「ん? ああ、俺は人間だよ。」


 円さんは答えてくれた。


「しかし、本当に天獄屋の事を知らないんだな。巳縞屋に着いたら、まずはそこから教えてもらった方がいい」


 いいか、と円さんは続ける。


「天獄屋の中じゃな、そいつの正体を聞くのはかなりの無礼になる。表では人に化けているってのも、人間に正体を隠しているからだ。例え一人でも人間が聞いているかもしれない場所で本性に関わる事は絶対に聞いちゃいけない。天獄屋にいる妖怪連中にとって人前で正体を明かされるってのは、殺されたって文句の言えないくらい一番の無礼になるから気を付けろよ」


 先生が生徒に諭すように教えてくれた。


「そうなんですか。すみません」


「まあ、おいおい分かっていくさ。今から行く巳縞屋は小僧奉公を取るのは慣れてるはずだし、働いてるのは全部妖怪だから、往来ほど慎重にならなくて良いはずだ」


 円さんはローブの裾からポケットタイプの小瓶を取り出した。中には黄金色の液体が入っているのが見て取れた。


 それをチビリと一口飲むと、一息を漏らす。


「ま、大体の奴は隠したところでバレバレだけどな」


 そう言ってケケケと笑った。


 しばらくして、ぐるりと登っていた先に、明らかに他とは雰囲気の違う門構えがあった。


 八雲さんは傘を畳むとその門の脇の小口から中へ入って行った。


 そして間も無く門が開いた。


「さあ、ここが巳坂を仕切っている家の一つ、巳縞屋だ。余計な事は口にしないで、お行儀よくしときな」


 その言葉のせいか、門の向こうの屋敷から漂う厳かな雰囲気のせいなのかはわからないが、とにかく僕はかつてないほど緊張した。


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