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里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。  作者: 音喜多子平
第一章 巳坂
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残響する真実

酒を飲むのはこの世の極楽。二日酔いはこの世の地獄

「なら一先ず話を本筋に戻すわ。二月前、鍋島の跡取り候補だった――何て言ったかしら?」


「鍋島忠士郎です」


「そうそう、その彼が殺された。詳しくは分からないけれど、ツッキー曰く、猫岳の後継者問題が色々とこじれているそうよ。そのいざこざに巻き込まれて命を落とした――というのがツッキーの見立て。そんな泥沼の渦中に息子を放り込みたくはないってなるのは当然ね。それで一時しのぎにしかならないかもしれないけれど、目先の脅威から少しでも遠ざかる為に私を頼って巳坂に丁稚奉公をさせようと思い付いた」


「ええ、そうです」


「それでツッキーは言ったわよね。何はさておき、環くんの身の安全を優先させてほしいって」


「言いました。それなのに何故環はこの人の店にいるのですか?」


 ここまで取り乱す母を僕は初めて見た。冷静を装っているが、装っている事が手に取るように分かってしまう。


 そしてここまで眼光鋭い顔つきも未だかつて見たことがない。


 普段はどちらかと言えば物静かで、我が母ながら幸薄い物腰なものだからそのギャップに戸惑う。


 しかし鈴様の態度は全く変わらない。


「条件があったからよ。丁稚奉公として預かった手前、仕事をさせない訳にはいかないけれど、この子に造り酒屋に必要な知識や技術はなし、かと言って表に出させる訳にもいかない、いざという時にどうにかしてしてくる程腕っぷしの良いのはウチにはいないわ。坂鐘家に預けることだってできるけど、磨角たちは安全とは一番遠い仕事をしているから論外でしょう? 仕事を与えず匿うって事になれば話が変わってくるしね。別階の跡取りを匿っているなんて隠し通せるものでなし、そもそもそんな事情で預かればウチの沽券に関わるから願い下げで話は終わっちゃうわ」


「…」


 鈴様の話は至って理路整然としている。


 母もそれが分かっているから黙るしかできない。殺しきれない吐息の音が部屋に広がった。


「ところが、幸運な事に巳坂にはとても頼りになる人がいるのよ。丁稚奉公として面倒見てくれるわ、言う事を聞いてくれるわ、腕っぷしも強いわで、適任の人間がね」


「本当に――そう思っているのですか?」


「そりゃあ思っているよ。立派な人間かと聞かれれば首を傾げるが、頼りになるかどうかと聞けばここにいる全員が素直に首を縦に振るだろ」


 そう語る鬼の弁をきっかけに全員の視線が円さんに集まった。


 あの鬼をもってして頼りになると明言されるということは、まさしくその通りなのだろう。鈴様もその事に関しては余計な茶化しは入れないし、八雲さんに至っては本当に首を縦に振っている。それに関しては大分信頼が厚いらしい。


 けれども円さんはうんともすんとも返さない。


 磨角様は尋ねる。


「ところで何か言いたい事はないのか? さっきから何で喋らないんだ?」


「今、口を開けると吐きそうなんだ」



 その言葉に全員が拍子抜けしたような妙な間があった。




「いい加減にして」


 そして茶化していると思ったのだろう。母はいよいよ痺れを切らせて立ち上がると磨角様に向かって言い放つ。


「今回だけはあなたの『性質』に付き合う訳にはいかないの。こんな二日酔いの酔っ払いに我が子の命を預ける訳にはいかないわ。鈴の言い分は尤もらしいけど、あなたが企てたことではないの? もしそうなら馬鹿な真似は止めて頂戴。いくら過激なことを仕出かす連中とはいえ、巳縞家にカチコミをかけるような向こう見ずなはずがないわ」


「円のところに預けるのは心配か?」


「当然でしょう」


「それはどっちの心配をしてるんだ?」


「――ッ」


 再び間があった。


 母は石にでもなったかのように固まっている。


 そんな事はお構いなしに、磨角様は言葉を続ける。しかし標的は母ではなく僕と玄さんだった。


「ここまで言っちまったんだ、モノのついでに教えておこうじゃないか。環と玄って言ったか? いつまでも仲間外れじゃ具合が悪いだろう」


「私たちの事は関係ないでしょう」


「こいつは助け船だぜ? お前らの事を喋れば環だって気を遣うかも知れねえ。あいつ自身が頑なに嫌と言えば、こっちだって考えるさ」


 そういうと立ち上がり、あの独特の笑みをこぼしながらこちらに近づいてくる。


 僕と玄さんは思わず身構えた。


「ここにいる奴等がな、妙に気を使ったりピリピリしてるのには訳があるのさ」


 やがて僕たちの前にしゃがみ込むと、ゆっくりと喋り出した。


「円と月子はな、元々許嫁同士だったんだ」


「子どもの頃の口約束でしょう。幼馴染が小さい頃にそんな事を言い合うなんてのは、別に珍しくもないわ」


 すぐさま母の声が飛んでくる。しかし鬼は想定内と言わんばかりにすぐさま反論した。


「そんな上辺だけの仲には見えなかったけどな。それにお前はそうかも知れんが、少なくとも円は本気だっ

ただろう」


「…」


「けど先に言った猫岳の湯が原因で、こいつらの仲はすっかり変わっちまった。お互いよそよそしくなって見てるだけで胸が痛くなったよ。挙句、人間を猫に変えちまったと義理堅い猫岳の当主は月子を引き取り嫁にした。きちんと整理も付けぬままそういうことになったから遺恨は残り、今ここにこうして至るという訳だ」


「別に、私は誰も恨んではいないわ」


「そうかい? なら、それはそれでいいんだ。ともかく色々と込み入った事になってるんだ。そしてそこに更に込み入った事情が舞い込んできた」


 鬼はまたしても母を標的に変えた。


 その上、妖気が滲み出てきている。部屋の中が一気に陰鬱で重苦しくなった。その妖気は特に母に絡みついているように見える。


「俺達だって色々と考えて、穏便に済ませたかったんだぜ? お前が異を唱えなけりゃ余計な事を教えずに済んだかもしれない。誰も不幸にならなかった。子供は子供で、母親の元許嫁と知って気を使うこともなけりゃ、円はよりにもよって昔好いてた女とそれを奪っていったやつとの間にできた子だと知って嫌な事を思い出す事もなかった訳だ」


「そう――ね、私のせいだわ」


「まあ、こうなることを全く期待しなかった訳でもな―――」


 鬼は最後まで喋り切れなかった。


 突如、立ち上がった円さんが鬼の襟首をつかみ投げ飛ばしたからだ。


 あまりにも早業過ぎて、何が起こったのか理解するのに時間がかかった――というよりも円さんの体勢を見て、今投げ飛ばしのかと憶測しただけだ。それ程までに圧倒的な体捌きだった。


「――っと…」


 しかし、鬼も鬼でかなりの実力者である。


 不意に投げられたのにも関わらず、空中で見事に体制を立て直して着地した。


「おいおい、無礼講過ぎないか?」


 そう言って鬼は帯にさしていた十手を円さんに向ける。


 だが妖気は容易く円さんに剥ぎ取られており、ちょっとした強がりにしか見えない。心なしか冷や汗を掻いているようにも見える。


 そしてようやく事態を飲み込んだ部屋の中の全員に緊張が走る。


 円さんの放つプレッシャーは本物だ。


 もしもこの人が妖怪だったのなら、鬼の放っていたモノとは比べ物にならないほどの妖気になっていただろう。


「円―――」


 かすかにそう呼ぶ母の声が聞こえた…様な気がした。


 聞こえなかったのは、それどころでない事態になったからだ。


 円さんはローブの下から手早くエチケット袋を取りだすと、盛大に嘔吐したのだった。




 緊張で高まっていた分、全員の気分の落差が激しく、さっきよりも更に現実が飲み込めないでいた。その場の皆が生涯で一番のキョトン顔をお披露目している。


「八雲、水持ってきてあげて」

「もう用意してあります」

「ほら。二日酔いに利く薬だ。飲んどきなよ」


 そんな中にあって円さんと付き合いの長い面々は、打ち合わせでもしていたかのような手さばきで円さんを解放する。


 僕たちは未だに動けない。


 しかし、やっと事態を飲み込んだ母はきっと告げた。


「もういいわ。頼る相手を見誤ったことがよく分かりました」

「不満なの?」

「今のやり取りで不満に思わないとでも?」

「そこの阿呆のことなら私が謝るわ。けど円が適任なのはその通りでしょ。何より、環くんはどう思っているの? 今の話を聞いて」

「僕は」


 と言いかけた僕の言葉を母は無理矢理に遮った。


「関係ないわ。どちらにしても今日は環を連れて帰ります」

「アテはあるの?」

「…ともかく今日のところはこの子を連れていきます。一度、腰を据えて話をさせてもらうわ」

「…そう」


 鈴様はそれ以上は何も言わなかった。悲しげに伏せられた片目が印象に残った。


 母上は僕を見るとすぐに猫岳に帰る様に言った。


 しかし、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかったので手放しで承諾は出来ない。和泉屋にも取りに戻らなければならない物もあるのだ。


 そう伝えると母上は僕のすぐ横にいた玄さんのことを見た。


「こちらの方は?」


「玄と申します。今、円様のところでお世話になっております」


「そうですか。申し訳ありませんが、ご一緒していただけませんか? 顔見知りとは言え、他所様の家に勝手に上がるのは気が引けます。和泉屋さんはあの調子なので」


 チラリと視線を送れば八雲さんから水を受け取り、磨角様に背中を擦られている円さんの姿があった。


「私でよろしければ」

「お手数を掛けます」


 話がまとまると僕たちは足早に部屋を出て行った。


 ずいぶんと後ろ髪を引かれたのだが、母に手を引かれていたので立ち止まることはできなかった。

読んでいただきありがとうざいます。


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