営業
一章は書き上げますが、2章以降は遅れるかも知れません。てか、遅れる
やがて夕食を済ませた後、朱さんと一緒に店に顔を出した。
まだお客らしいお客は来ていないようで、そこにはいつの間にか着替えて、ウイスキーを飲んでいる円さんの姿があった。カウンター席に腰かけ、僕たちと同じく小鉢の惣菜をつまんでいる。個人経営の飲み屋だからか、そのあたりの接客態度意識は緩いのだろう。
晩酌と見えたのか、朱さんも今だけは小言を挟む様子もなかった。
「円さん、夕飯頂きました」
「分かるか?」
そういって持っているグラスを差し出してきた。
水割りだったが、香りだけで容易に判断はできる。というよりも店に出たときから何を飲んでいるか分かっていた。
「『エクソダス』ですね」
脱出する、という意味の名前で、香りが強いことが特徴のウイスキーだ。
栓を開けた途端に芳醇な香りがビンの中から脱出してくるというイメージに由来している。
「ホントに、そんだけ利けて何で飲めないのかね」
チビリとグラスを傾ける円さんは、やはり残念そうだった。
「それで、私たちはどうしてればいい?」
「お客が来ない事にはどうしようもないな。環はオーダーも取れるだろうから、後ろに朱を付けて…貰おうかと思ったが初めて店に出るのにそれは厳しいか。いいや、今日は環も朱も俺の後ろにいて、どうやればいいのか見てな。接客マニュアルなんてものはないから、適当にこなしてくれ」
そう言う円さんをまじまじと見て、朱さんは徐に口を開く。
「ところで、前々から聞こうと思っていたのだが、その妙な前掛けは一体なんだ?」
僕が、聞こうか聞くまいか迷っていた事を朱さんがずばりと聞いてくれた。
格好自体は、昨日見た陶芸家もどきのそれなのだが、いかんせん付けている前掛けが奇抜すぎる。
例えるなら少女趣味の暴走族が作ったような、とでも言えばいいのだろうか? 趣味の悪い色の布地に、文字が刺繍してある。
片方は『I Love Suzu』。もう片方は『万民が苦痛に喜びを見出さんことを』。
「…これ付けないと店を開けられないんだよ」
「…それは何かの呪いか?」
「ああ。巳坂の当主様たちのお戯れって呪いがかかってんだ」
苦い顔をしている円さんに、それ以上言及するつもりはなかった。
きっと、アレを付けないと営業停止にでもなるのだろう。ニヤニヤ笑いの磨角様と含み笑いの鈴様の顔が浮かぶ。
それから三十分も経たないうちに店の戸を開ける者があった。
記念すべきお客さん第一号は、全身がずぶ濡れである。心なしか部屋の湿度が上がったような気がする。
というか、円さんは真っ先に除湿機のスイッチを入れていた。手際が良すぎるので、恐らくは常連さんなのだろう。
そして、それからも後を追う様に来店はあったのだが、僕は完全に八雲さんに捕まっていた。会話の合間に常連さんに新顔だと挨拶はさせてくれるものの、八雲さんの専属は変わらない。円さんも余計な口は出さず、朱さんに接客や注文の取り方を教えている。
「環は、雪女ってどう思う?」
ほろ酔いの八雲さんから出てくるのは、妖怪ものの漫画でヒロインに適役な妖怪はなんぞや、というサブカルな話題だ。
ここの店はじっくりと腰を据えて飲むというよりも、一、二杯を軽く引っ掛けてはしご酒の足掛かりにしてもらうショットバーのような営業スタイルである。カクテルやビールならまだしも、ウイスキーは取つきの酒としては強すぎるのではないかとも思ったが、大方は酒に強い連中しかいないので問題ないのだそうだ。
大体のお客が二、三十分で退店していくのにも関わらず八雲さんは二時間近く居座り続けている。その上、酔いのせいか唇はさらに軽くなっているようだった。
とうとう八雲さん以外のお客がいなくなり、円さんと朱さんは小休止まで挟んでいる。
そんな中、居間から景さんの声が聞こえた。
「そろそろいいかしら」
「おっかしいな。今日こそは姿を見れないまでも入ってきたタイミングくらいは掴もうと思ってたのに」
「無駄ね」
「ちょっと待っててくれ、支度するから。俺の部屋で良いんだろ?」
カウンター奥のガラスケースの中から『トーメント』というウイスキーを取り出して、円さんはそのまま台所の方へと入って行った。
「少し借りて行くわよ」
「何かあったんですか?」
景さんの顔が少し陰っているのが気になった。
そして僕の顔を見ると、一度声を飲み込んでから、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。
「…まあね。正確にはこれから何かあるかも知れないから警告しに来たの。まああんたたちは妖怪談義に花を咲かせていなさいな」
景さんの様子が少しおかしいということは、八雲さんも気が付いているようだった。けれども、すぐにまた妖怪ヒロイン談義が始まった。
目線だけで景さんを追ったが、すぐに廊下の影と溶け込むように消えてしまった。
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