冬月台地
ちょっと短いです。
気が付けば一章は折り返し過ぎてました。
「で、どこまで教えられたんだ?」
飯を食べながら円さんは器用に話す。
「とりあえず、店の棚にあったボトルの紹介を少しして、後は飲み方とウイスキーの歴史を掻い摘んでって具合です」
「まあそんなものか。まず、飲み方が分かればよしってところだな」
「それでな、円殿。店の棚に『プロフェシー』というウイスキーがあるだろう?」
嬉々として朱さんが尋ねる。目が輝いていた。
「また渋いところを突いてきたな」
「ふむ。瓶が他のモノと比べて技巧を感じさせる作りだったからな」
「そうそう。だから見た目で期待して飲むと、何か拍子抜けするんだよな。全体的に力強さがなくてさ」
何故このタイミングで誹るのか。『プロフェシー』に恨みでもあるのか。
目に見えて輝きは失せて、しょぼくれてしまっている。
「んで、プロフェシーがどうしたって」
「いや、何でもない」
「?」
円さんは首を傾げた。一同はそれから無言のまま昼食に勤しんだ。
「そうそう。この後、俺達は挨拶に行くところがあるから、留守を頼む」
「承知した」
「ま、この時間なら、客もそう来ないだろうから玄と一緒にウイスキーの勉強でもしておいてくれ。何だかこの二、三日、留守ばかり頼んで悪いけど」
「うむ」
「もし気になる銘柄で栓の開いてある瓶があったら試飲してもいい」
「本当か」
「呑みすぎるなよ」
その忠告に朱さんは思わずむすっとした。
「貴様と一緒にするな。モノのさじ加減くらい心得ている。ま、昼餉では酒に手を付けなかったことを褒めておこう」
「へいへい」
◇
「ま、台所で呑むんですけどね」
食器を流し台に片すと、グラスを片手にそう呟いた。
「そうまでして呑みたいですか」
「呑みたい」
即答された。酒好きもここまでくれば立派に見える。
しかし、酒の味を幸せそうに噛みしめていた円さんの顔は途端に曇ってしまった。
「坂鐘家に行くんなら尚更な」
「どういう意味ですか?」
「坂鐘に行くのに気が引けるのはお前だけじゃないって事さ」
◇ ◇
洗い物を済ませ、三十分ほどの小休止を挟むと、いよいよ坂鐘へと出かける段になった。特別に用意するものもないと言われたので、昨日巳縞に顔を出したのと同じ格好をして、店のカウンターで待っていた。
やがて部屋から出てきた円さんは相変わらず、隠者を思わせるローブ姿である。
「やっぱりその恰好なんですね」
「まあな。一応俺だけは正装の方がいいだろうから」
…正装なのか。とてもじゃないがそうは見えない。
ハワイだとアロハが正装になるような感覚だろうか。
もし錬金術を本格的に習うようなら、いずれ僕もああいう格好をしなければならないのかも知れないと思うと気が重くなった。
「じゃあ行ってくるよ。昨日と同じく留守番を頼む」
「畏まった。任せておけ」
試飲を楽しみにしている朱さんとは対照的に、僕たちは少々陰鬱な気分のまま店を出て歩き出したのだった。
◇ ◇ ◇
昨日、巳縞から戻ってきた時とは違う道程だった。
巳坂の店々は、その大多数が飲食店に関わらず夜に開いているようだ。妖怪相手の商売が基本になるからなのか、昼間に働いて夜にその疲れを労う感覚があるのかどうかはわからない。
とはいっても、円さんを始め昼酒を謳歌している面々を見れば、やはり妖怪が中心の社会だからと考える方がしっくりくる。
現に目の前のローブ男は、歩きながらポケットウイスキーを楽しんでいる。
「先に坂鐘家の説明をしておくとな」
しばらくして一本目の瓶を空にしたところで話を振られた。
「朝も言ったが、天獄屋での酒は人間でいう所の金に当たる。だから人間社会と同じく奪ったり、正規のルートとは違う方法で売買したりする輩も出てくる。坂鐘家は、そういう奴等を取り締まるためにある家だから巳縞家と違って血気盛んなやつが多い。要するにヤクザ者だ」
「…」
「昨日くらい緊張して大人しくしといた方が話が進む。特に磨角の前じゃな」
冗談や揶揄い半分で言っているのではないとすぐにわかった。
目が本気であったし、何より昨日のうちに当の鬼の妖気の悪質さは身に沁み込んでいる。頼まれたって嘗めた態度を取りたくはない。
「…わかりました」
坂鐘の家につくずっと前から、緊張が体を覆った。
巳縞家へは階の上を目指すように歩いて行くのだが、坂鐘家へは反対に下へと降りて行くようだった。
しかし、円さんの店のあった階は壱の文字が刻まれていたはずだ。地下へ向かっているのだろうか。そもそも巳坂に地下なんて概念が存在しているのかさえ怪しい。
上の方の店が大衆用の居酒屋とすれば、下の階層にある店は格式高い料亭という店構えの店が多かった。それもほとんどが人間が十人も入れば満席になってしまいそうな広さしかなく、座敷も二組座れれば上々という佇まいである。
店が閉まっているというのも勿論だが、それでも上の階層に比べると荘厳さが溢れる静けさであった。
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