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二日目(恒星天) 三

 キスをしたあと、ツクヨミは対面するシートに座り直した。頬杖をついて窓の方に顔を傾けている。だけど、生まれたての赤ん坊みたいに、外に興味を覚えたのではないのは確か。彼女は、熱が残留した横顔だけをこちらに見せて、ときどき私を一瞥していたからだ。唇は薄く開かれたまま、小さく呼吸を繰り返しながら、言葉に還元できないものを吐き出している。だから、そんな彼女のために、私は微笑むことで彼女に返していた。つまり、彼女に貰ったものを私は返しているわけだ。

 初めはお互いに気持ちを言葉に還元していたけれど、そうやって言葉を繰り返す内に、それは擦れ合いながらやがて緩慢に霧散してまう。最後に残ったのは、気持ちを信号に変換するくらい。彼女と出合ったときと相対的に比べてみれば、それは明らかな損失だろう。だけど、その分ツクヨミとの距離は近くなった気がする。フィジカルにしろメンタルにしろそれは変わらない。私には彼女の言いたいことがわかるし、彼女も私のことを理解している。確かではないけれど。少なくともそう思い込むことができる。だから、この損失はきっと素敵なものかもしれない。

 アナウンスが車内に響いて、それから電車が減速を始める。

 私はツクヨミを観察するのを止めて、彼女と同じように外を眺めた。

 木製の電柱が蝸牛みたいにのろのろと後ろに流されている。ケーブルが微かに振動しているのが見えた。だけど、羽を休めている鳥たちは見当たらない。きっと、風に煽られているのだろう。視点を上方へと移動。そこは嫌味なくらい太陽が貼りついていて、きれぎれの雲がテーブルに載せられているオードブルみたいにささやかに浮かんでいる。その他にはなにもなかった。夢でこんなことをしたことがあるな、と瞬間そんな思考が頭を過ぎったけれど、直ぐにそれを遮断して視点を地上へ下ろす。

 鴉はいなかった。

 やはり先に飛んでいって、私のことを待っているに違いない。

 だから、今日までの私は大人しい。

 でも、ときどき空を見上げる癖は直らない。

 気がつくとツクヨミが私を見据えていた。微かに唇を開けて、小さく唇を震わせながら上目遣いで私の様子を窺っている。

「鴉は視えなかったわ。だから心配しないで」久しぶりに言葉に還元してみようと思った。「私は大丈夫よ。ありがとうツクヨミ、心配してくれて」

「恋人だから当然でしょ?」ツクヨミは唇を尖らせて、訊き返してきた。恋人というフレーズも随分と久しぶりだ。新鮮な響きに聞こえたのが、少しだけ可笑しかった。

 私は無言で頷くことで彼女に応えた。ツクヨミは短く嘆息して、シートに身体を埋める。

 のんびりと流れていた景色がやがて停滞する。アナウンスが駅の名前を繰り返していた。私はシートから立ち上がって、ツクヨミに降りるように促す。少しだけ不満を伴ったそんな表情。それを笑顔で諌めてから彼女に背中を見せる。

 ホームには殆ど人影が見当たらなかった。

 ベンチに二人。老人と少女が間隔を空けて座っている。窓口には籠を背負った老婆が駅員と話しているのが見えた。

「もう少しだけ乗っていたかったなー」

「仕方ないわよ。ここが目的地だもの」肩を竦めてから、私は腕時計を見る。時間は正確。しかし目的の人物はそこでは見当たらなかった。

「どうしたの?」腕時計を覗き込んでツクヨミは言った。「早く行こうよ」

「迎えが来るはずなの。もう少しだけここで待っているわ」

「お迎えー?」ツクヨミが突然、くすくすと笑い声を漏らす。「ねぇねぇ、一体どこのお姫様なの?」

 私は首を竦めて、空いているベンチへ歩を進めた。それから荷物を降ろしてそこへ座る。笑顔を保持したままのツクヨミが駆け寄ってきた。魔女みたいな不思議な笑顔だと思った。彼女が変な想像をしているのは明らかだった。

 しばらく私たちはベンチで待った。その間、人の出入りは皆無だった。私は腕時計を再度確認し、バッグから携帯電話を取り出す。目的の名前を検索してからパネルを操作。コールする音が響いた。三回。

「お祖父様なら、来ないよ」ふと、左耳から小さな声が聞こえた。

 携帯電話を耳に当てたまま、私はその方角を振り返る。

 そして、私は彼女と出会ったのだった。

「私は、サワメだよ。お祖父様の代わりに、私が迎えに来ました。スクナ、お姉様だよね?」

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