王国動乱 1
登場人物紹介
ルフォー・バランダル……ルンカト砦の守備隊長。ネイハムの実子。軍人としての位階は上級将校。
「めちゃくちゃだな、てめえ」
俺がナイフで浅く斬りつけた手をプラプラさせながら、呆れたようにボルグが言う。
「お前が言うか? 雇い主を殺そうとしてるお前の方がよっぽどめちゃくちゃだろ」
「はっ、くだらねえ」
サルマンとエティゴは腰を抜かしたのか、這うように下がっていっている。
サルマンの叫びを聞きつけた守備兵が館内から出て来るのも探知する。
「なんでこんな真似を?」
どう考えたっておかしい。
エティゴの用心棒だったこの男がいきなりこんな事をするなんて。
何か別の目的が――。
俺の問いかけにボルグの顔が激変する。
「なんで? なんでだと? ……て、めえ、俺をどこまでコケにすりゃ気が済むんだぁ、ああっ!?」
ボルグの体が怒気で膨れ上がる。
いや、違う。
なんだこいつは。
ボコッ、ボコッ、と音を立て体のあちこちが膨らんでいる。
ミシリ、と握った剣の柄が悲鳴を上げる。
「おい、何だお前ら!」
「サルマン伯、大丈夫ですか!」
「賊だ! 取り囲め!」
サルマンの言葉に飛び出してきた守備兵がピーッ、と笛を吹く。
しかし俺はそれどころじゃない。
こいつ、この化け物のように膨らんだボルグはやばい。
動きが分かった所で、ナイフ一本で仕留めるのは難しいだろう。
それどころか、逃げ回るのが精一杯かもしれない。
「よう、ラスター! 始めようじゃねえか!」
両手を広げたボルグの、狂気に満ちた声が響き渡った。
この夜に至るより少し前、この日の朝。
「エイゼル、コモーノから連絡は?」
「ありません。ブロンズ商会の馬車は、昨日予定通りこちらに着いております。問い合わせたところ、コモーノ様は姿を見せなかったそうで、別の者が代わりに来たと」
「どうなっている?」
ネイハムは少し苛立ったように髭をさわりながらウロウロと歩く。
エイゼルもどこか硬い。
今回の計画は情報のやりとりが命なのだ。
こちらが素早く動かなければ、王都であっという間に既成事実を作られ手の打ちようが無くなる。
「どういうことだ。何があった? コモーノが風邪で寝込んでいるなどあるまい」
「流石にそれは。ブロンズ商会ですら連絡がつかず不審がっておりましたので」
「では、何があったか」
立ち止まったネイハムはいくつもの仮定に考えを巡らせる。
しかし、考えたところで大した意味もない。
コモーノの人となりも知っているのだ。
何かあったのは言うまでもない。
「エイゼル、王都へ行く。用意をしておけ」
返事を待たずに砦へ向かう。
北部ガゼルト公爵カーク・ザンバル。
あの男とは、遅かれ早かれ雌雄を決する必要があるのだ。
中央統括公デイロス・リンツとカーク、ネイハム。
縦長のレプゼント王国を三分する三公爵家だが、遠くない内にこの中から王家へと組み込まれる家が出て来る。
現在の王家は正統な血縁によって継承されているが、過去に王女に婿入りして王の座を継いだ貴族がいなかった訳ではない。
男子が生まれるとすぐに王位が引き継がれる仮初の王に過ぎないが、王族に名を連ねるということは貴族にとって究極の栄達と言っていい。
中央統括公爵を務めるリンツ家は、王族だ。
かつてそうして王族の仲間入りを果たした家なのだ。
リンツ家からは過去、2人の王を輩出している。
現王には息子が1人、娘が2人いる。
王位継承は現王の不意の崩御でもない限りまだ先の話だが、この唯一の王子は病弱で、王宮では以前から継嗣問題が取り沙汰されてきた。
養子を入れる話もあったが、王妃が拒んだため、伸ばし伸ばしにされた。
数十年前の話だ。
そして2年前、王と王妃の了承を得て、王子が自ら継承権を放棄したことで、第一王女の継承が確定した。
特に混乱するようなことでもない。
女王はレプゼント王国では認められていないため、婿を迎えて繋ぎの王を誕生させる。
リンツ家が公爵家として存続しているのは、こういう時のためと言ってもいい。
王族となるリンツ家の男はリンツ家から除名され、王族となる。
そしてリンツ家は再び、王族の血筋から離れて貴族としてスペアの王族となり生きていくのだ。
そのためリンツ家は家格が最も高い。
冒されざる血筋を有しているため、領地経営などの責もなく、実際には王族と変わらない暮らしを送っている。
その分実効権力も武力もほとんど無いが、それが政治の安定ともなっていた。
しかし息子に望みを持っていた王妃の親の愛が、問題を生んでしまったのだ。
現在リンツ家には当主デイロス・リンツの他に男子が2人いるが、これがまだ幼児なのだ。
デイロスは未だ若く、当主を継いで間もなく、跡継ぎを誕生させて数年しか経っていない。
当時二十四歳だった第一王女に釣り合うのはデイロスしかいなかったが、前当主の妻、つまりデイロスの母は王族の血筋に近く、デイロスの血は王族に近すぎる。
リンツ家とて王族の繋ぎのためだけに生きている訳でもない。
また、定期的にリンツ家に高貴な血を入れることも必要とされることでもある。
生まれつき病弱の王子が起こした継承問題と言ってもいい。
血の問題は無視できなかった。
デイロスの弟も母を同じくしている。
2人の息子を幼王にしても、王女との間に子を設けるまで何年かかるかを考えれば、再び跡継ぎ問題が発生するだけだ。
この時点で、リンツ家は候補から外れた。
必然的に、北部領主カーク・ザンバルと南部領主ネイハム・バランダル、残る2公爵家が筆頭候補となる。
幸いにも、カークにもネイハムにも未婚の息子がいたからだ。
「ルフォーを呼べ。すぐに来るよう伝えろ」
「はっ」
執務室に着いたネイハムは砦の守備隊長を呼び出す。
優秀な指揮官として、部下からも認められている。
ネイハムの息子だ。
「お呼びでしょうか」
「入れ」
三十歳を迎えたルフォーはネイハムの望んだ息子、いやそれ以上と言って良かった。
貴族としてより武官としての道を好んで歩く男だ。
ネイハム譲りの茶色の髪を短く刈り込んでいる。
貴族にあるまじき無精髭が僅かに見えるが、ルフォーにはそれが良く似合っている。
「王都へ行く。しばらくルンカトを任せたい」
「お任せ下さい。何も問題はありません」
さっさと引退しろ、と言われたように思えて思わず鼻で笑う。
「それだけでしょうか?」
実際ネイハムがいなくなったところで問題は少ない。
ルフォーはバランダル家の正式な後継者として認められているのだ。
数々の決裁権も、ルフォーは有している。
既に多くの裁量を委ねている部分もあり、このまま家督を譲っても良い。
しかしネイハムからすればまだまだ若造だ。
己が言えたことでは無いが、ルフォーは特に政治の部分に責任感がまだ足りない。
こうしてすまし顔をして行って来い、と言われると舌打ちしたくもなる。
「ふん、小僧がいい気になるな。お前の顔を青くしてやろう」
そして今回の王都行きに至るまでの一連の流れを話す。
ラスターの知らない、後継問題や権力闘争を孕んだ背景を、ルフォーは把握済みだ。
「俺がいない間、ここに手が伸びてこないとも限らん。お前はそれも頭に入れておけ」
「なるほど、承知しました。厄介なことになっていますね」
ルフォーは頭も切れる。
その気になれば政治の世界でも頭角を現す男だとネイハムは思っている。
ただ、興味を持たなすぎる。
「……時にお前、王女様の件、どう思っている」
第一王女の王位継承一位が発表されて以来、リンツ家が候補から外れたことも、ザンバル家、バランダル家が候補であることも、正式な発表こそ無いものの周知の事実となっている。
ルフォーやカークの息子が嫁を迎えないのも、これが原因と言っていい。
本人が興味を全く示さないので触れずに済んでいたが、ルフォーはネイハムの立場も理解しているはずなのだ。
王族の継承問題を無視して候補と目されている公爵家の息子が勝手に結婚すれば、ただでは済まない。
「私ですか? どう、とは?」
「ちっ。とぼけるな。ガゼルト公の息子はその気だぞ。俺もアナスタシアも王族どうこうにムキになるつもりは無い。だがお前はどうなのだ。奴の息子が王となれば、いずれ南部領主となったお前にも北からの圧力が掛かるのは間違いないのだ。領地の民を守るなら、無視はできん問題だぞ」
息を吐き出したルフォーが目を瞑る。
「以前お話した通りですよ、父上。私が王女様の婿となっても、それは同じこと。誰がここを守るのです」
「……それ以外にも、色々あるだろう」
ネイハムにも上手い解決策が見つからないのだ。
カークは王国で実質一番手の位置につけているネイハムを追い落とすのに必死だ。
ルフォーが王となればルフォーの代わりに南部領主となった人間、バランダル家に属する者に謀略を仕掛けるだろう。
もしその人間が上手く対処できなかった場合、王となったルフォーは立場上、必要以上に厳しい処分をせざるを得ない。
貴族の任命権やその他は、王が握っている。
他の貴族達は、除名されるとはいえ王になったルフォーがバランダル家に下す処分を注視する、そういう生き物だ。
ザンバル家から王が誕生しても、やはり南部は攻撃される。
天秤に掛ければ、ルフォーが王になってくれた方がまだマシだ。
ルフォーもそういう未来は見えている。
しかしこちらからザンバル家を陥れるつもりは無い。
王国に益をもたらすと言える明確な根拠も正当性も無い政治は、ただの裏切りでしかないからだ。
今のところルフォーは、王になるつもりは無いようだ。
ルンカト公として、ザンバル家の謀略を跳ね返すつもりらしい。
しかし政治はそんなに甘くは無い。
「父上。また同じ事を言わせて頂きます。私は王女様がお決めになるのが良いと、そう思っております。後継問題でずっとお独りでいなければいけない第一王女様と第二王女様こそ、問題にすべきです」
この問題が発生してから、第一王女は既に二十七歳を迎えようとしている。
一人の娘として考えれば、貴族の一番の被害者はルフォーの言う通り彼女達かもしれない。
外部から迎える後継に王と王妃は静観を貫いている。
王子を王としようとした失策が響いている。
ルフォーから言わせれば、実力でいえば貴族筆頭の立場にあるネイハムこそ、王女達のために指名権を彼女達に委ねるよう動くべきなのだ。
無論、ネイハムの清廉さがそこに介入するのをためらっていることも承知ではある。
ネイハムもまた、ある意味でルフォーにこの問題を押し付ける形になっていることを分かっている。
だから、王家の後継問題に対しては碌に対処もせずここまで来た。
「とにかく、俺は王都で直接動かなければならん。……確かに遅いかもしれんがな」
「父上、ご心配なく。南部を切り崩すなど、不可能だと思い知らせてやりましょう」
「黙っていろ。お前はとにかくルンカトを固めておけ」
まったく、自信家め。
ネイハムは本当に引退して、王都から睨みをきかせる時が来たのかもしれない、とふと思う。
しかしながら若すぎる。
やり残したと思える事が多すぎる。
馬鹿馬鹿しい、とその考えを振り払う。
消えていく思考の隅に、妻アナスタシアの笑顔が混じっていた。
王都に残している妻の顔に、チクリと胸が痛んだ。
少しだけ、どこかで考えるか。
敬礼する兵に上の空で手を上げながら、若い頃の事をぼんやりと思い出していた。
レプゼント三公
北の要ガゼルト、王都デイカント、南の要ルンカトに設定された貴族最高位。古くは王の代理として側近中の側近が就いた太守という要職でもある。そこから貴族の位階となった。中央統括公の位階のみ特別であり、その爵位は玉座の間に付随する。現在では個人というよりザンバル家、リンツ家、バランダル家に与えられた爵位も同然となっている。




