王国御前試合 4
広大な敷地。
鉄柵とその向こうに見える緑に覆われた公爵邸は、相変わらず違和感を覚える程広大だ。
街中に穴が開いたようなその屋敷を囲む王国兵の警備に止められる事無く、ガゼルト公爵の紋章付きの馬車が門を通り抜けていく。
「緊張されますかな」
「勿論です、ボレウス伯。私のような者には過分すぎて。お招きいただけるなど、今でもこれは本当だろうかと思ってしまいます」
ようやく一歩踏み込めた。
しかし屋敷の間取りを知った所で意味は無い。
うーん緊張するな。
そこはボレウス伯の指摘通りだ。
とてつもない高級馬車がでかい屋敷の玄関前に止まる。使用人が馬車の扉を開け、メイド達が頭を下げて出迎えてくれた。
やっぱり慣れないね、こういうの。
「ボレウス伯、ラスター様、どうぞこちらへ」
執事らしき人間が俺を慇懃な態度で誘ってくれ、メイドが二人で巨大な玄関扉を左右に引き、中の様子を俺に見せてくれる。
意外だ。
思った程豪華絢爛では無い。
いや勿論凄いよ。
だけどラ・ゼペスタを見慣れた俺からすればそれ程でもない。
単に金ぴか趣味じゃないってだけかもしれないけど。石材やなんかは品良く磨き上げられ、王都のハイン劇場の持つ雰囲気に近いかな。
有り難く探知で探らせて貰おう。
まあでも大して役立つ情報が得られる訳じゃないけどね。ここにロイ達を送り込む……いかんいかん、考えないようにしておこう。
広い屋敷を進み、ラスターは一人の男が待つ場所へと案内される。
涼やかな顔立ちをした男。
いかにも貴族だが、随分若く見える。
「初めまして、ラスター殿。私はガゼルト伯爵メッサー・タナスだ」
「お初にお目にかかります、ガゼルト伯。ラスター・セロンと申します」
応接室だろうか。
広すぎて良く分からないが、きっとそうなのだろうとラスターは思う。
観葉植物や楽器などがあしらわれているが、ソファーやテーブルの配置を見ればおそらくそうだろう。
「珍しいかな?」
「あ、いえ、失礼致しました」
思わず目で確認してしまったラスターを目敏いメッサーは見逃さない。
「ここは私がガゼルト公よりいただいている私室だ」
ラスターは何と返して良いか分からない。
何せ芝生の庭に面した一面硝子張りの壁、呆れる程広いこの空間が個人の部屋だなどと。
しかも応接室だと思った程に生活感が無いのだ。ベッドなど見当たらない。
「それは……驚きました」
「楽器かな? この植物かな?」
「いえ。全てと言いましょうか……広さから何から私には驚きばかりで」
メッサーが楽しげに笑う。
「普段貴族しか来ないものでね。正直な感想を聞くのは久しぶりだよ。座ると良い」
ボレウス伯爵に倣い、ラスターもその横に腰掛ける。適度な弾力の硬めの白い布張りのソファーには染み一つない。
「ついでにもう一つ聞いても良いかな? どうだろう、この屋敷を見た感想は」
「予想よりも落ち着いていたと言いますか。建材から構造まで素晴らしいと思いますが、正直もっと分かりやすく金銀があしらわれているものかと考えておりました」
ラスターの言葉に二人とも愉快そうな声を上げる。失礼な事を言ってしまったかと思い、慌てて小さく頭を下げた。
「いや、構わないとも。実に正直だね」
「申し訳ありません、礼儀がなっておらず」
「気にする必要は無い、ラスター君」
「もう一つ、庭が素晴らしいですね。これ程美しく手入れされている庭は見た事がありません」
「気に入ってくれたか。美しいだろう」
「ええ。こうした庭が街中にもあれば人々の憩いの場所となるでしょうね」
これは純粋にそう思った事を口にしたまでだ。
「ガゼルトはカーク様、北部領主であられるガゼルト公がお作りになった都市と言っても過言ではない」
ボレウス伯爵がやや硬い口調でそう告げる。
まるで批判したかのような発言であった事に気付いたラスターはすぐに謝罪する。
「失礼致しました、お許しを」
「何、気にする事はない。ボレウス伯はガゼルトを愛するがあまり言ってしまったが、カーク様がお作りになったなどそれこそ失言。この都市は陛下からの預かりものであり、我々はただそこを守っているにすぎない」
メッサーは顔こそ穏やかで笑みすら浮かべているが、その目はじっとボレウス伯爵を見据えている。己こそとてつもない失言をしてしまったのだという事に気付いたボレウス伯爵が今度は青ざめることとなった。
「っ、その、通りだ。言葉を間違えましたな」
ボレウス伯爵の顔が強張る。
メッサーはこういったミスを一際嫌う。
無論主であるカークも傷になりかねないこうした失言は許していない。
(しまった……私としたことが)
前日のやり取り。
ラスターが自分を売り込んできているというロッカ男爵とペリーモ伯爵の会話が尾を引いていたせいか、無用に引き締めようと思い口を滑らせてしまった。
「ラスター殿、今のは聞かなかった事にしていただけないだろうか?」
「申し訳ありませんガゼルト伯。ついうっかり聞き逃してしまいました」
「感謝する」
ボレウス伯爵が拳を握る気配をラスターは感じる。どうにも貴族は大変だ、と心の中で肩を竦めた。
「ああ、ボレウス伯。申し訳ありませんが書斎に行って例の書類を片付けていただけませんか? すぐにやらねばならなくなったのを忘れておりました」
暗に出て行け、と言っているのだろう。
では、と挨拶を残し退出していくボレウス伯爵。束の間の張り詰めた空気。
「みっともない所をお見せしたね」
「私には何も」
メッサーはなんでもない口調だ。
元より柔和な態度はいささかも崩れてなどいなかったが、今見せた僅かなやり取りとこの態度が、メッサーがどの程度の立場にいるのかラスターに十二分に教えてくれる。
エルザから聞いていた通り、やはりこの男こそが側近中の側近なのだと。
「街中の庭か。最近増えてきているね」
「大人も喜ぶ公園のようなものでしょうか」
「確かに分かる話だ。緑は人の心を癒す」
硝子張りの壁から庭の芝生に目を向けていた二人だったが、メッサーが向き直る。
「では人の憩いの場所を作る利点とは?」
ラスターに質問が浴びせられる。
ひどく難しい質問だ。
これは試験だ、とラスターはスイッチを切り替えじっと考え込む。ここでボレウス伯爵のように追い払われれば再びこんな機会を得るのは難しいだろう。
「それは行政としての、という意味でしょうか」
「そうだね。私も庭を作るありきたりな意味ぐらい承知のつもりだ。様々な利点はあるだろう。しかしガゼルトにおいてはご存知の通り経済効率こそが最大の優先事項であり、カーク様が治めるこの都市は、その点においても住み心地においても両方例を見ない程優れた完成されたものだと思っている」
「それには同意致します。ガゼルトを色々見させていただきましたが、まさしくその通りだと思います」
「では先の発言は一般論という事かな?」
再びラスターが考え込む。
「失礼を承知で申し上げればやはりガゼルトにもそういった場所は必要かと」
「憩いの場はガゼルトにもある」
あの広場を見たばかりのラスターにも良く分かっている。あれ程心弾む憩いの場などそうそう無い。ガゼルトは本当に計算され尽している都市だ。
「あれは持つ者にとっての憩いの場です」
バチッ、と交わる視線がスパークしたような感覚。
はっきり喧嘩を売ってしまったも同然だ。
「誰であろうとあそこに足を踏み入れる事は自由なはずだが」
「仰る通りです」
それ以上の踏み込んだ発言はしない。
必要も無いはずだ。
「万人が喜ぶものを用意するなど神の所業だよ。庭を作ったとてそれは同じだろう」
「しかし見捨てる事とは違うはずです」
「見捨てるという言葉は聞き捨てならないが置いておこう。では何だね? 持たぬ者の憩いの場を作る利点とは」
ラスターもメッサーも遠まわしな表現で直接言及はしないが、互いに認識できていると確信を持つ。
貧民街と表現されるガゼルトの問題。
「下の者が豊かになります」
「それがガゼルトを見た君の提案かね?」
「はい」
「それで暮らしが楽になると?」
「いいえ、生活は楽にはならないでしょう」
「君の言っている事は分かるつもりだ。しかし理想論にすぎない。政治もまた万人を救う事はできない」
「だからといって」
「ただこの仕組みの将来的な脆さ、危うさには一理あるのだ、君の言っている事は」
ラスターの言葉を遮る。
「一つ提案がある」
「何でしょうか」
「今のガゼルトで貧しい者を救う事に政治的な価値は無い。はっきり言おう。今すぐにそれが必要だなどとは私も思っていない」
指を伸ばしたまま両手を合わせ、値踏みするようにラスターを見る。
「しかしそこに明確な利益があれば別だ。君が我々に利益を提供してくれるのであれば、カーク様は私が説き伏せよう」
妙な雲行きになった、とラスターは少し困惑する。
「利益ですか」
「協力して欲しい。君の要望をその見返りに叶えよう、という訳だ」
眉根をしかめ顔を斜め下に向けラスターが考え込む。
「要望を叶える、と言われましてもガゼルトの強化は決して私の利益には繋がりませんが」
「何、君の名前で公共事業として行えばいい。名声は手に入る」
「名声など望んでおりません」
「勿論金でも構わない。ボレウス伯に変わって今私が約束しよう。元々そのつもりでここに来たのだろう?」
「確かにそうですが」
「余人を交えずここで決めてしまえばいい。君の望む報酬や改革は与える。君がどれだけのものを我々にもたらしてくれるか、それ次第で与えると確約する」
展開としてはラスターがそういったものを求めてここに来たのは間違いない。
しかしこうもはっきりと条件付きで対価を差し出せと迫られてしまえば、情報を得る為にのらりくらりとやっていく事が難しくなってしまった。
上手く乗せられた、と歯噛みする。
メッサーは最初からこうするつもりだったのだろう。さっさと取引の形に持ち込むつもりだったに違いない。
同時に試されているのを感じる。
ここで何かを差し出せないならばそれまでの男と見切りを付けられる恐れがある。
「私をお呼びになったのはガラン商会の躍進を買われてですよね?」
「そうだ」
「ガゼルト、北部経済に一抹の利をもたらせと」
流石に難しい。
本当にそれは買い被りで、ラスターには西部の時と同じような画期的なアイデアは出せそうにない。
「すぐにでしょうか?」
「別に今すぐでなくとも構わないが時間を置けばその価値も無くなる」
メッサーの欲する派閥の餌もラスターが望む情報も即位式典を境に期限付きのようなものだ。
そこは両者一致している。
ゆるゆると時間を掛けようなど共に思っていない。
「今すぐ……」
ラスターが考えを巡らせる。
薄く笑ったメッサーが提案してくる。
「君は商人ではなく傭兵だろう? 経済を動かすのは傭兵にもできると思うが別の形を君は既に示しているはずだ」