王国御前試合 2
新王即位が迫る王宮では、やる事が多いあまりどこの部署も悲鳴を上げていた。
式典に関しては問題ない。
マディスタ共和国からの使節の受け入れやそれにまつわる雑事の態勢はとっくに出来上がっている。
派閥どうこうではなく、単純に行政としてやる事が多すぎるのだ。貴族も執政官も今度の行事はミスしましたでは済まない。確認や決定に余念が無かった。
「宰相閣下、恩赦の件ですが」
「待て、それは法務長官に委ねてある」
「では御前試合の後の外交官の」
「ああ、分かった。そこに書類を置いておいてくれないか。すまない」
ジュールの部下は面倒ごとが二つ片付いたと言わんばかりに素早く身を翻して去っていく。
そんな部下に構っている暇もジュールには無い。急いで書きかけの書類を仕上げると象牙色の文箱に投げ入れ、執務室を後にする。
慌しい王宮の政務部署が集まった部分を抜け、軍務大臣室へと向かう。
階層を警備する兵士に手を上げ、急ぎ足のままノックと同時に入室する。
「宰相殿。息が上がっておられますな」
自分より遥かに年齢を重ねたはずのミゲル・カーエン軍務大臣はいつもこうしてジュールの体力不足を指摘してくる。
文官と違い武官が多く詰めるここら一帯もこの部屋も落ち着いたもので、ジュールにしてみればならば替わってみて下さいと言ってやりたい所だ。
「カーエン候、もうお決まりになりましたでしょうか」
「いや?」
ジュールは思わず床にしゃがみこんでしまいたくなる。
暢気にやっている暇など無いと言うのに。
「どうなっているのです、軍部の会議では」
「一度出席してみてはいかがかな」
「そのような暇などありません」
ミゲルが黙って椅子に座るよう手で指し示してくる。一度唾を飲み込むと、大きく息を吐き出し座る。ミゲルが水差しから水を注いでくれたコップを受け取ると一息に呷った。
「もう時間がないのですよ」
「分かっております」
机の上で手を組んだミゲルがじっとジュールを見据える。
「では何故」
「わざわざ聞かれるまでも無いでしょう」
ネイハムの退役で空位となる東部将軍。
軍の中で紛れも無く最高位に就く人間を誰にするか、未だその決定が為されていない。
本来ならばこういう時王の意向も決め手になるが、退位する王は全てを委ねた。それぞれに近い者を将軍に押し上げたい軍上層部の貴族達は、この時になっても決定を下せないでいる。
ジュールとてそれは理解している。
何故と尋ねたのは大臣であるあなたが取りまとめて然るべきだ、という非難にも近い。
「候補は?」
「ようやく三人と言った所ですか」
「カーエン候としては?」
「誰でも構わないし誰でも務まらぬ。申し訳ないがそう言う他ないですな」
目の色を変えている文官の長としては何を悠長な事を、とも思うがミゲルがこう言うからにはよんどころ無い事情があるのだろう。これ以上仕事が増えてしまいそうな面倒は避けてしまいたかったが、放置すればそのツケが膨らむだけだと覚悟を決める。
「これ程軍部が紛糾しているのは何故ですか。できればそちらで解決していただきたかったのですが、もう時間がありません」
大公に昇ったネイハムはエインリッヒ十二世の退位と共に元老院入りする事を表明している。王都を守る東部将軍の任命は軍部の管轄だが、宰相であるジュールはそうも言っていられない。
「うむ」
ミゲルが組んだ両手の上に顎を乗せ目を閉じる。しばし考える素振りを見せた後、ゆっくりと目を開いた。
「宰相殿には負担をかけまいと黙っていたのです。できるだけこちらで解決しようと」
「それは有り難い事ですが」
「現実的なのは現在居る将軍を中央に呼び戻し、空いた場所に誰かを昇進させる案」
ジュールにも良く分かる。
妥当な案といった所だ。
「これはしかし新王即位という側面を見れば軍部としても貴族としてもあまり歓迎できません。ライノー将軍もカデフ将軍も老齢であり、西部将軍は二人より格下。先の二人は問題の先送りにしかならず、またすぐに次を選定せねばなりません。新王が任命する将軍は新たな顔が相応しいのも事実。何より王都守護将軍を簡単に取替えが効くものにはしたくありません。バランダル将軍が一年しか任官しなかった所にそれは続けたくない」
やや苦い顔でそう言った。
「次代の将軍候補は居るのでしょう?」
「無論、おります」
「そこで揉めているのですか」
「中央は王都軍から昇格させたい。ディアス王やザンバル公に媚を売りたい者は傀儡の将軍を立てたい。軍部の方針はありますが纏まりませんな」
「カーエン候がいながら何故」
「ネイハムのせいですな」
ジロリとミゲルが下げていた目線を上げジュールを睨む。はっきり言って八つ当たりだ。
「軍部にも計画はありました。序列も出来ておったのです。それが全て崩れたが故。まあ、陛下のご意思もあるので責める事はできませんが」
「しかし一年前には分かっていたはずです」
「左様ですな。カデフ将軍の跡を継ぐ予定だった将校をそのまま東部将軍にすれば良い」
「出来ないのですか」
「そこに反対意見が出ましたのでな。ネイハムとカデフの交代がすんなり行き過ぎました。今ではカデフがネイハムと通じているのは誰の目にも明らか。カデフの子飼いを東部将軍にすればネイハムの力になるだけと、ザンバル公の顔色を窺う者達が難色を示したのです」
元とはいえ軍人の怒気はジュールにとって苦手なものだ。
馬鹿者共め、と呟くミゲルに大臣の責務を果たせとは続けにくくなってしまった。
「元々南部はルフォー殿に、中央はカデフの副官に、北部は北部でときちんと計画してあったのですがな」
ミゲルが溜息と共に背もたれに体を預ける。
ここでようやくジュールにも老齢のミゲルの疲れが見えた。
目を閉じたその姿を見て諦める。
「分かりました。ではその件に関して生じる問題はこちらで何とかいたしましょう。しかしディアス様が即位する際には決めなければなりません」
「恩に着る、宰相殿」
大臣室を出たジュールは結局仕事が増えてしまった事に頭を悩ませながらも、自分にできる事はしようと真面目な性格で考える。
ミゲルはネイハムと王の間にある何かに遠慮しているのだろう。
その皺寄せを受け止めているのだ、こちらと同じように。
再び敬礼してくる警備の兵に上の空で手を上げながら考える。
義父に相談してみようか。
これまで隠居した人間に国政の話を持ち込む事を極力避けてきたが、何か良い知恵を貸してくれるかもしれない。
自分もミゲルと同じようにネイハムから全てを聞かされている訳ではないのだ。
王とネイハムはどこか自分達を巻き込まないよう遠ざけている気配がする。
元老院入りする義父なら知っている事もあるだろう。
大体押し付けてきたのは向こうが先だ。
そう思い至ったジュールは前宰相である義父に押し付ければいいと気付き、楽になった。
「宰相閣下。お戻り早々申し訳ありませんが」
執務室に戻った途端書類を抱えて待っていた部下に決裁を求められる。しかしジュールにとってはこういう仕事は苦にならない。
「ありがとうございます」
「ご苦労」
さてやるか。
晴れやかな気分でジュールは再び文箱に書類を投げ入れていく。