王国御前試合 1
登場人物紹介
ハイブ……南部領主ルンカト公爵ルフォー・バランダルの私設秘書官。ターミル人。二十七歳。
王宮より新王即位式典ならびに王国挙げての祝賀の儀の詳細が発表された。
当日国民はそれぞれの地域において新たな王国の門出を祝う事になる。
各地域行政は時間を合わせて王国中に鐘を打ち鳴らし、国民はそれに合わせて新王の名を呼び万歳三唱をする。それぞれの地域毎に祝賀の催しは委ねられているが、重要視されるのはこの部分だけだ。催しは人を集めさえすればそれでいい。
「ルフォー様、王宮からです」
ルンカト砦の執務室。
以前ネイハムが玉座としていた場所は大分様変わりしていた。机の数が増え、書類が収められた棚が壁際に並び、地図しかなかった壁はどこも何かの数字が書き込まれた表や文字が書き込まれた地図でびっしりと埋め尽くされている。
「式典か」
「ルンカトはルフォー様にお決めいただかないと」
「何故だ? 街毎に預けてある以上統一する必要もない。その時俺は王都だぞ。お前達に任せる」
「お断り致します」
全身浅黒い肌をした男が能面のような仏頂面でピシャリと言い放つ。坊主頭に近いターミル出身のやや背の低いこの男は、ルフォーが個人的に採用した秘書官の一人だ。当然公式な役職は無い。
「よせよせ、ハイブ。そんな怖い顔をしても無駄だぞ。そんな暇は俺にはない」
「駄目です」
再びハイブがにべもなく言い放つ。
目を離すとルフォーはすぐに時間を設けては傭兵達に混じって模擬戦のような事を始める。秘書官としては南部領主がそんな真似をする事を容認する訳にはいかない。
「何だお前。クビにするぞ」
「ご自由に」
ルフォーの脅しにも全く動じない。
ハイブは本心からそう言っている。乗り気で無かったハイブを無理矢理秘書官に据えたのはルフォーだ。クビにすればさっさとターミルに帰るだけだろう。
「分かった分かった。今のは無しだ。式典はそうだな、あの一座に舞でもやらせると良いだろう」
「場所はどうされるのです?」
「場所か。そうだな……下層から中層まで大通り沿いを練り歩く形が良いだろう」
どうだ、と言わんばかりにルフォーが少し顎を上向けハイブを睥睨する。
一瞬で片を付けてやったぞと。
「確かにそれならば場所の問題もありませんね。祝賀の催しとしても華やかで良いと思います」
「そうだろう」
「しかしそれだけですか?」
ハイブはやはり表情を変えない。
どうしてもルフォーを逃がす気が無いらしい。
「おいおい、式典の細かい部分などお前達で決めるものだろう。まさかそこまでやれとは言わんよな?」
「それはこちらで既に進めております」
「では何だ。お前、俺の楽しみを邪魔したいだけだろう、ん?」
ルフォーがうんざりした表情になる。
この後御前試合の為に集めた傭兵達の所に遊びに行くつもりなのだ。ハイブはそれを見抜いて阻止しようとしているに違いない。一度傭兵達の前に顔を見せてしまいさえすればハイブとておいそれとは邪魔できない。傭兵達の奮起に繋がっている事は事実だ。
「楽しみとは聞き捨てなりませんね。そんなおつもりでいたのですか?」
「何が悪い」
大げさに両手を上に上げルフォーがおどける。どうやら開き直ったらしい。
「軍務から離れた俺の唯一の楽しみだ。ああそうだ、何が悪い」
「お父上にご報告する必要がありますね」
「つまらん事を言うな。父上は笑うだけだぞ」
「ではカデフ将軍に。お暇を持て余されていると」
ここでルフォーが苦い顔になる。
ネイハムと入れ替わりで南部将軍に着任したカデフはどうやらネイハムと何か言い交わしているらしく、お目付け役のようにルフォーを絞り上げる立場にいる。
この執務室も本来なら砦を預かるカデフの居室だ。屋敷に押し込められたくないが故にルフォーが泣き落としのように譲って貰った場所という経緯がある。
「将軍は軍属だ。勝手にこちらの都合で手間をかけさせるのは道理に反している」
「お言葉ですが軍属の砦で好き放題されているのはルフォー様では?」
ぐっ、と言葉に詰まる。
公爵位継承及び領主着任と同時に退役したルフォーだが、砦の守備隊長という地位にいた時のまま我が物顔で出入りしているのは確かだ。
兵もそれを当然のように受け入れているから問題が無いだけで、実際王都に問題として提起されればルフォーの暮らしは窮屈なものになるのは間違いない。
「俺から何もかも取り上げるつもりか」
「領主におなりになる際ご納得されたと聞き及んでおりますが」
「馬鹿を言うな。俺が納得したのは退役に関してだ。貴族らしい生活をしろなどと一言も言われた覚えは無いぞ」
こういうルフォーは実に子供っぽい。
ネイハムの思った通り、政治というより規律や規範に縛られるという事に関してはどうやらルフォーはまだまだ青かったらしい。
ハイブは口うるさいが、役職という王国の制度に縛られないハイブが居なければルフォーはもっと窮屈な思いをしている事だろう。他の秘書官がその役目を負えば、立場上もっと厳しくルフォーを戒めざるを得ない。
「軍に未練がお有りですか」
少しだけハイブの能面が崩れる。
勝ったな、とルフォーはほくそ笑む。
なんだかんだ言ってハイブは甘い。
こうしてルフォーが実は心に鬱屈した思いを抱えているという所を見せれば、最終的には上手い事ハイブがお膳立てしてくれるのだ。勿論多用はできないが。
「……そう言う訳にもいかんだろう。南部領主としての責務は承知している」
全くの嘘でもない。
己の願望よりバランダル家の嫡男としての生を受け入れたのは事実だ。いずれこうなる事は覚悟していたし、退役の瞬間が来た時も三十年は好きに歩ませて貰ったという感謝しか無かった。
ただ、想像を遥かに上回り退屈だっただけで。
「ならば宜しいのです」
ハイブが少し視線をずらし一瞬何かを考える素振りを見せた。
こうなればもう安心だ。
優秀なこの男は何かしらルフォーが大手を振って砦に出入りする建前なり、傭兵と交流する理由なりを作る策を講じてくれるだろう。
一年我慢した甲斐があった、とルフォーは心の中でニンマリと笑う。
「王都の式典にご出席される際ですが」
砦の物見部分に移動したルフォーとハイブが眼下の光景を眺めながら会話を続ける。
ルンカト砦の調練場では御前試合に出場すべく集められた傭兵が武器を振っている。
王都にハイブは随行しない。
別の秘書官が付く。
公式な役職を持っていないハイブはルンカトでルフォー不在時の行政補佐に回る。
ハイブの言葉が耳を通り過ぎていく。
ルフォーは本当は王都に行きたくない。
暗い影が心を覆う。
頻繁にではないが、ディアスとは少年時代王宮庭園で共に過ごした仲だ。
貴族子弟の学問はそれぞれ家庭教師が付けられ独自に学ぶが、庭園内の学習館で行われる教育もあった。
互いに親の立場から意識し合う間柄。
べったり親しかった訳ではない。
だが高位貴族の嫡男という身分で対等に接する事ができたのはディアスをおいて他にいなかった。
十二歳でルンカトの父の元に身を寄せて以来、公爵としての実務と軍人としての勉強に明け暮れてきたが、快活な性格になったのは父とルンカト砦の影響だろうと自分では思っている。
ディアスは態度こそ公爵継嗣に相応しい堂々としたものだったが、ルフォーの目に映る二人きりの時のディアスは気の弱い穏やかな少年だった。
自分自身はあの頃からそう大きく本質が変化した訳ではないと思っているが、それでも気付かないだけでやはり変わったのだろう。ディアスも変わったに違いない。
しかしあれからディアスには会っていない。
本当に変わってしまったのか。
父と争うガゼルト公のようになってしまったのか。
ルフォーにはあの頃の思い出しかない。
いくつかある、ディアスと過ごした少年時代の記憶。小さないたずらに興じたあの頃の面影。
ただの感傷でしかないが、多分少年時代に同年代の友人として接する事ができたのは互いに一人だけだっただろう。
そのディアスを潰す。
力を持たぬ傀儡の王として封じ込める。
それがひいてはディアスの幸せにも繋がるのだと分かってはいるが。
ガゼルト公と共に専横を許せばいずれ何かが破滅するのだ。ルフォーのこの感情も些細な傷にしか過ぎず、王国民の事を考えればそれ以外無いと、思い悩んでみた所で何回決断を迫られても同じ結論にしか至らないはずだ。
それでも忸怩たる思いはある。
自分の立場は父によって守られてきたものであり、安全な場所から政敵の破滅を見守るだけ。
それも父がやる。
別にそれをどうとは今更言わないが。
護衛と監視の目を盗み、無理矢理ディアスを誘って忍び込んだ学習館長の部屋を荒らした事を思い出す。うろたえるディアスの顔が思い出され、思わず笑みが浮かぶ。
「どうなされましたか? 私の話におかしな点でもありましたか」
「いや、あの傭兵の動きがな」
感傷を吹き消す。
互いにもう大人なのだ。
下らない事を考えているのは自分だけかもしれず、それも楽な立場にいるせいというだけかもしれない。
父に何度も言われた甘いという指摘。
能力では自分の方が上だという驕りがあったが、確かに父には見抜かれていたようだ。
「俺もまだまだだな」
「お忘れください、剣を振る事は」
ハイブは剣の腕前の事だと思ったらしい。
ルフォーもハイブもふとそれを機に黙り、傭兵達の流す汗を見つめる。
「ハイブ」
「何でしょう」
「お前も色々忘れた事はあるか」
「……ありますね」
「祖国の事か」
「色々です」
また再び沈黙し、しばらく二人は佇んでいた。