北の都 24
ラ・ゼペスタのダンスホールは高い天井に壮麗な造りが施された実に優雅な空間となっている。
天井には旧時代の騎士を模した絵画が描かれ、水晶があしらわれたシャンデリアが吊り下げられている。壁の高い部分には色の付いたガラス窓が細かく配置されており、見上げる世界は実に幻想的だ。
一方で木目の床は深い濃褐色で、落ち着いた高級感に溢れている。磨き上げられ微かに景色を反射するその床は、動く人々の影を淡くなぞり、さぞやダンスの際に映えるに違いない。
壁際のテーブルにはグラスと花が飾り付けられ、大陸中から集められた最高級酒を注ぐウェイターが各テーブルに待機している。
舞台上には楽団。
華やかでありながらも静かな音楽を奏でる弦楽器の音色がホールを包む。
そしてタキシードと色とりどりのドレス。
貴族達が夫人を従え談笑している、予想通りの上流階級の集いってやつだ。
「笑顔で。楽しんでいるお顔を」
「はい」
エルザさんが微笑みながら注意してくる。
俺達はテーブルの前でウェイターからワインを受け取り、談笑している素振りで機会を待つ。
祝賀式典は思っていた以上に短かった。
カーク・ザンバルの口上も禿げ上がった貴族の演説も特にこれといった情報はもたらしてくれていない。
鋭い風貌のガゼルト公爵、カーク・ザンバルの下に次々と貴族が挨拶に向かう。
流石貴族と言おうか、並んだりする事なくスマートに入れ替わっているのは爵位やなんかで格付けがなされているからだろうか。
「楽しんでおられますかな」
「ええ。とても」
ジョゼ支配人がやって来る。
「この後ダンスも予定されております。如何ですかな、踊りの方は」
「踊りですか。何分無作法なもので」
せいぜい祭りでやるような庶民的なものを学習館でちょっとやった事があるくらいだ。
「是非とも参加されてください。おお、お越しのようです」
満面の笑みでお目当ての人物がやって来た事を伝え、迎えに歩み寄っていく。
エルザさんから指でトントンと合図が来た。
「セロンさん、ご紹介致します。ガゼルト経済会議長を務めておられますボレウス伯爵です。ボレウス伯、こちらは西部からお越しになったラスター・セロン様でございます」
「君の噂は聞いているよ」
「お目に掛かれて光栄です、ボレウス伯」
胸に手を当て礼をする。エルザさんもスカートをつまみ上げ優雅に挨拶している。
「そちらのご婦人の名前を伺っても?」
「エルザ・ベスラと申します」
「私共が雇ったメイ――」
「私のパートナーとして付き添っていただいております、ボレウス伯」
遮られたジョゼ支配人は目を白黒させている。
「ふむ。ではまずは乾杯させて貰えないかな? ご婦人もご一緒にね」
「光栄にございます」
「感謝申し上げます、ボレウス伯」
「新王の治世の安寧と繁栄を願って。乾杯」
それぞれ軽くグラスを持ち上げ口に運ぶ。
「色々と話を聞きたいと思うのだが。良かったらバルコニーでどうだね?」
誘いに従い歩き出すと、ボレウス伯が片手でジョゼ支配人を制する。
着いてこなくて良い、という意思だ。
バツの悪そうな顔をしたジョゼ支配人に「それではごゆっくり」などと追従の笑みを浮かべながら見送られバルコニーに向かう。
中庭に面したバルコニーは大理石の手すりに囲まれた立派なもので、俺が泊まった部屋とは違いやや低い位置から見る中庭はまた別種の感動を与えてくれる。
「先程は失礼したね、エルザ嬢」
「いいえ、ボレウス伯は何もそのような事はなさっておられませんわ。支配人も。私がラスター様とどのような関係か説明するのはごく当たり前の事でございます」
まあそうだけどね。
「ラスター君、君にも謝罪させて貰うよ」
「そのような事は。畏れ多い事です、ボレウス伯」
ホールから従業員が立派な椅子を三脚運んでくる。小さな丸テーブルも。
こういうサービスにも抜かりは無い。
「妻を伴っていない無礼は許して欲しい。仕事の話がしたいと思ったのでね」
「承知致しております」
「早速だが君に質問したい。興味があってね」
さあ、いよいよだ。
「私はお邪魔ではございませんか?」
「ああ、申し訳ないがしばらく席を外していただけると有り難いな、エルザ嬢」
いやあ、それはちょっと困るな。
複雑な話になった時、エルザさんが聞いていてくれれば後で俺が気付かなかった部分にも気付かせてくれるかもしれない。
「ボレウス伯、エルザさんはバルコニーの端で待たせていただいても?」
「構わないが。中で寛いでいて貰った方が良くはないかね?」
「小心者の私はエルザさんが誰かに見初められはしないかと気が気ではありませんので」
ボレウス伯が愉快そうに笑う。
「なるほど、確かにエルザ嬢が一人で壁の花となっていてはダンスの相手に誘う者も出て来るだろう。君は穏やかではいられないという訳だ」
「恥ずかしながら」
「ではそうして貰おう」
エルザさんの椅子を逆の手すり付近に運ぶ。分厚い背のついた木製の椅子だ。中庭を眺められるよう位置を調整する俺の元に中座の詫びを入れたエルザさんがやって来る。
「頑張って下さいませ」
「はい」
小声で言い交わしボレウス伯爵の待つテーブルへ戻る。
一人従業員が背を向けてバルコニーとの境に立っているのはサービスか監視か。
「君は傭兵という事だったが、西部でガラン商会に雇われているそうだね」
「はい。馬車の護衛部門で働かせていただいております」
ボレウス伯爵との面談が始まる。
俺に何を求めているのか。
難しい話が来たらどうやってお茶を濁そう。
「なるほどなるほど。一般傭兵ならではの知恵という訳だ」
「知恵などと大層なものではありませんが」
話は西部のガラン商会、俺が何故そこに一枚噛んでいるのかの説明をした所だ。
特に商会にとって不利益な情報となるような話はしていないはず。
「それで君の言う、偶々というものだがね。状況がそうなっていただけというのはどういう事かな。ただの謙遜かな、それとも本音かな」
少し考える。
何故などと俺自身あまり考えた事は無い。
俺がガラン商会の役に立てたのは偶々だ。
ただ一応説明できる事もある。
「田舎だったから、というのですかね」
「うん? 分かりやすく教えて貰いたいな」
「はい。西部が発展していなかったから、と言ったら私などが何を偉そうにと言われそうですが」
「ふむ。それで?」
「軍の規制による規律というのでしょうか、自由だった場所に新しい仕組みを受け入れる為の土壌が出来上がった事。これが運だと思います。個人的な話になりますとガラン商会から声を掛けられた事もそうですが」
「特別優れた何かを作り出したとは我々も思っていません。ただ最初が我々であっただけで。そういう意味ではこれも運でしょうか」
パンパン、と僅か二回の拍手が起きる。見方によっては小馬鹿にしたような拍手だが、そこには小さな賞賛が確かに込められていると感じられた。
「君は良い商人になれるよ。ただ幸運でしかないと思う事は謙虚さと向上心の表れだと私は思う。己を誇る者よりそういった人間の方が信頼も得られる」
「どうでしょうか。私は本当にただ傭兵としての仕事しかしておりませんので」
「君がそう思う事は否定しない。だが周りの者がそう評価すればそれが事実となる」
でもそれは実際俺を見ていない人間の評価だと思うんだけどな。
まあいいけど。
しかしあれだ。
北部貴族に関して俺は汚れたイメージしか持っていなかったがどうも調子が狂う。
まだ表面的な態度しか見せていないからかもしれないが、クローハン商会のバルジ会長といいボレウス伯といい、随分とまともな人間のように思える。
そこに近付く気配。
ホールの方に目をやると、カジノで会ったクローハン商会のバルジ会長の姿があった。
「お邪魔しても宜しいですかな」
「バルジ会長。ラスター君、こちらは」
「ああ、ボレウス伯、折角のご紹介を遮ってしまい申し訳ありませんが。彼には直に自己紹介しなければいけない理由がございまして」
「ほう、何ですかな」
「昼間にカジノで顔を合わせておりましてな。そこで名乗りもしなかったものですから、二度目はせめて自ら名乗らなければ不躾かと」
「そうでしたか」
「クローハン商会のバルジと言う。よろしく」
「ラスター・セロンと申します」
バルジ会長と握手を交わす。
背後でエルザさんが立ち上がり目礼しているのを感じる。バルジ会長も一度ニコリと微笑みそちらに手を上げた。
「まさか君が噂の西部の傭兵だったとはね」
「噂などと」
「ボレウス伯、彼は只者ではありませんぞ。僅か一勝負で話題を攫った猛者です」
「ほほう」
二人がカジノの話を始めた。
どうやらバルジ会長の耳にも入る程、あのポーカー勝負は話題になっていたらしい。
なんでだろう。