北の都 22
ポーカーテーブルに人が集まり始めていた。
今まで滅多に見る事の無かった展開に歓声が上がった為一階フロアの熱が上昇している。
二ターン目途中にして三回もマックスレイズが飛び出すなどこのフロアでは長い事ない。
レッドチップオンリー勝負。
レート千ジェルのイエローチップならばそんな展開も有るが、レッドチップでこんな勝負が繰り広げられるとは一体――。
人々は卓に着いた勝負師達に視線を送る。
ディーラーは言わずと知れた猛者。右端のイエローチップの男は勝負から降りている。
中央はキーン・アーチ子爵。
納得の男だ。
ではこの二人に割って入る左側の男は。
――これまた納得だ。
流行のブランドジャケットにネクタイ、輝く懐中時計にアクセントのハンカチ。
まだ若いハイローラー。
人々は一瞬で納得する。
ニューフェイスとベテランの取っ組み合い。
固唾を呑んで見守る。
勝つのは誰だ、と熱くなりながら。
ディーラーの目に映る二人の男。
子爵の考えなどお見通しだ。
自分にハイタッチを求めてきている。
――ドロップして若造と勝負しなよ、と。
こちらは後回しでいい。
問題はこちらだ。時間は限られている。
長年の経験からカードを前にした人間の心理など手に取るように分かる。
慎重になっているのか。
焦っているのか。
深く考えていないのか。
はたまた大きく勝とうとしているのか。
ディーラーの基本。
それは勿論リスクコントロールだ。
チップの駆け引きさえ失敗しなければ手役は絶対有利だ、負け越す事などほとんど無いと言っていい。
だが一戦一戦に限れば話は別だ。
有利とはいえ必ず手役が上回る保証などない。
プレイヤーに手が入れば負ける。
だから重要なのは大きく勝たせないためにどこでドロップを選択するかだ。それがディーラーの基本。
新顔をもう一度観察する。
険のある目つき、場慣れした服装。
一見してカジノ荒しと思える。
レッドチップのみ、それもたった十七枚という生意気な挑戦状を叩きつけてきた見知らぬ男。
ディーラーは与えられた時間を使いもう一度深く観察する。
子爵のレイズに釣られるような素振りのレイズ。
考える。
このターンで見抜くべきポイントはたった一つだけでいい。
場は既に注目の的となっている。
初戦から大勝させてはインペリアホールの沽券に関わって来るかもしれない。
観衆は強者として知られる自分が新顔を打ち負かす事を望んでいるのか。
相手を見抜け。
考えろ。
正解を導き出せ。
自分はこの一階の顔とも言えるテーブルを預かる男だ――。
固唾を呑んでディーラーのドローを見守る観衆。
「レイズ」
おおっ、と先に倍するどよめきが上がる。
ディーラーの選択は、両者へのマックスレイズ。こちらも一歩も引かない。
「すげえ……最高レートで」
「まさか全員手が入ってるのか?」
「ブラフで行けないだろここまで」
「いや、そういう世界だよ」
「最初のコール以降、全部マックスレイズだ。駆け引きなのかどうか俺にはもう理解できん」
遠くからひそひそと聞こえてくる。
駆け引きはもう放棄したんだ、残念だったな。
「最終ターンです」
カードが配られてくる。
俺のやる事は簡単だ。
新たなカードを一瞬確認するだけでいい。
「レイズ」
ネクストに手元のチップを一枚だけ残して全部置く。
負けて勝つ。
それでいい。子爵の印象にさえ残れば仕事としては果たした事になるのだから。
「レイズ」
アーチ子爵も続く。
最初に親がコールで受けた分、俺よりベット総額は僅かに少ないが迫力充分。
にしてもテーブルに乗ったチップは全部で何枚かな……六十枚くらいか。
六十万ジェル乗ってるとはね。
馬鹿げた遊びだ。
エルザさんにグラスを催促する。
ま、せいぜい酒で元を取らせて貰おう。
最終ターン、プレイヤーの選択は両者共に超速のマックスレイズ。手役勝負要求、致死の間合いでやり合おうじゃないかという覚悟の宣言。ディーラーへの圧力。
この速さが駆け引きなのかどうか、最早一階に居る観客には判断できない。
決着の時。膨れ上がったチップの行方はディーラーの判断次第で決まる。
最後のドロー、ディーラーはレイズできない。
プレイヤーのベットを受けて手役勝負を選択するか最後のレイズを受けずに敗北宣言するかだ。
受けるか。降りるか。
両者のレイズを捌くディーラーに注目が集まる。
この宣言次第ではその瞬間勝者と敗者が決する可能性があるのだ。一瞬たりとも見逃したくない。
もしここに歴戦のハイローラーが居れば気付いただろう。ディーラーの気配が緩んだ事に。勝利を確信した雰囲気に変わった事に。
一瞬ディーラーが微笑む。
それは誰にも気付かれない。
目の奥だけで笑った。
美しい手付きで赤いチップを両手に取る。
「コール」
おおおおお、と一階ホールがどよめく。
ディーラーが受けた。同額のチップが積まれる。
十六万ジェルと十四万ジェルの手役勝負が成立した。一階のこのポーカーテーブルでは大勝負中の大勝負となった。
この勝負、完全な形で決着が付く。
このレートでマックスレイズの応酬から二者手役勝負など滅多に拝めない。
どうなる。
どうなる。
ディーラーが手役を開示する。
今まさにオープンの発声が――の前に。
「水を差すようで申し訳ない。ルールには違反するが私から開けても構わないかね?」
アーチ子爵から待ったが掛かる。
その顔は苦い笑いを浮かべている。
「この勝負、道化に前座を務めさせていただきたいと思ってね」
「いかがでしょうか?」
「別に構いません」
ディーラーと若きハイローラーの了承を受けアーチ子爵が手札を開ける。
「残念ながら手役無しだ」
溜息が漏れる。
ブラフをやり切った。
ディーラーが手札を開ける。
「ツーペアです」
一斉に拍手が巻き起こる。
誰の顔にも好意的な笑みが浮かぶ。
負けはしたが熱の篭もった良い勝負を見せて貰ったと、アーチ子爵に惜しみなく送られる賛辞。
子爵も手を上げて周囲の観客に応える。
その顔もまた笑顔だ。
「諸君、私は負けてしまったが彼はどうかな?」
拍手が鳴り止み、再び視線が集まる。
ゴクリと誰かが喉を鳴らした。
この場にそぐわない自信無さ気な、縮こまったような態度をテーブルについた最後の男が取ったように見えたのは気のせいだろう。
スローモーションの如く手札が開示される。
最後の瞬間。
「プレイヤーの勝ち。お見事です」
わあっと歓声が広がり、万雷の拍手が巻き起こった。楽団も中断していた演奏を始め、勝利を称える音楽が賑やかに流れ出す。グラスを受け取り乾杯をする姿もあちこちにある。
敗れた子爵が立ち上がり、勝者に握手を求め、勝者もまた謙虚な態度でそれに応じる。
ある種の感動が生まれていた。
「名前を聞いても? 私はキーン・アーチだ。子爵の位を戴いている」
「ラスター・セロンと申します」
拍手喝采の中、熱戦を繰り広げた両者が何か耳元に口を近付け話している。
きっと互いの健闘を称え合っているのだろう。
「君のおかげで実に良い勝負ができた。負けはしたが満足だよ、礼を言わせてくれ」
「そのような。私こそアーチ子爵と同席させていただけて光栄です」
ディーラーも従業員も笑顔で拍手していた。
こうして一勝負限りに終わったポーカーだったが、名勝負としてその日のホールの話題を独占した。
アーチ子爵は席を立ったし、勝ち逃げはまずいと思ったラスターが熱に浮かされた観客の誘いを受け再びテーブルに着こうとするも、
「一勝負限りというお約束だったはずです」
というエルザの機転によってまた席を立ったからだ。幕引きとしては綺麗な形だっただろう。
長く尾を引く勝負の余韻が、その日インペリアホールに充満し続けていた。
余話。
キーン・アーチという男~
キーン・アーチは本当に満足していた。
どれだけ悔しがる相手の顔を見て悦に入ろうとも、今日程満足した日は無かったからだ。
注目と喝采、賞賛。
無論勝って得る満足感とは違う。
勝者には自分以上の賞賛が贈られていた。
しかし自分が得たいと思っていたのはこれだったのだと気付いた。
勝ち負けを超えた所にあるもの。
いや、むしろ自分が敗者の立場に居たからこそ得られた感動だ。自分なら負けても痛くない。同席者が負けていたならその顔にはやはりどこかに暗い影が漂っただろう。
つまり良い負け方をした。
そう感じていた。
こうして足取り軽くホールを出たキーンだったが。
これは後年、大分経ってからの話だ。
彼はこの日以来、勝利にこだわらず結果負けるという事を繰り返し逼塞する事になる。落ちぶれた弱小貴族の取り巻きはやがて居なくなり、寂れた賭場で小さな賭けに興じる彼の姿を見るようになった。
北部貴族の間ではそこそこ知られた名うてのギャンブラーの末路だ。
しかし彼を知る人間はこう言う。
まるで人が変わったようだった。
勝利を素直に喜び敗北もまた素直に受け入れ勝者敗者の別無く称えるようになった彼は、気の合う仲間に囲まれ満足そうに暮らしていたと。
インペリアホール従業員休憩室~
「初手からのレイズは駆け引きですか?」
「そうだね」
ディーラーと女性従業員が会話している。
彼女にとってその日話すべき事はこれしか無い。
目標とする男が何故敗れてしまったのか。
レイズを仕掛け続けたのは?
最後手役が勝っていると判断したのは?
気になって仕事が手に付かなかった。
「何故あそこでコールしたんですか?」
ドロップすれば敗北ではない。
一本譲っただけの事で、ある意味読み勝ちと言える。あの若い男の手札は晒される事はなかった。
手役勝負での敗北。
それこそがディーラーの真なる敗北。
適度に客に花を持たせるのとあれは明らかに違ったはずだ。彼女はどうしても納得が行かなかった。この尊敬するディ-ラーがあそこまで集中していたにも関わらず読み間違いするなど。
「あの若い方はそれ程お強かったのですか」
「いや、彼に手が入っていた事は読めていたよ」
「では何故?」
女性従業員の驚きも納得だ。
インペリアホールでも有数のディーラーである彼は、実力者だからこそ一階を任されている。
一番客を遊ばせる腕を持っているし、ああいうカジノ荒しのようなお帰り願いたい手合いからレートの低い一階の一般客を守る事ができるからだ。
もしあの男が他の、プレイヤー同士で競う要素の強いテーブルに着くような事になれば、英雄との記念に一般客はこぞってあの男の餌食になりに行ったはず。
ではあの男を強気のレイズで屈服させる事に失敗したという事なのだろうか?
「うーん、そうだね、あえて言うなら確信していたからだよ。彼らは決して降りないとね」
「……どういう事でしょうか」
「今日の一階の売り上げは?」
「え?」
この調子では彼女がディーラーになれる日はまだ遠そうだ、とディーラーは肩を竦める。
「つまりそういう事だよ」
「わざと負けに行ったという事でしょうか」
「そうじゃない。勝とうが負けようが最高の勝負さえ成立させればホールとしては大勝利という事だ」
ここで女性従業員はようやく得心がいく。
あんなレートの大勝負の機会は滅多にない。
そうか。
負けても良かったのだ。
レートを上げる事こそ重要。
勝ち負けだけ計算していてはあの熱は決して生み出す事はできないのだと。
ドロップこそ悪手。
最高レートでマックスレイズを仕掛け続けてくる客が二人同時になど滅多に無いのだから。
敗北という不名誉とレッドチップ十八枚の損失こそあれど得た利益は計り知れない。
理解すると同時に改めてベテランディーラーを尊敬する事になる。やはり凄い男だと。
しかしディーラーにはもう一つ理由があった。カジノ荒しを英雄にしても勝利できると思った理由が。
彼は最初から気付いていた。
ラスターがただの素人だと。
最初こそ初戦からマックスレートで仕掛けて来た事や場慣れしたその格好にすわ手練れかと警戒したものの、拙い手付きや自信無さ気な素振りは油断を誘うブラフでは無いと見抜いていた。
二ターン目のドローで考えたのはドロップされないかどうか。
戦う気配のようなものの無さ。
勝負に拘泥しない空虚さ。
はっきりと感じた。バルジ会長と同種の、勝負を投げた者の気配。
そこで思考を切り替えたのだ。
今言ったように大勝負を成立させる事。
それ自体が勝利だと。
ならば必然的に、基本中の基本。ディーラーに求められるものの一つが浮かび上がってくる。
初心者には気持ち良く勝ってお帰りいただく。
それこそが常連を生み出す最初のディールだよ。
胸の内でニヤリと呟く。
これは女性従業員には伝えていない。
良いディーラーになる為にはそこにも自分で気付く必要があるのだ。精進したまえ。
しかし彼もまた気付いていない。
その思惑が意味の無いものである事に。
勝負の感動も何も無く、ポーカーなどやるもんじゃないなと、今日一番の役者であった当の本人は思っているのだから。