表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

178/197

北の都 11

 ポケットに手を突っ込みながら歩く。

 アキームが昔は良く友人と駆けていた場所。


 今じゃどこに行ったのかも分からない。

 中心部に行ったのか、ガゼルトから出て行ったのか。とにかく過去はもう無い。実に有り難い。


 腹減ったな、ちくしょう。


 太陽が昇っている間は時間を潰す以外やりようが無く、イライラしながら空腹を抱え、しかし歩く以外に出来る事も無い。

 これができる精一杯の気晴らしだ。



 いつまでもあんなもん着やがって。


 母親の顔を見たのも苛立つ原因だろう。

 それを認めるのも癪だ。



 

 うろついていると、少し先に薄汚れた子供。

 驚く程粗末な襤褸切れを着ている。

 が、アキームやここの住人には特別どうという存在でもない。見慣れた光景。


 一歩間違えればああなっていたかもしれない。

 そう思うと多少は感じるものもあるが、だからと言ってアキームに何かできる事など無い。しようという気になった事もないのだが。


 そんないつもなら無視する存在が目に入ったのは気付いたからだ。


 離れて前を行く高級そうな身なりの男。

 何気なく着いて行く子供の素振り。

 良く分かる。


 何せアキームには山のように覚えがある。

 サンティス傭兵団の連中から仕込まれた。

 奴らはもっと上手いが。


 

 馬鹿なガキだ。


 場所が悪すぎら。

 狙うなら商店街なんかの人混みでやるもんだ。

 一発教えでも説いてやりたい。


 ここでもやれない事は無いがわざわざここでやるくらいならもっと良いとこ行けってんだ。


 ま、あんな汚ぇガキが商店街にいりゃ即叩き出されるだろうがな。

 ご愁傷様。


 

 これ以上無い暇つぶしを見つけたアキームはニヤニヤしながら事の成り行きを見守る事にする。

 

 夕暮れ時でまあ時間としては悪くない。

 上手く行けば拍手喝采。

 失敗すればそれもまた一興。


 何より子供の目の付け所は悪くないのだ。

 こんな場所をあんな格好で一人でうろつくなどどう考えても観光客。

 たまに居る物好きだ。


 北部の人間じゃないな。

 地元の奴ならガゼルト外周の住宅街の治安の悪さは皆知っている。

 金を持ってる奴がふらふらしたりしない。


 それにだ。

 上手くいきゃあ漁夫の利にありつけるってもんよ。



 失敗して隙が出来るかもしれず、上手くいけば子供から巻き上げる事もできると考える。本当にアキームがそれをしようと思っているかは分からないが。


 暇つぶしの思考か本心か。

 とにかくアキームは着いて行く。






 段々イライラしてくる。

 いつまでくっついてんだクソガキが。


 中々子供が動かない。

 それ程長い距離を歩いた訳ではないが、アキームにしてみれば下手すぎる。

 獲物を見定めたら長い時間を掛けるのは厳禁だ。何も分かっていない。


 石でも投げてやろうかと思った時、カモの男が足を止めた。動く気配。ようやくか、と思う。


 子供の動きが変わった。

 リスのような細かな速い足取り。


 思わず舌打ちする。

 ど下手が。

 そんなバレバレの動きしてどうすんだ。


 が、アキームの予想は外れる。



「ご、ごめんなさい」

「…………いや、いいよ、気にしないで。立ち止まったのはこっちだから」


 確かに見た。

 男のポケットから何かまでは分からないが抜き取った。狩りは成功だ。


 外れた予想はそこではない。



 蹴りでも入れて怒鳴りつけ、子供が逃げ出す。

 予想していたのはそんな結末だった。

 だが男はそれどころかぶつかって来た臭くて汚れた存在を気遣う始末。


 しかも男が想像以上にかなり若い。

 一流の服からてっきりそこそこの年齢と思い込んでいたのだが。

 どこのボンボンだ?


 そして、更に。


 これはそもそも予想もしていなかった。


 男が子供の去った方を見ている。

 子供が抜き取ったポケットを撫でながら。


 気付いているのだ。なのに黙って行かせるなど、アキームにそんな結末など予想しようもない。




 目の前で起こった異質な出来事に目を見張り、思わず呆然とする。

 こりゃ一体どういうこった。

 理解できず混乱する。


 そこに更なる追い討ち。アキームにとって、ここまで来るともう天変地異だ。


「おい。アンタちょっと来いよ」


 何故か自分が声を掛けられるという事態。


「え? お、俺か?」


 あまりの訳の分からなさ。

 ボンボンの顔は見れば分かる。

 怒っているのだ、何故か。アキームに対して。


 目に怒りを湛えた男はアキームより身長はやや低い。が、腕を掴まれて分かった。

 ただの金持ちではない。

 予想もしなかった力強さがある。


 アキームは元傭兵だが、はっきり言って傭兵と言うのもおこがましい。

 磨いたのはゴロツキの腕くらいで、まともな傭兵稼業などしていないのだ。


 サンティス傭兵団から発行された資格証明など偽物と言っても良い。返納する最低ランクのカードに何の未練も価値も感じなかった程に、意味が無い。


 振り払おうとしたが許されず、路地へと引きずり込まれる。






「アンタがやらせたのか?」

「はぁ!?」


 とんでもない誤解。

 一体何なのだ、この迷惑な男は。


 アキームも流石にムカッとくる。


「アホかてめぇ。言い掛かりも大概にしとけよ」


 言い終わると同時に怒りがどんどん込み上げてくる。一瞬動揺した自分にも、男にも。


 明らかに卸したての高級品。アキームより若いだろう。大した苦労も知らないはずの若造。


 クソ野郎が。

 俺がやらせただと?

 偉そうにしやがって。


 ちょっと来い、だと。

 なんでお前みたいなのに俺が良いようにされなきゃいけねえんだ。お前らみたいな、薄汚ねえ事やらせてる連中が、俺達の苦労も何も知らない奴が――。



 逃げる気にはなれない。

 静かにこちらを見てくる目が怒りを加速させる。


「おい。金持ってるから偉いとでも思ってんのか? 勘違いすんなよ。てめぇは何の証拠も無しになんだってそんな事が言えんだ、あぁ!?」


 ぶちのめしてやりたい。

 そう思う程頭に血が昇る。

 金が有るから何なんだよ。


 何でこんな路地でも偉そうにしてられんだよ。

 どんな思い上がりだ。

 金持ちには皆頭を下げると思ってんのか?

 奴隷か何かと勘違いしてやがんのか!



 だが、男が言い放つ。


「あの子の後ろからずっと着いて来てたよな、アンタ。あの子にやれって言ったのアンタじゃないのか」


 沸騰する血がピタリと止まる。

 その言葉だけは事実だ。

 確かにそう思われても仕方ない状況だ。

 だが見ていなかったはず。


「は? そうじゃねえよ。俺はあんなガキの事なんか知らねえぞ。俺が言ったんじゃねえ」


 くそっ。

 我ながら絵に描いたような言い訳くさい言葉。


「大体俺が歩いてたからってそれが何だってんだよ。決め付けんな」

「だけど見てたんだよな。あんな子供がする事を。アンタ気付いてたんだろ」


 聞き逃せない言葉。

 再び沸騰し始める。


「てめぇ……何様のつもりだよ。あんなガキなんざそこら中に居る。神父気取りかよ」


 お前らだろうが。

 あんなガキにそんな真似させてんのは。

 口だけは立派なフリしやがって。


 どの口が綺麗事ほざいてやがる。

 見てただと。

 可哀想な子供だと。


 じゃあてめえが何かしてやったのか。

 あんなガキが居るのは俺達に盗みやなんかをさせてるてめぇらが、美味いもんばっか食ってるその口で、汚いもの見るようなその目はなんだ、ふざけんじゃねえ!


 沸騰し続けた血がプツンと頭のどこかを切った。


 


 アキームは長年溜め込んだ怒りをいつかぶつけてやりたかったのだろう。

 自分達が這いずっている上空で、自分達を踏みつけている事に気が付かない連中に。


 死んでいった父。

 この街にしがみつく母。

 出ていけない自分。


 全部誰のせいでもない。それは分かっている。

 父が死んだのも一攫千金を夢見て諦め切れなかった本人のせいだ。


 母と自分も言うなれば父のせいだ。

 そして今は努力を放棄した自分のせいだ。


 それでも。

 

 言葉で言い表せない子供時代からの思いが渦を巻き、怒りと共に吐き出される。

 濁流のようにぶつける。

 どうしても許せなかった。


 子供を黙って見ていた。

 そんな指摘を初めてされた後ろ暗さがプライドを揺さぶっている事には気付かないフリをする。


 日陰で生き続ける日々。

 目の前の男はアキームの居る日陰に足を踏み入れた、初めて対面した存在だった。


 レンガに吐き続けた鬱屈が堰を切る。

 同じ下流の人間にならまだ我慢できた。


 しかしこいつらは我慢できない。目を背けるだけならまだしも、正面からクズと罵られるなど。何故それを言うのがお前なんだ。何故母や周りの同じ人間で無かった。



 何も違いなど無い。

 自分とお前達にある違いなど財布の中身だけだ。


 あの頃の俺とお前らに、絶対に、何も違いなんか無かったはずだ、と。


 アキームが一生言う事は無く死んでいくだろうと思っていた、支離滅裂な嘆きが路地に響き渡る。

 それを聞いているのはレンガと男だけで、止める者も馬鹿にする者も居なかった。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ