北の都 7
領主館である、ガゼルト公爵邸。
上空から俯瞰で見れば、その敷地の広大さがはっきり分かるはずだ。
つまり外からではなかなか把握できない。
「例の傭兵が到着したそうです」
「そうか」
報告を受けたのはガゼルト伯爵。
切れ長の目を持つ男、メッサー・タナス。
ガゼルト公爵カーク・ザンバルの懐刀。
現在この屋敷の主は不在にしている。
二日後に催される、ディアス・ザンバル新王即位を祝した前祝いのパーティーに合わせて王都から帰還する手筈となっている。
「お会いになられますか?」
メッサーが一考する。
「やめておこう。下手に手を出して万が一ヘソでも曲げられたら事だ。カーク様がご到着されるまではあちらに任せておく方がいい」
「ジョゼ・マイヤーですか。大丈夫ですかね?」
「太鼓持ちは得意な男だ。カーク様直々に命じられた事であるし、必死にやるだろうよ」
領主自ら直々に命じられたにも関わらず、田舎傭兵など簡単に転ぶだろうと招待状だけ送りつけてのんびりとしていた男だ。
メッサーがきちんと確認していなかったら今頃青くなっていた事だろう。その程度の男だが、それをメッサーが本人に向かって口にする事はない。
恩だけ売っておけばいい。
脅したり貶めたりは他の者にやらせる。
「二日後の段取りですが。バデン将軍からはやはり返事は無いようです」
「いい。放っておけ」
北部挙げてのパーティーは、派閥の士気高揚とディアス・ザンバル即位後の貴族達の要望をカークが直接聞く為でもある、と告げている。
つまり餌だ。
最後の詰めとでも言うべき、派閥の長のポーズ。
しっかり着いてくれば報酬が確約されているぞと、そういう姿を見せるだけの場でしかない。
何しろ肝心のディアスは王都に居る。
主役不在、新王不在の即位祝賀パーティーに、その日の内にこぞって貴族達が参加表明したのはメッサーにはお笑いでしかない。
まあ、メッサーとて同じ立場であれば喜んで道化を演じただろうが。
「こちらの意思は伝えたのだ。どうせ最初から返事など期待していない」
北部将軍ライノー・バデンと北部軍。
メッサーに取って忌々しい存在。
軍の規律と切り捨て領主からの要請、無視こそしないが最低限の要請しか聞き入れない。
王都は何故かこの老将軍を重用している。
色々策も弄してみたがすぐに無駄だと悟った。
しかし逆に言えば余計な事も一切しないので計算はできる存在でもある。ガゼルト行政として無用な治安維持の介入や街道・都市の検閲など、必要無いと通達すればあくまで軍規の範囲内でしかやらない。
領主に従わない軍とは何なのだ、と思いながらも付き合っていくしかない。
「畏まりました。傭兵の方は放っておいても?」
「商人崩れの男か……自由にさせておけ。ガゼルトを見た方が商売の案も出るだろう」
「ではそのように」
美しく刈り込まれた庭の芝に目をやる。
池は澄んだ水を湛え、樹木は均整が取れている。
メッサーの理想はこの庭だ。
見渡せばどこがおかしいか一目で分かる。
庭師に言い付ければたちまち綺麗になる。
この国もそうであれば楽だが、と思うがそう簡単に思うように行くはずがない。
そんな事は百も承知だ。
今度の庭師が役に立つ男であればいいが、とメッサーは二日後に向けて思案を始める。
カン、カン、と硬質な音が通りに響く。
ガゼルト独自の時を告げる鐘。
鐘と言ったが教会のそれとは違い、金属片を打ち合わせたような乾いた音。
日に三度鳴るらしい。
つまり今は十五時という事になる。
九時、十二時、十五時に鳴ると書いてあった。
「どうするかな……」
密偵と言われても何をどう始めるかまだ一切良い案が浮かんでこない。
ジョゼや例の女性従業員に擦り寄って(変な意味ではない)情報を得る糸口にならないかとも考えたが、ひとまず街の情報収集を先にするべきだ。
ガゼルトを見て回る方がごく自然だろう、西部から来た商人かぶれの傭兵であれば。
ラ・ゼペスタ正面玄関が面する通りは、両側に聳えるように建物が連なっている。
かなりの幅を持つ広い通りが狭く感じる程。
普段これ程高い建物に囲まれた景色を見慣れないラスターにとっては、空が狭まったかのように感じられる。
気配を窺いながらこっそり部屋を抜け出してきた。
道中、館内で探知を使いつつカウンターまで誰にも咎められる事無く辿り着いたラスターは、有無を言わせずそこに居る別の女性従業員に「出てきます」と言い残し飛び出してきていた。
とりあえず当ても無く歩き出す。
中心街は初めて見るので、観光のつもりであちこち見て回る。
目に付くのはとにかくその豊かさ。
通りを行く人々の着る服はどれを取っても王侯貴族に引けを取らない金の掛かりようだ。
また、やはり建物が凄い。
おそらく商業施設ばかりだとは思うが。
建築技術と、その芸術性の高さ。
これだけの街を作り上げるにはどれ程の財貨を注ぎ込んだのだろう。
ぶらぶらと彷徨い歩き、観光を楽しむ。
しかし歩く内に自分の間違いに気付いた。
注目されている。
少し考えれば分かりそうなものだったが、別に今までそんな事を言われた経験が無かったのだからしょうがない。
自分の服装が注目される原因なのだと、硝子に映った姿を見てはたと気付く。
これは宜しくない。
粗末な服装が逆の意味で注目を集めるとは。
ガゼルトでの調査費用として渡されている金貨はかなり多い。
思い切って買ってしまうか、と手近な店に入る。
「いらっしゃいませ」
品の良い高級感溢れる店。
趣味ではないがどうせどの店も高級なのだ。
「田舎から来たもので服が欲しいんですよ」
「かしこまりました。ご予算をお伺いしても?」
チラリと手近な商品の値札を見やる。
残念。値札など付いていない。
店内を見渡すとそもそもそんな気配が無い。
「正直言うと服には疎いもので。ちょっと価格とかも分からないんですよ。多分足りるとは思うんですけど」
予算と言われても相場が分からない。
普段の感覚で予算を伝えれば何も買えないだろうし、あまりに度が過ぎる予算を言えば無駄に高額商品を勧められかねない。
一応たっぷりあるよ、と遠まわしに伝える。
ラスターが取り出した革袋の膨らみを一瞬見た店主は次に素早くラスターの全身をチェックする。
目は動いていない。
だが自分を隈なくチェックしたな、と微妙に反応した探知の膜で理解する。
「大変失礼ながら」
店主が上品な笑みを浮かべたまま切り出す。
「私の方で試しに一揃いご用意させていただいても構わないでしょうか? お客様のお召し物に近い形でご用意できるかと思います」
そりゃいい、と一も二も無く賛成する。
やがて店主が揃えてくれた一式を見たラスターは一目で気に入ってしまう。
シャツに薄手のジャケットにズボンに靴。
ビラビラしていない。
いやそんな妙な格好をした人間が通りを歩いていた訳でも無いが。
センスが良い。
都会の目立たない金の掛け方としてこれ以上は無いと思える。
「おいくらですか?」
「十一万八千ジェルになります」
うん?
聞き間違いだろうか。
「ああ、十一万八千ジェル、ですね」
「はい。十一万八千ジェルでございます」
ゆっくり区切って発音してみたが聞き間違いでは無かったようだ。
「ご都合が付きませんか?」
「いや、払えるのは払えるんですけど」
モリナにダメ出しされたばかりだ。
「ガゼルトでは皆このくらいが普通なんですか?」
「そうでございますね。決して安い方だとは申しませんが。お客様のお好みと思える物で揃えますとどうしてもこのくらいに……こちらなどはもう少しお買い求め易くなっておりますが」
店主が持ってきてくれたジャケットも渋い黒。
しかしちょっと光沢が強い。
正直ラスターは渡された服が気に入ってはいるのだ。深い落ち着いた黒は素材も申し分無く着心地も良く、鏡で見ると形も格好良い。
靴もズボンも見た目、履き心地共に完璧だ。
この店主、やはり一等地で店を構えるだけあって客の好みを見抜く目は優れている。
少し考えた末に買ってしまうか、と決めた。
どうせどこに行こうと高いものは高いだろう。
ならば気に入った服にしてしまえと、モリナの言う大人への道のりは次回からと言い訳して。