北の都 6
都市ガゼルト中央部を守る王国兵は北部軍とは指揮系統が若干異なる。
領主カーク・ザンバルに与えられた兵であり、命令権はカークが有している。
独自の軍事行動は許されていないが、この都市を守る兵士はそもそもそんな事をする必要が無い。
ただ一言「近付く者は選べ」とだけ言われている。
「お待ちしておりました」
満面の笑顔でラスターを出迎える男。
シルクハットに燕尾服、手入れされた口髭を生やした男。ジョゼ・マイヤー支配人。
輝くガゼルト中心部で一際他を圧する威容を誇る「ラ・ゼペスタ」の玄関前で、大仰なまでに歓迎の意を表している。
通りを行く人々の注目の的だ。
何せあのラ・ゼペスタの支配人が通りまで出て出迎える人物と言えば貴族しかいない。
いつものように従業員も複数引き連れて。
絨毯まで用意している。
どなたがお越しになったのだろう、お近づきになれないだろうかと。
しかし人々は高貴な見てくれにそぐわない表情をする事になる。婦人は手で上品に隠してだが。
一瞬おかしいな、とは思ったのだ。
貴族にしては馬車が普通すぎる。
供も至って普通。
どうかすれば自分達よりみすぼらしい。
ただ、そんな訳がない。
状況からして、きっとお忍びに違いないと決め付けていたのだが。
はっきり言って、小汚い。
いや清潔ではあるのだが、このガゼルト中心街に住まう人間の感覚からすれば、それは小汚いと呼んで差し支えない程貧乏臭い。
馬車から降りた若い男。辺りを見回したり、ラ・ゼペスタを見上げたりするその様はあからさまに田舎者のそれ。
そういう田舎の金持ちが来る事も別に珍しくはないのだが、それにしても。
これ程手厚い支配人の出迎えを受けるとはどこぞの大富豪の御曹司だろうか?
しかしそれにしては格好が釣り合わない。
なのに支配人は手まで差し伸べている。
たった今振り払われたが。
それにその目つき。
これだけの歓待を受けて尚不機嫌だと言うのか。
今のやり取りを見れば地位の高い人物である事は分かる。
一体――?
この不審がる人々の注目は数々の疑問を残しつつも、たった一つの事実で納得へと変わる。
供の者が馬車内から運び出した数々。
ああ、やはりか。
通りが動き出す。
何だ、そうだよなと言わんばかりに。
金さえあれば大抵の事はまかり通るのだ。
「凄い金持ち」。それだけで充分だった。
「マイヤーさん、ちょっと大げさすぎやしませんか」
ガゼルト市街を進む馬車から見える風景。
別にガゼルトは初めてではない。
ラスターも何度も訪れた事はある。
しかし中心街は初めて来た。
王都より生活水準は高いだろう。
感嘆しながら建物や人々を観察していたのだが。
ラ・ゼペスタだと一目で分かった。
初めて見るにも関わらず。
例のチョビ髭が待ち構えていたから。
それも大勢引き連れて、絨毯まで用意して。
おそらく守備兵から連絡が行ったのだとは思うが。
馬車を降りたラスターが開口一番、ジョゼの歓迎の挨拶に返した言葉がさっきの台詞だ。
「とんでもありませんよ、セロンさんをお迎えするにはこれでも足りないくらいです」
「やめて貰えませんかね、ほんと」
そう苦情を言いつつもキョロキョロと辺りを見回してしまう。贅沢ここに極まれり、そんな景色に目を奪われずにはいられない。
密偵の役目を負っているラスターとしては注目されたくはなく、散ってくれないものかと周囲の視線を疎ましく思うが、こんな珍妙な事をされては無理かと諦める。
「ささ、どうぞ、ご案内致します」
「やめい」
差し出された手を気持ち悪さから思わず振り払ってしまったが、すぐさま謝罪する。
幸いジョゼは気にする素振りを見せず、笑顔のまま黄金の宮殿へとラスターを誘う。
ジョゼだって男が男の手を取るなんて変だとすぐに気付く頭はあるのだ。
「中に運んでおきます」
御者と護衛を勤めてくれた男達は本来ここでお役御免だ。本人達はラ・ゼペスタに入れる事を喜んでいたので、ラスターも荷運び人足に反対はしない。
玄関ホールは広く天井も高い。
左右に真っ直ぐ伸びた通路は連結した建物へと繋がっているのだろう、見た事も無い程長いその通路に思わず声を上げる。
入って正面奥にカウンター。
そこからやや後ろに二本、対称に美しく曲線を描く階段が上階への入り口となっているようだ。
「君達、ご挨拶して」
「「ようこそお越し下さいました」」
立って待ち構えていた従業員達が綺麗に唱和する。両手を前で組み深々とお辞儀するその姿はいずれ劣らぬ綺麗所。
若く見目良い女性がズラリだ。
白いシャツにピッタリ目の膝上のスカートで統一されている。どの顔にも隙の無い笑顔。
後ろから男性従業員の手伝いと共に荷を運んできた御者と護衛が「おおっ」と声を上げている。
内心ではラスターも同じだ。
「お泊りになるお部屋へご案内致します」
その内の一人の女性がラスターの前へ進み出ると、極上の微笑みでエスコートを申し出る。
ジョゼとその他大勢を引き連れホテル部分へ進むラスターの横には、ピッタリとエスコート役の女性が付き従う。
「こちらでございます」
美術館と見紛う館内を延々上り辿り着いた部屋。
巨大な樫の扉は一枚の板造りで、精緻な彫刻が彫り込まれていた。
金の取っ手を素早く進み出たジョゼが引く。
横からそっと腕に手を掛けられたラスターは「ん?」と横の女性を見るも、無言で微笑むのみ。
こういう接待ね、と肩を竦め室内へ進む。
まあ、あえて言う必要も無い。
室内の様子など、扉を見れば自ずと分かるというものだ。
豪奢を絵に描いたような室内に財宝まで運び入れたその部屋は、さながら宝物庫かの如しで、ここで寝るのかとラスターを不安な気持ちにさせたが、一つだけ気に入った点がある。
部屋の奥に壁の代わりのようにはめ込まれた大きな硝子。そこから見える景色。
これこそ何よりも一番価値がある、とラスターも大いに感動していた。
中庭を見下ろすように囲むラ・ゼペスタの建物内側の壁は、窓や複雑な壁の凹凸で風景画のように見える仕掛けが施されている。
更に中庭を挟んだ正面の建物の屋根はおそらくわざとだろう、一段低くなっていて、その方向のガゼルト市街が一望できるようになっていた。
あまりの美しさについ見入ってしまっていた。
気配が動き、部屋から去って行くのは分かっていたが目を離せなかったのだ。
ジョゼも従業員も御者も護衛もいない。
一人、美女が残っている。
「お気に召していただけましたでしょうか」
「勿論。素晴らしいとしか言い様がないです」
敵意はあるがこの美しさは認めない訳にはいかない。
素直な感想を伝える。
ますますニッコリと微笑んだ女性従業員の笑顔は花が匂い立つかのようだ。
「それではごゆっくりお過ごし下さい。御用がお有りでしたら何なりと。お出かけの際もお申し付け下さいますよう。私はすぐ隣におりますので」
え? とラスターが少し驚く。
「いいですよ、そこまでして頂かなくて」
「いいえ、ラスター様のお世話をさせていただくのが私の仕事となっておりますので」
「あー、はい……分かりました」
女性従業員がラスターの胸元に触れるかと思う程近付き、俯いたままそっと囁く。
「どのようなご用件であろうと精一杯お世話させていただくつもりです。何もご遠慮なさらずに。夜であろうと、何時であろうとお待ちしております」
そう言ってチラリと見上げ出て行った。
女性従業員の甘い香りだけが漂っている。
…………。
モリナ。
何でもない。
ラ・ゼペスタ従業員
館内の従業員は全て高度な教育を施されている。重要人物を応対するのは選りすぐりの従業員で、プロである執事やメイドがそのまま従業員として配置されている。中でも女性従業員は若く容姿に優れた女性ばかりが集められており、富豪がラ・ゼペスタに足を運ぶ理由の一つでもある。
しかし今回のように付きっ切りで、しかも伽を容認するかのような接待は行われていない。勿論ガゼルト公の意を受けたラ・ゼペスタ側がラスターを陥落させるべく用意した特別待遇。