西部での日々 11
窓から薄く陽が射し込む。
小さな家の中はぼんやりと、だが暖かな風景となって色づいていく。
テーブルと椅子と揃いのカップ。
モリナが注文を付けた台所。
小さな棚に小さなあれこれ。
狭い、僅かな時間しか過ごしていない場所。
茶色、胡桃色だろうか。
光のせいで金にも見えるその髪をそっと撫でる。
一年分伸びた髪。
俺の好きなものの一つでもある。
「ん……」
起こしてしまったか。
そっと額に口付ける。
いつも通り俺に笑いかけ、起き上がるとすぐに顔を洗いに行く。どうせすぐに戻ってくるのに、これだけは絶対モリナはやめない。
「おはよう」
「おはよぉ」
少し間延びした挨拶はまだ眠いのだろう。
すぐにベッドに潜り込むと俺に頭を寄せてくる。
「今日は仕事休むから」
「……何で?」
「泣かせたままだから」
聞き様によってはただ甘い言葉だが、勿論違う。
更に強く俺にしがみ付いてくる。
俺も同じ気持ちでいる。
「モリナが反対するなら俺はずっとガラン商会にいる。でも、何を選ぶにせよきちんと話はしておきたいんだ」
また髪を撫でる。
「……夢を見たの」
「どんな夢?」
俺も見た。下らない夢を。
「笑わないでね」
「うん」
「あのね、子供がいたの。私とラスターとこの家で」
「うん」
「何をしたかとかは覚えてないけど。夢も見てないのかも。そう思っただけかもしれないけど」
顔の見えないモリナの髪を撫で続ける。
「俺も同じ夢を見た事あるよ。寝てる時じゃなくて、仕事中とか頭の中でね」
あはは、とくぐもった笑いが聞こえた。
そこから他愛無い話をした。
良くある恋人同士の愛撫のようなもので、けれどとても幸せで貴重な時間で。
改まって何か話すにはお互いまだ子供なのかもしれない。
どうでもいい会話やただ手で触れ合う事だけで、充分互いの気持ちが伝わるのを感じていた。
「一つだけ言っておくよ。俺はモリナを失いたくない。それが一番の望みだ」
「私も」
「だから行かない。安心して」
「へへ」
モリナが笑う。照れくさそうに。
「でも、そうだね。昨夜は思わず泣いちゃったけど」
「うん?」
「私もなりたいものができちゃった。お母さん」
「モリナ……」
「でもね、今のままじゃだめなんだよ、多分」
「どうして?」
「夢の中の私は子供じゃなかったから」
「……」
「もう成人しちゃったし。ラスターが本当に私を好きでいてくれてるんだなあって分かったら、安心しちゃった」
「だから今こう思ったの。お嫁さんになる為の勉強しなくちゃって」
「え……それってどんなの?」
「分かんないけど」
「モリナ、俺は本当にモリナと一緒に居る事が一番だよ。俺の子供っぽい傭兵願望なんてそれに比べたら大した事じゃない」
「でも、ラスターはずっと傭兵として生きてきたし、これからもそうしたいって思ったんでしょ?」
「それはそうだけど」
「私のために嘘付くのは嫌だ。今度は私の番」
あの嵐の夜の事を思い出す。
今度は俺に素直になれとでも言うのか。
「うーん……そもそも俺が言ってる事は大げさではあるんだよ。死にに行く訳でもないし、今度の仕事が終わればまたガラン商会に戻るかもしれないし」
「今の仕事も楽しいし。何て言うか、漠然と傭兵っていう立場にいたいって思ってるだけでさ」
「分かってる。心構えの問題、でしょ?」
「言ってしまえばそうではあるんだけど……でも現実的な問題でもあるよ?」
「例えば?」
「お金の問題とか」
「アハハ」
「笑い事じゃないって。傭兵やりたいって言っても傭兵団所属じゃない訳だし」
これだ。
俺の望む傭兵は傭兵団で仕事する傭兵では無い。勿論俺が満足した暁にはそうなる未来が無い訳ではないだろうけど。
満足したい?
そうか。そういう事かもしれない。
俺は本当は一度くらい、自分の能力を使って思う様華々しい活躍をしてみたいのかもしれない。
子供の頃からの憧れ。
途中で捨てたと思いこんでいたもの。
それをまだ引き摺っているのか。
親も周りも傭兵だった俺の価値観はやはり傭兵に軸足が置かれている。
派手な傭兵の活躍。
それは行き着けば結局剣を振る事。
誰かを傷付ける事。
だから押し殺していたのだろうか。
自分がこだわっていたものがあまりにも幼稚なものだった事に気が付き、心が冷えていく。
「私はラスターがどんな傭兵でもいいもの。それこそ農家やったって、私が好きなのはラスターだから」
モリナ。
あの夜貰ったものを俺も。
恥ずかしくてもみっともなくても、真っ直ぐ自分をさらけ出す勇気。その相手。
話す。
自分が傭兵だなんだとこだわっている理由。
本当に子供っぽい願望。
ひどく恐ろしい欲望。社会不適合者。
「格好悪いだろ、俺」
「そうかな」
「これも言わなくちゃ。……俺は沢山人も殺してる」
「……うん」
「その俺がまるで英雄みたいな何かになってみたいだなんて。気持ち悪いし、最低の人間だよ」
モリナが手を握ってくる。
「英雄になりたくてその人達を殺しちゃったの?」
「そうじゃない。それは違うけど」
「私達も虫を殺すわ。麦を守るために」
「そんな。人と虫は違う」
「そうだね。でも、生きるためにやったっていうのは同じだと思うの。ひどい言い方かもしれないけど」
モリナはこういう精神の部分でひどく大人だと思う時がある。
生き方に卑怯だとか正義だとかを持ち込まない強さのようなもの。
「きっとね。ラスターの言ってる事とやってきた事は別なんだと思う。そうしなきゃ生きていけなかったんだよ。失くしたくない気持ちに蓋をして、押し潰すっていうかさ。ねえ、それが間違ってても」
「私を助けてくれたでしょ。心が死んじゃう前に」
「かっこ悪くなんか無いよ、私にとっては」
モリナを引き寄せる。
どうしてだか俺は泣いていた。
「行っておいでよ。待っててあげるから」
「……」
「私、ほんとのラスターと初めて触れ合えた気がする。あの夜好きになったのは、自分と同じだって思ったからなのかな」
「ぐっ……モリナ……」
「寂しいけどラスターが今のままじゃ本当に幸せにはなれないって私には分かるから。私も自分がこのままじゃいけないんだって気付けたし。そうしてね、お互い大人になれたら、結婚して」
「うっ、ううっ……!」
「大好き。ずっと待ってる」
結局俺は解決すべき問題をほとんど解決できないままでいる。
でも、本当に大事な事に一つだけケリをつける事ができた。そう思う。
全てモリナのおかげだ。
俺とモリナの出会いは世間一般からしたら歪んだ出会いだったかもしれないけど。
俺達の結論は決して正しい理屈ではないけど。
子供のままごとの延長みたいだけど。
この時の俺は、探知の膜も消えていたんだ。
無防備で、それでいて解き放たれたような感覚。
もしかしたら生まれて初めて。
誰かを気にせず自分でいられたんだ。