西部での日々 2
レプゼント王国の季節は更に巡り、ラスターがモリナと暮らし始めてから一年が経過しようとしていた。
未だラスターはガラン商会で働いている。
西部軍によるジノ捜索は不調のまま打ち切られ、西部は以前の穏やかさを取り戻している。
だが、それ以前とは大きく変わった点がある。
まず、ガラン商会の台頭だ。
西部の流通はオウル事件をきっかけに大きく様変わりした。
数ヶ月の長きに渡って制限された馬車の運行でガラン商会が手にしたもの。
それは利益と信用と揺ぎ無い地位だ。
従来の西部にも交易馬車への委託は当たり前に有ったのだが、ガラン商会のやり方は革新的とも呼べる手法を取っていた。
まず、軍の行動を阻害しないために定められた時間に一斉に細かく運行する事。
偶然の賜物だが、それまで独自の都合でやり取りしていた西部商人達にとってこれが非常に有り難い存在となった。物の動きが他人の分まで計算できるのだ。
更に言うなら、物資が纏めて動く事。
どの時間にどこに何が入ってくるか分かれば、商売の仕方としてそれぞれが話し合い、手を取り合う事ができた。単純に、物流頻度が向上した事も大きい。預けられる馬車の発着が一日の内に何度も有って便利なのだ。
そしてもう一つの大きな要因が販売の委託だ。
これはラスターのデュラム村での生活の不便さから来る発案だったが、ターゼント市場の「一括買取・一括販売」を参考にしている。
交易馬車は基本的に目的地まで一本で走る。
どれだけ距離があろうと。
しかし時間が制限される軍との兼ね合いも有り、長距離運行は一時停止を余儀なくされる場合も多い。その為、各村や町に中継地点を設けたのだ。
これが大当たりで、絶大な支持を集め、ガラン商会は一気に西部の雄として飛躍した。
商人は物を仕入れる。
そしてそれを販売する。
ごく当たり前の事だが、仕入先も販売場所も決まっている。田舎の村に多少需要が有ろうと、一々そこまで売り買いに行っていては利益が少ない。
だがガラン商会は蟻のように大量の馬車をグルグルと西部内で回している。各村や町の物資を運ぶために。
商人にとっても、わざわざ遠くまで買い物しに行かなくても良くなる農民にとっても、痒い所に手が届くサービスだったのだ。
要するに大規模な移動販売とも言える。
ガラン商会支店がそこかしこにできたような形だ。
特に田舎の農村から支持を受けた。
西部の多くを占める農民の支持は予想以上で、軍の制限が解けた今でも商人達は物流をガラン商会に預けたまま、その広がりはエンスタットから南、ザマ領にまで波及している。
この辺のやり方は試行錯誤しながら確立したもので、決して平坦な道だった訳ではない。
元々が大店だったガラン商会だからこそできた初期投資であり、トマス・ガランが信頼するヨハンを信じ、素人だからとラスターを邪険にしなかったからこその成果でもある。
最初にガラン商会を支援してくれた旧知の商人達と一大勢力を築き上げ、トマス・ガランは今ではエンスタット本店で腰を労わりながら左うちわの生活を送っている。
「ラスターさん、このように値付けしてみたのですがどうでしょう?」
エンスタット本店でヨハンとラスターが大量の書類と格闘している。
「いいと思うよ」
委託料は格安でなければ成り立たない。
抱える傭兵も大幅に増えたが、効率的な配置を考えなければパンクする。
ガラン商会の基本は西部一帯の都市・街・町・村を繋ぐ大量の馬車の運行だ。
それもかなりの頻度で、時間も正確に。
明晰な頭脳と若い体力を持つヨハンは今やこの仕事の中心人物となっている。
そのヨハンが見込んでそれを補佐し続けてきたラスターも、最早ガラン商会にとって無くてはならない人物となっていた。
「ご苦労様。お茶でも飲みなさい」
「有難うございます、旦那様」
「いただきます、トマスさん」
ラスターは護衛部門の仕事だが、様々なアイデアの発案者でもあり、この一年で商人として大きく成長していた。寒村から貴族の暮らしぶりまで幅広く目にしてきたその経験が活かされている。
「ところでどうかな、ラスターさん。あの話だが」
「ああ……そうですね」
集まってきた一般傭兵はピンキリだ。
そうなるように募集を工夫した為安心して任せられる傭兵も多かったが、中にはやはり勉強から始めて貰わなければいけない連中もいた。だが選り好みしている余裕も無かった。
「できれば引き受けて貰いたいんだけどねえ」
「うーん、どうなんですかね」
ラスターが苦笑する。
避け続けてきた話題だ。
「私としてはね、ラスターさん。別に今の仕事のやり方を変えてくれなくてもいいと思ってるんだ」
トマスはヨハン、そしてラスターという二人がガラン商会を飛躍させてくれた立役者だと思っている。
自分が、などと決して思わない純朴な人柄なのだ。
若い力に任せたいと思っている。
「モリナさんも喜ぶんじゃないかと思うんだがねえ」
「旦那様、申し訳ございません。この書類を急いで片付けてしまわないと少々不都合がございまして……」
「ああ、すまないね。それじゃ考えといておくれ」
遮ってくれたヨハンにラスターは目で感謝する。
微笑んだヨハンと再び格闘を始める。
トマスは成長を続けるガラン商会の新たな試みとして、お抱えの傭兵を正式に運用する傭兵団を立ち上げてはどうかと提案してきたのだ。
この話自体はヨハンもラスターも賛成している。
だがトマスはその団長になってくれないかと言ってきているのだ。二十三歳の若造に。
集まった傭兵を差配する立場のラスターではあったが、直接傭兵達を指揮している訳でもなんでもない。
教育だってできる傭兵を選抜して指導して貰ったし、今では専らこうして事務仕事をしている時間の方が遥かに長い。
ただ、一切傭兵らしい事をしていない訳でもない。
軌道に乗る前はずっと現場に出ていたし、南部のレーベントで会ったようなタチの悪い一般傭兵は容赦なくねじ伏せた。ラスターもヨハンやモリナの為に一生懸命だったし、何よりモリナと出会って責任ある立場に立つ事への考え方が少し変化していたのだ。
最初期からこの仕事に参加している古参の傭兵達はそういうラスターの姿を目にしているし、認めてくれてもいる。その傭兵達からの信頼を知るからこそのトマスの提案でもある。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様。何とか間に合ったね」
「はい」
一日の終わり。
すっかりくたびれた二人は互いを労う。
「……旦那様はああ仰っていますが」
「ん、ああ」
「あの。ラスターさん」
「何だい」
「ラスターさんはいつまでここに居て下さるのでしょうか?」
聞き辛そうに、しかし真剣な瞳でヨハンがラスターを見つめる。
避けては通れない話題。
いつかははっきりしなければいけないのだ。
「……ごめん、分からないよ」
「でも、モリナさんとご結婚されるのではないのですか?」
それも避けては通れない話題だ。
「そりゃあね。勿論そのつもりだよ」
「では」
「待ってくれ、ヨハン。あの時約束しただろ。きちんとした形になるまで絶対裏切らないって。途中で投げ出したりしないって。それは守るよ。信じてくれ」
先延ばしの言葉。
そして暗に、いつかは居なくなると。
ヨハンは一瞬悲しそうな顔をしたが、それは本当にほんの一瞬で、すぐにニコリと微笑む。
「そうですね。傭兵団長というものはお若い方では色々不都合もあるとお聞きしました。団長は他の方にお任せするのが良いでしょうね」
シロに乗ってモリナの元へ帰る。
ぶつかり合う事を避けた。
ヨハンもラスターも友を失うのが怖い。
結論を早めてしまうのが怖い。
ヨハンは一緒に仕事をしていて本当に気持ちの良い奴だ。頭も良いし、年下だが尊敬できる。
大した男でもない自分を敬ってくれる。
できれば別れの言葉は一生言いたくない。