梟の町 8
朝の光が射し込む。
一晩中降り続いた雨は明け方にようやくその勢いを弱め、空には所々厚い雲がまだ残っているものの晴れ間が見える。
雨が全てを洗い流したのか、新鮮な空気と目覚めた木々の緑の香りが匂い立つように、オウルの町は清々しい朝を迎えていた。
「おはよう」
「ん……おはよう」
二人部屋には二つのベッドが備え付けられているが、片方は空いたままだ。
先に目覚めていたラスターに顔を眺められていた事が気恥ずかしいのか、モリナは寝返りを打ち、背中を向ける。
「顔洗っておいで。ルデンテさんの所に行こう」
「うん」
ベッドから起き身支度を整えながらモリナが「へへ」と笑う。
ラスターも黙って笑うと起き上がり、モリナの頭をぽんぽんと叩くと荷を纏める。
「おじいちゃん、どうですか」
「心配いらないよ。さあ」
医者は居間にラスターとモリナを案内する。
二人が来る事を見越して用意して待っていてくれたのかもしれない。
「問題は無いと思うけどね、薬は毎日欠かさず飲んでいたかな?」
「はい、飲んでたと思います。昨日の朝も」
「ふむ。とすると」
モリナの説明を聞いた医者が何やら紙に書き込みながら唸る。
「朝から夜まで、昼の分を飲まなかったという事か。そんなにすぐに症状が出るとは……私も反省しなければいけないな……悪かったね、モリナちゃん」
医者は薬の量を変える事も考え、昼頃までもう一度ルデンテ老人の診療を行いたいから、と二人にもう一度昼に迎えに来てほしいと伝える。
覗いてみたがルデンテ老人はまだ眠っていた為、よろしくお願いします、と挨拶し外へ出る。
「良かった。おじいちゃん大丈夫そうで」
「そうだな。あの医者は頼りになりそうだ」
「とっても腕の良いお医者様だって」
二人の距離は昨日と違いピッタリとくっついてはいないが、むしろ昨日より自然でよそよそしさも無い。
当然と言えば当然だが。
思いがけず与えられたデートの延長に、モリナの顔が綻ぶ。
ラスターも肩の力が抜け、穏やかな顔をしている。
「昨夜はお騒がせしまして」
「構いません、そんな事は。ルデンテさんがご無事で良かったです」
モリナの友人宅に真っ先に向かい、昨夜の詫びと事の顛末を伝える。
気になるのはモリナと友人の少女が離れた所で何やらヒソヒソと話している事だが、どう見ても興奮した様子の二人には嫌な予感しか覚えない。
「ラスターさんはモリナの所でしばらく?」
「ああ……どうですかね。ルデンテさんの事もありますし、何かお力になれればとは思っていますが」
家の夫人の質問に答えてはみたが、ラスターが居た所で厄介者でしかない。
最低でもデュラム村まで送り届けるつもりではいる。
それに、モリナの事もある。
これではいさよなら、とはラスターも考えていなかった。
「雨上がりって気持ちいいよね」
「そうだな。こっちの辺りは山風のせいか空気が南より澄んでる気がする」
オウルの町の外れにある小さな公園のベンチで、休憩がてらジュースを飲み会話する。
やはりモリナのような若い娘と自分のような目つきの悪い男が甘い空気を出していると、町の人間にジロジロ見られているような気がして、ラスターが人気の無い場所をそれとなく尋ねたせいなのだが。
「あそこ。私が通ってた学習館」
「へえ」
「この公園でもみんなで良く遊んだなあ」
「あの女の子達?」
「そう。私は馬車の時間があるから先に帰らなきゃいけなくて。それが悔しかったけど」
「さっきさ。何話してたんだ?」
「あ、やっぱ気になる?」
「まあ、そのさ。秘密にしようとかじゃないけど言って回るってのもほら」
「大丈夫だって」
町の住民は雨で滞った遅れを取り戻そうとしているのか、この辺りにはほとんど通る人間もおらず、二人の時間は誰にも邪魔されず続く。
「モリナ」
「何?」
「体、平気か」
「うん。ちょっと痛いけど平気」
「何かあったら言えよ」
「ほんとにちょっとだけだよ」
モリナが体を横にずらし、ピトッとラスターに寄り添う。頭を傾け肩を抱いたラスターの胸に預ける。
「……はあ」
「どうした」
「幸せってこういう事なんだねえ」
ラスターには適当な言葉が見つからない。
今は幸せなのかもしれないが、もっと幸せを与えてくれる相手は他に大勢居るだろう。
それをまだ知らないだけだ。
しかし自分を卑下してしまえば選んでくれたモリナが可哀想だ。
モリナはじっと目を閉じ動かない。
ラスターは正直な所まだ揺れている。
究極、モリナを娶る覚悟があるかと聞かれれば、有るとも無いとも答え難い。
それはこの先傭兵として生きていくのかそうでないのかにも関係するだろう。
「今日さ」
「うん」
目を閉じたままモリナが口を開く。
しかしそれきり黙ったままだ。
「……ん、どうした」
おずおずとモリナの左手がラスターの背中に伸び、横から抱きつくような形になる。
「帰りたくないな」
その一言で充分伝わる。
モリナもこれが長く続くものでは無いとあきらめているということが。
むくむくと、ラスターの中に新たな気持ちが湧き上がる。
モリナへの愛情が強まったか、自分でも意外な程に迷いや未練が遠のいていく。
「良し、決めた」
モリナが顔を上げ、ラスターを見上げる。
「モリナ。俺はまだモリナと一緒に居たいと思ってる。モリナはどうかな」
「……でも」
「嫌なら正直に言って欲しい。モリナの気持ちを嘘偽り無く、教えてくれないか」
「……一緒にいたい」
「昨日聞いたような気もするけど。俺の事嫌いにならなかったか? なんだこの下手くそとか」
「え……そんなのわかんないよ……」
「あ」
そうだった、というようなバツの悪い表情でラスターが咳払いする。
「今のはいいや……忘れて」
「嫌。私ほんとにそう思ってるよ」
「あ、そっちじゃなくて」
「良し、分かった。一緒にいよう」
「うそ……だって」
泣きそうなモリナに優しく口づける。
そっと抱き寄せ、優しく撫でる。
「まだ何もかも決め付ける事はないさ。俺達は幸い自由だし、時間もあるんだから」
カシャリと音を立て、王国最新技術の詰まった望遠鏡が床に置かれる。
ラスター達が居る公園を見る事のできる、離れた建物の中。
「なあ」
「はい」
「俺達が今やるべき事は若いカップルの覗き見じゃないと思うんだが」
「強く同意しますね」
「じゃ何でこんな事やってるんだ?」
「さあ」
時間の無駄だ、とジノが吐き捨てる。
ランドも苦い顔で望遠鏡を置く。
「……訳が分からん」