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梟の町 4

 夕暮れ前に帰る予定だったが、急に降り始めた雨はすぐに勢いを増し、空では一気に広がった黒雲がゴロゴロと鳴り響く雷を連れて来ていた。


「途中でなくて良かったんじゃないですかね」

「そうじゃな。しかし大丈夫だとは思うがこうも強いと畑が気になって仕方ないの」


 視界を塗り潰すような激しい雨を眺めながら、ラスターとルデンテ老人が急遽取った宿で会話を交わす。


「平気なんですか? 戻らなくて」

「何の、こっちじゃ皆慣れっこじゃ。よくあるわい」

「そうなんですか」

「モリナも喜ぶからな。村じゃ退屈させてばかりで可哀想じゃしなあ」


 モリナはこうしてたまにオウルの町の友人宅に泊まりに来るらしい。雨を喜んだのはそのせいなのだろう。


「お前さんこそ良かったのか? 当ての無い旅の途中にワシらに付き合う必要は無いんじゃぞ」


 当ての無い旅、というのがルデンテ老人には余程面白いらしく、カカカと笑う。


「俺もルデンテさん達と居ると楽しいですから」

「何じゃ。モリナと随分仲良くなったようじゃが、あの子が気に入ったか?」


 ニヤリと笑ったその顔にラスターは慌てて弁解する。


「モリナは凄く良い子ですよ。でも、そんな」

「自慢の孫じゃ。気立ての良い子に育ってくれた」


 貰ってきた湯で茶を淹れ始めたルデンテ老人は優しげな顔で慌てたラスターを気にする素振りも見せない。


「村には若いもんが少ないからのう。お前さんが来てくれてあの子も嬉しかったんじゃろう」

「昼間は随分と楽しそうでしたね」

「それは良かった」


 湯気を立てる茶はラスターの知るものとは違う、香ばしい香りをしていた。

 焦がしたような不思議な香りだ。


「雨が降ってるとお茶が余計有り難いですね」

「はっはっは、お前さん歳に似合わず随分と年寄り臭い事を言うもんじゃな」

「……ですか」


 ラスターの脳裏にエルヴィエルの顔がよぎり、他人の事を言うと自分に跳ね返ってくるもんだ、と苦笑する。





 夜になりやや雨足は弱まったものの、時折轟く雷鳴にオウルの町全体が息を潜めたように人の姿は見えない。


 宿の馬小屋にシロの様子を見に来たラスターは、周囲の馬が怯える中、落ち着いた素振りでラスターに視線を向けてくるシロを流石軍馬だと内心で褒めてやる。


「今日も一緒に寝てやれないからな。俺だけ贅沢してごめんな」


 シロの首筋を撫でながら飼い葉桶を見る。

 宿の主人が用意してくれた食事は満足行くものだったのだろう、綺麗に空になっていた。


 モリナは馴染みの友人の所へ泊まるらしいが、お節介というかラスターもこの悪天候だと少し気になる。無意識にモリナを傍に置きたいと考える卑しい気持ちかもしれない、と自分を戒める。


 と、馬小屋へ近付く背後の気配。

 振り返ると、宿の方から空を見上げ馬小屋までどれ程濡れるだろうか、と測っている少年の姿があった。


「今晩は」

「ふう、今晩は。お騒がせして申し訳ありません」


 泥を跳ね上げ飛び込んで来たおそらく少年、だろう。背は大人と遜色ないが、顔立ちが幼さを残している。丁寧に頭を下げる躾の良さを見ると良いとこの出だろうか。


「馬の様子を見に?」

「はい。主人から預かった大切な馬でございますので」


 言葉使いから商人と予測される。

 もしかしたら貴族の召使いかもしれない。


「ひどい雨になったもんだ。通り雨だと思ったのに」

「西部では良くある雨でございます。他所からいらっしゃったのですか?」


 偶然にもシロの隣の馬だったようで、互いに馬の手入れなどしながら自己紹介し、会話を交わす。

 馬小屋を叩く雨の音がうるさい。


「王都から。育ちは北部、今の家は南部だよ」

「そうでございますか。ラスター様は見聞を広めておられるのですね」

「いや、そんな立派なもんじゃないよ」


 西部の少年少女は皆こんなに純粋なのだろうか。凄く良い所じゃないか、とラスターはまた新たな発見に驚く。


「ヨハンこそ立派だと思うよ。馬の手入れも見事だし」

「仕事の一つでございますので」


 照れたようにヨハンが笑う。

 しがない一般傭兵、未だ見習いにすぎない駆け出し商人、と話は続く。


「お互いに未熟者が褒めあってたって訳か」

「私などはそうでございますが、ラスター様はお一人で世の中を渡っておられます。それは私には考えもつかない程凄い事なのだと思います」


 手入れを終え宿に戻っても、二人とも部屋で長い時間をもてあますのは億劫とばかりに食堂で話をする。互いに格好の話相手という訳だ。


 意外にもラスターのターゼント市場での経験が活き、南部の流通にヨハンは大いに興味を示してくれた。自らの勤めるガラン商会という店の話と南部のやり方などで話が弾む。


 


「エンスタットではそれで大変困った事になりまして。旦那様から言付かってこうして使いに参った次第なのでございます」

「軍がねえ」


 内心ではラスターは眉を顰めている。

 グリンというヴァイセントの仕業だろうとラスターには分かっているが、勿論ペラペラと喋る訳にはいかない。


「本当ならば一刻も早く戻って仕事をしなければいけないのですが。この雨では荷を駄目にしかねませんので」

「天気には誰も勝てないし仕方ないさ」


 夜と言ってもまだ寝るには大分早い。

 それでもヨハンと随分話し込んでしまい、ルデンテ老人を一人にさせて悪かったかな、とラスターは多少後ろめたい気持ちで部屋の扉を開ける。


「ああ、戻ったのかい」

「ルデンテさん? どうしました?」


 ルデンテ老人の顔色が悪い。

 無理して隠そうとしているが、その笑顔は傍目にも元気が無いのが一目で分かった。


「何じゃ、ワシの顔に何か付いとるかね」

「横になりましょう」


 強がるルデンテ老人を無理矢理寝かせ何も言わないなら医者を呼ぶ、と言うと白状した。

 薬をモリナが持ったままだったというのを忘れていたのだ。


「どうして早く言わないんです」

「あの子の時間を邪魔したくない」

「馬鹿な事を。何かあればモリナがどれだけ悲しむと思ってるんですか」


 モリナが泊まっている場所を聞き出すと、すぐに戻ると言い残しラスターは部屋を飛び出す。

 宿の主人に事情を伝え、ルデンテ老人の看病を頼むと共に、改めてモリナの居る家の場所の情報を伝え詳しく聞きだす。



 降りしきる雨に遮られ、少しだけ探知に雑音が混じるようなこの感覚。

 霧を使えばもっと面倒な事になる。

 粒子で地形を捉えながら、形だけ持って出て来たランプを握り走る。


 宿の主人が正確に道筋と周囲の特徴まで教えてくれた為、目的の家まで迷う事無くラスターは駆け抜ける事ができた。豪雨のせいか町の外灯は機能していないが、ラスターには関係ない。


 失礼の無いように一度呼吸を整え、顔に流れる水滴を跳ね飛ばすように両手で髪を前から掬い上げる。


「夜分に失礼します。こちらにモリナがお世話になっていると伺って来たのですが」


 出て来た家人に事情を伝えると、大急ぎでモリナを呼びに行ってくれる。

 玄関に居るラスターの耳にモリナの叫びが聞こえた。


「いけない! おじいちゃん!」


 バタバタと走る音が響き、奥の扉をはね飛ばすように出て来たモリナが二階へ駆け上がる。

 続いて現れた家の住人達にラスターは改めて頭を下げる。


「ラスター、これ!」


 手に持った薄手の箱のようなものをアピールしながらモリナが泣きそうな顔で駆け下りてくる。

 と、焦って階段を踏み外す。

 グラリと体が傾ぐその前に、ラスターは探知の霧を全開にして飛び込んだ。


 

「すみません、泥だらけで踏み込んでしまって」

「あ……いや、そんな事より早く届けてあげないと」

「モリナ、薬を」


 ラスターが抱きとめていたモリナに優しく話しかけると、硬直していたモリナは我に返ったように頭を振り、必死な目で訴えかける。


「私も行く」

「この雨じゃ危ない。外は真っ暗だ。ほら、貸して」

「お願い」


 問答している場合でもない。

 もう一度家人に謝罪すると、モリナと外に飛び出す。



「モリナ、おぶされ」


 外に出るとすぐに有無を言わせない強い口調でラスターはモリナに背を向けかがむ。

 一瞬遠くが光り、ゴゴッ、と雷鳴が鈍く響く。


 暗闇に怯えるようにモリナがラスターの持つランプを頼りに近付き、その首に両手を回す。

 モリナを背負ったラスターは再び雨の降りしきるオウルの町を駆け始める。


「私がお母さんから預かったのに……忘れないようにって」


 昼間とは違う。

 強くしがみついてくるモリナはただラスターに縋るように、子供のように泣いていた。



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