梟の町 1
登場人物紹介
ルデンテ……西部デュラム村で農家を営む老人。人の良い人物。
モリナ……ルデンテの孫。十五歳。
現在レプゼント王国は大きく揺れている。
一番の理由は王位継承に絡む貴族の動きに由来するものだが、それは大半の国民の目には映らない。
目に見えるものとしては単純に南部領主、北部領主の王都終結、そして西部の騒ぎによる軍の動きだ。
商人の間ではすわ戦争か、という声も聞こえる。
ラスターはあながち間違いでもない、と一人ごちる。
魔獣薬の問題でいずれミハイルは外へ動くだろうし、ネイハムとカークの間で何らかの争いが起きる事も必至だ。
直接的な武力による争いになるかどうかは分からないが。
見事な白馬をカッポカッポと操りながらのどかな街道を行く。
いつかネイハムに伝えて欲しいとエイゼルに頼んだ言葉。あれを忘れずにいてくれたのだろう、同じ馬ではないし大柄でも無いが立派な馬を餞別として貰い受けていた。
「どうする、シロ。どこに行こうか。金なら随分あるぞ」
我ながらひどい名前を付けたものだ、と思う愛馬の首筋を撫で呟く。
勿論返事は返ってこないが。
一度ターゼントに戻るべきかと思うが、何故かそんな気分にはなれない。
またズルズルとあの生活に戻ってしまうかもしれないし、途中で背を向けた人達の事を考えて後ろめたい気分になるのも、どちらも面倒だった。
王都でマチルダさんへ送金した。
怒られそうな気もしたが、きっとマチルダさんはあの部屋を取っておいてくれるだろうし、処分しても構わないと短い手紙を添えた。大したものは残っていない。
ティムの帽子くらいか。
保管を頼んだのはそれくらいのものだ。
気の向くまま、北上する。
南へ戻るつもりが無いなら自然とそうなる。
しかし地元へ戻る気も無いので、途中から西の支道へ折れ、西部領バゼント地方へ出た。
王都で一通り荷物や食料は買い揃えてあったので、この気ままな旅は優雅な気分転換と言って良い。
秋の近付くバゼントの麦穂の景色に癒されながら、ゆっくりと数日かけて穏やかな気分を楽しんだ。暖かい懐の為せる業だろう。
話に聞いていた西部の封鎖は解かれたらしい。
時折すれ違う農夫の荷馬車や商人の交易馬車からも、のんびりとした気配しか感じられなかった。
行く手にそこそこの規模の町だろうか村だろうかが見え、夕暮れ前にそこに宿を求めようと決める。
シロもきちんとした寝床で寝かせてやりたいし、綺麗に湯で洗ってもやりたい。
入り口の古びた木の看板には「デュラム村」と書かれていた。今通ってきた広大な麦畑、周囲に広がる畑もこの村の住人が育てているのだろう。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
シロの手綱をひいて最初に出会った老人に挨拶する。
肩に鋤を担いだ老人はにこやかに挨拶を返してくれる。
「ちょっとお尋ねしたいんですが、この村に宿はありますか?」
「宿屋は無いね、申し訳ないが。お前さんどこに行くんだい?」
「いや、当てのない旅と言いますか……見た事無い場所を色々見て回る途中と言いますか」
「はっはっは、そいつは羨ましいもんだ。ああ、こりゃいい馬だ」
老人は左手でシロの首筋を優しく撫でる。
ピクピクと耳を動かしたシロはブルル、と首を振り誇らしげな顔で尻尾を揺らす。まさか話が理解できているはずも無いが、自慢の馬を褒められてラスターも悪い気はしない。
「綺麗な毛並みを汚れっぱなしにするのも可哀想だと思いまして。あ、毎日洗ってやってはいますよ。ただせめてちゃんと湯で洗ってやれないものかと思いまして」
「そういう事ならうちの馬小屋使っても構わないよ。案内してあげよう」
「いいんですか?」
「遠慮するこたないさ。ついておいで」
自己紹介すると、老人はルデンテと名乗る。
息子夫婦、孫と一緒に麦を作って生活する農家らしい。デュラム村はほとんどがそうだという事だが、バゼントの街と流通があるのだろう、村の中には商店などもきちんとあった。
「おーい婆さん」
田舎の村は大抵土地に余裕がある為、ルデンテ老人の家も大きく、馬小屋も大きかった。一旦シロを繋ぎ、湯を貰う為母屋へ向かう。
「はーい。……あら、お客様?」
出て来たのは随分と若い、茶色の髪をひとつの三つ編みに束ねたそばかすの残る少女だった。
爺さんやるな……
などと馬鹿な冗談はさておき。
「お婆ちゃんならさっき出たよ。こんにちは、モリナと言います」
「あ、ラスターと言います。お邪魔してます」
「モリナや、悪いが湯を用意してくれんか。こちらのラスターさんが馬を洗うのでな」
「うん、わかった」
「お手数掛けます」
クルッと振り向きモリナが家へと戻っていく。
「悪いがワシは片付けがあっての。済ませちまわんといけん」
「あ、すみません。お礼と言ってはなんですがお手伝いできたりしませんか?」
「ん、まあそう大した仕事でもないんじゃが」
ルデンテ老人が少し考える。
「このままお前さんを放り出す気にもなれんしなぁ。じゃあ今晩はうちに泊まっていくかい? ワシの手伝いと交換ということにしちまおう」
人の良さそうな笑みでルデンテ老人が笑う。
なんとも言えない温かみを感じて嬉しかった。
一旦モリナに待って貰い、片付けを手伝ってからという事を伝え荷物を預ける。
泊まっていくと知ったモリナは、
「じゃあご馳走にしなきゃね」
とこちらも笑顔を見せてくれた。
ルデンテ老人と麦畑へ向かう。
村に隣接した畑の近くに大きな小屋があった。
「肥料にする刈った草やなんかをここで寝かせるんだが」
小屋の扉を開け放ち、鋤を動かしてお手本を見せてくれる。
「こうやってここに積んだ干し草を投げ込んでな。ある程度放り込んだら下の方からこうしてかき混ぜる」
「なるほど。ちょっとやってみます」
結局相変わらず日雇い作業のような真似をしている。が、それが生きていく基本という事なのだろう。手馴れた手付きで鋤を振るうラスターを見て、ルデンテ老人は感心する。
「上手い上手い。お前さんも農家の出かい?」
「いえ、違いますけどこういう作業はこれまでにもやった事がありまして」
放り込んだ干し草と、湿って匂いを放ち始めている肥料を円を描くように空中で踊らせ混ぜ合わせる。
先程見たルデンテ老人の動きを探知で捉えて模倣したものだ。
「大したもんだ。単純だが綺麗に混ぜるのは結構難しいもんで、村の若い連中でも難儀するんだが」
「ルデンテさんのお手本が上手でしたからね」
「はっはは、口も上手いと来たか」
あっという間に見事に片付けてしまったラスターを、ルデンテ老人はしきりに褒めてくれた。
今年の麦の収獲などを話しながら村へと戻る。
バゼント地方の雰囲気は南部の田舎と通じるものがあるが、こちらの方がより開放的な空気がありそうだ、と色々聞きながらラスターは西部を評する。
サワサワと音を立てる麦穂の揺らぎなど、見慣れた光景だったはずだが。
不思議と心地よさを感じる。
デュラム村
西部バゼント領と北部の境にある農家が集まった村。西部でも奥まった地域にあるこの村の住民は極めて穏やかで親切。西部北方は全体的にのどかな地域であり、長い間バンデットの出現情報すら無い平和な場所として住民も誇りに思っている。