王国動乱 43
落ち着いた高級な部屋。
まるで全てが光を放っているかのような部屋の装飾を改めて美しいと思うと共に、これは何なのだろう、とラスターは思う。
目の前のテーブルに置かれた袋の中にはネイハムとミハイルからの報酬である金貨が詰められ、くたりとなった袋の縛り口のすぐ下まで重量感のある膨らみを見せている。
「お前が決める事だ。ここから先は傭兵では無くなる」
ネイハムのその言葉を最後に沈黙した室内では、じっと袋に目を落とすラスターを尻目にネイハムが執務机で書類仕事をしている。
こうして一介の傭兵に考える時間を与えられているだけでも、考えられない程手厚い扱いを受けているのだという自覚がラスターにはある。しかも王宮庭園の公爵館でだ。
しかし、有り難がる気にはなれなかった。
元々行きがかりの様に偶然手にした縁だ。
初めてネイハムと出会った時からこれまで充分稼がせて貰ったし、それに見合う仕事をしたかどうかも分からない。一般傭兵としては幸運としか言い様が無く、何かを選ばせて貰える立場とは思えない。
何故自分がこんな風にしていられるのか分からなくなった。ただ幸運だったのだ、とヘラヘラ笑う気にもなれない。不意に、重たくなってしまった。
何格好付けてる、と自分を馬鹿にもしてみるがそれで何か解決する訳でもない。
きっと、政治に絡むのが怖いのだ。
色々学ばせて貰った事は間違いない。
白も黒も表裏一体で、どちらかだけなどという事など無いという事がはっきり分かった。
自分が無目的だからなのだろう。
貴族程に王国の為、政治の為、黒い部分に目を瞑る覚悟は持てそうも無い。
バンデットのように開き直る事もできそうにないし、傭兵という立場を最大限主張しつつ図太く立ち回る意思も無い。
二年間の怠惰から目が覚めたように自分に言い聞かせていたが、やはり市場に居たあの時から何も変わってなどいないのだ。
進むべき方向が見えない。
黒い部分に嫌悪感を感じつつも、さりとて白くしたいという意思も持てない自分にはこの先関わる資格が無いと思っている。与えられた信頼を、裏切るような事になるかもしれない。
いや。
多分、失望される未来が嫌なのだろう。
そして何かを切り捨てるネイハムを見て失望したくないのだろう。
「ラスター」
「はい」
「思えば不思議なものだ。どこの馬の骨ともしれんお前を俺は取り込もうなどと考えていたのだからな。こんな隙は今まで見せた事が無い」
「……はい」
「胸を張れ。最早ナイフで試すまでもない。お前の事を俺は認めた。役立つ男とな」
「はい」
「行け。庭に居る部下に送って貰うと良い。指輪は好きにしろ。俺からの贈り物だ」
ゆっくりと金貨の袋に手を伸ばす。
これを掴んだら終わるのだという未練にも似た感情に迷いながらも、最後にラスターを押したのはネイハムへの敬意だった。
ぐずぐずと自分などにかまけさせていい男では無いのだ、と目を閉じ立ち上がる。
何か言葉を掛けようとネイハムを見るが、書類に目を落としながらペンを走らせている。
静かに頭を下げ扉へと歩く。
結局こうして報酬を受け取るような部外者は自分だけだった。
手に握った袋が出て行く自分の卑しさのような気がして羞恥を感じるが、これを受け取らない方がよっぽど恥ずかしいだろう。
せめて傭兵らしく振舞うのだ。
ギュッと袋を強く握り、扉に手を掛ける。
「ラスター」
「はい」
「困った事があれば訪ねて来い」
「……はい」
ラスターは振り返る事無く扉を開け、出た。
礼は不要というネイハムの言葉に最後、少し甘えたのかもしれない。しかし振り返ったところでネイハムも顔を上げてはいなかっただろう。
「ラスターさん」
「奥方様」
階段の所に夫人が手を組み待っていてくれた。
「これを」
白い封筒には何も書かれていない。
赤い蝋で封がされただけのものだ。
「これは?」
「元気が出たらお読みになって下さい」
そんな顔をしているのだろうか。
再び恥ずかしさを覚えたが、元々公爵夫人に披露する格好など端から持ち合わせてなどいない、と思いなおし苦笑する。
丁重な扱いに礼を述べ、ラスターは屋敷を後にした。
「そうですか。私としては独自にでも雇いたいと思っていたのですが」
「……あいつが頷かなかった事を私は納得もしているのですよ、リーゼンバッハ候」
パチパチと炎が音を立てる暖炉の前で、ネイハムとミハイルが今後の協議を行っている。
やるべき事は手に負えないほど多い。
王家の跡継ぎ問題、その後の動き、ガリア王国と前リンツ公、魔獣化した人間、加えて西部でも問題が起きるなど、枚挙に暇が無い。
自由な立場に居て、尚且つ手の内を晒しても問題ないだろう男の退場は正直痛い。
戦力として並外れている事は部下達の報告から最早証明済みなのだ。
何故ネイハムが逃がしたのか、ミハイルには疑問に思う所もある。
こちらの内情をある程度知った男は意図せず敵に回る危険も考えられるし、言いくるめるなり強硬手段をちらつかせるなりまだしばらくは上手く使えたはずだ。
この難局を前にして手駒を減らすような甘い男では無かったはずだが。
「奴はそう……無垢という言葉が合うかどうか……ふっ、いや、青いと言った方が似合いか」
含み笑いを漏らしたネイハムを黙ってミハイルは見つめる。
愉快そうな表情を浮かべた義弟は揺れる炎を見つめている。
「帰してやりたくなった、という私の甘さへの批判は受け止めましょう」
「どこにですかな?」
「奴の言う傭兵の世界とやらですよ」
ミハイルは理解が難しいその言葉に眉間に皺を寄せる。ならば傭兵として再び雇えば良かったではないか。
「染まっておらんのでしょう。納得行かないものに身を浸すだけの弱さが足りぬ。なまじ能力があるだけに」
「公がそれを仰いますか」
「買い被りですよ。私は一人の人間としては凡人にすぎぬ事を嫌という程思い知っております。できぬ事だらけでありました」
「彼は強いがゆえに弱いと?」
「若いうちは誰しもそうではありませんか。いずれ気付く事もあるでしょうが、無理に言い聞かせる必要もありますまい」
やや沈黙が続く。
「やはり見張りを付ける必要はあると思いますが」
「止めはしません」
「随分と買っておられますな」
「何、道楽のようなものです。ああいう男が放っておけばどう生きるのか興味が湧きました」
「それが悪い方へ転んだら?」
「責任は取りましょう」
ネイハムを敵に回す愚行は冒せない。
放っておくしかない、とミハイルも思考を切り上げた。