王国動乱 26
登場人物紹介
ジノ・アレイス……レプゼント王国西部将軍。実力で将軍位に昇った才人。子爵家出身だが爵位は無い。
ランド……西部軍下級将校。ジノの近衛を指揮する。西部軍一の腕を持つ。
レプゼント王国は国防として、国境を中心にぐるりと囲むように王国兵の詰め所を配置している。
脅威の少ない海側は徐々に数を減らし、今は北から南にかけて西側に集中している。
領土内の拠点は都市や街がその役目を果たしているが、王国が直接管轄する兵士詰め所と違い、各貴族に委ねられたその制度は充分な効果を上げられていたかというと疑問が残るところだ。
南部と北部が統一された今、その点では格段に進歩したといえる。
王国には四人の将軍が居る。
南部ネイハム、中央カデフ。
そして北部軍を掌握するライノー・バデン。
バデン将軍も老齢だ。
彼は生粋の軍人気質であり、良く言えば実直、悪く言えば頭が硬い。
そのため北部軍を統括するにあたり、ガゼルト公爵以下貴族の干渉に左右されないという意味ではうってつけの人材でもあるのだが、政治に関する多少の不正には軍人は関与しないとばかりに、一切何もしようとしないのは王国にとってはマイナスでもある。
そしてもう一人が、ジノ・アレイス中央将軍だ。
彼は三十歳半ばの叩き上げの若い将軍で、兵としての苦労を知っているせいか、人柄も穏やかで柔和な将軍という評判を持っている。
本来東西南北中央の五将軍で形成されている将軍位だが、過去に比べて軍事縮小は時代の流れ。
中央将軍は王都がやや東寄りに位置しているため、現在では東部将軍が兼任している。
正式に言うならばジノは西部将軍だ。
王都守護、そして広大な南北を統括する他の将軍と格差を設けないよう、東西将軍をまとめて中央将軍、と呼ぶようになったのはいつからか。
西部将軍はある意味、高位貴族出身の軍人からは敬遠されている。
何しろ南北が統一された今、西部の任地は極端に狭い。
中央将軍と呼ばれていても王都は東部将軍管轄のため、肝心の王都の権限もほとんど無い。
平和な西部国境沿いの詰め所と、押しやられるように与えられた王国内各地の詰め所を管轄するとても将軍位とは思えない閑職、というのが実情なのだ。
それでも低位貴族出身軍人の出世の最高位であることは間違いないのだが。
おそらく東部将軍であるカデフ・ローマンの父、コーム・ローマンが最後の純粋な中央将軍となるだろう。
「アレイス将軍。先週分の各詰め所からの報告書です」
「ああ、ご苦労。そこに置いておいてくれ」
レプゼント王国とマディスタ共和国の国境沿いの都市エンスタット。
ルンカトと同じく城砦都市だ。
ただ、ターミルと繋がり人や物資が行き交うルンカトと違い、エンスタットは完全に西側を封鎖している。
巨大な城壁で遮っているという訳ではなく、求めがあれば必要に応じて招き入れることが可能な門を備えた、人の頭よりやや高い程度の防壁だが。
長く伸びた国境防壁と、それを監視・警備する詰め所の統括。
ジノの主な業務だ。
勿論ジノに領地など無い。
エンスタットの領主は別に貴族が居る。
そして今届いた王国各地の詰め所の管理。
西部は平和だ。
各地将軍管轄の狭間に配置された詰め所からの報告書も、何か問題があることなどほとんど無い。
西部軍の訓練予定や兵の異動にまつわる事務書類に目を通し終わったジノは、トントンとその書類をまとめると机に置き、先程届いた報告書に手を伸ばす。
変わり映えのしない内容。
だがこれでいいのだ。
この変化の無い退屈こそ、ジノにとってきちんと任地の掌握に努めているという最高の評価になる。
西部軍が多少惰弱なのは仕方ない。
何しろ西部軍出身では箔が付かないし、そもそも優秀な兵は優先して中央や公爵領である南北から配置される。
平和と変化の無さが相まって、兵達に緊張感や出世欲が薄いのも伝統的な西部軍の慣わしであり、こればかりはジノを責めるのも可哀想というものだ。
各地の詰め所は少人数で編成されており、もっと緊張感に欠けても致し方ないが、きちんと粗の無い報告書を届けてくるだけでも満足できる。
ざっと流し読みしたジノは執務室から出ると本営を歩く。
エンスタットの一画を占める西部軍居留地は、流石にジノ配下の精鋭が揃っているだけあり弛んだ気配を感じさせない。
エンスタット守備部隊長にいくつか指示を与えると、都市内で食事を取るべく平服に着替える。
低位貴族出身のジノならではといえる。
たまにではあるが、自ら市井の声に耳を傾け、何か問題がないか探ろうとするのだ。
仕事熱心から来る習慣だが、暇だからという理由があるのもまあ否定はできない。
「お食事ですか。お供します」
これまたいつもの顔。
ランドというジノ直属の近衛。
貴族であり将軍であるジノは流石に一人で街を出歩くことは許されていない。
ランド指揮の下、常に数人が目立たぬよう警護につく。
「見計らったように来るな。最初からそうしろ」
「将軍が邪険にするからですよ」
「今日は……そうだな。お前どこか良いとこ知らないか」
「もう無いですよ。兵に聞いてみて下さい」
敬礼する本営警備の兵を数人捕まえ情報を集める。
やはり行ったことのある店の名前しか出てこない。
「失敗でしたね。訂正します。兵に聞いても流石に将軍にいかがわしい店を告げるなんてできないでしょうから、街の住人に聞きましょう」
「誰もいかがわしい店に行きたいとは言ってないぞ」
「言葉のあやです」
エンスタットの通りは広く、人混みという程人が溢れてはいない。
西部最大の都市ではあるが、元々西部は農業が主な産業であり、土地の広さに対する人口密度は低い。
田舎ではないが、牧歌的な雰囲気を持っている。
建物の高所にでも登れば、遠くエンスタット周辺に農地が広がっているのが見てとれるだろう。
西部はここエンスタット領、バゼント領、ザマ領の三つで構成されている。
都市エンスタット南部に広がるザマ地方の村々を纏めたザマ領、北西のバゼントの街を中心としたバゼント領それぞれに西部軍が展開している。
最も豊かなのがここエンスタットだ。
それでこれなのだから、バゼント・ザマ勤務の若い兵士達はさぞ退屈だろう。
エンスタット勤務が回ってきたら、非番の日には大いに羽を伸ばす楽しみがあるのは暗黙の了解となっていた。
軍規で禁止されてこそいないものの、ジノとしてはあまり歓迎もできない。
しかし兵士達の鬱屈を考えれば咎めるのも余りに酷だということで、見て見ぬフリをしている。
「お前も行くのか」
「ご興味がおありで」
「よせ。そんなことがバレたらアレイス家の門に磔にされる」
顔をしかめたジノだが、言外に否定的では無いと言っているも同然だ。
貴族らしからぬこの屈託のなさが、西部軍でジノが信望を集めている一因でもある。
「案外に奥方様が見つかるかもしれませんよ」
「おいおい、それこそ磔では済まなくなるぞ。父上に殺される。まあ、俺はいいのだ、引退したら考えよう」
「随分とお元気で」
クックッ、とランドが笑う。
口元に満足げな笑みを浮かべ、ジノは通りに視線を戻す。
アレイス家の家督は兄が継いだが、ジノは軍に入ってそれなりに自由も得た。
子爵家出身のジノは配属も貴族子弟として上層からスタートしたし、家からの支援もあり生活そのものは随分裕福だったといえるだろう。
無論それまで貴族として生きてきたジノには苦労もあったが、己の才覚だけが全てを決める軍生活は楽しくもあった。
妻を娶ることも勧められたが、断った。
軍人にならなければ今頃家庭を持ち、窮屈な思いをしていたかもしれない。
伽の相手なら居た。
ジノとて朴念仁ではない。
表向きは侍女だが、夜の相手役を務めるという、貴族にとってはごく一般的なものだ。
現在も居る。
無論、以前の女とは違うが。
余りに一人に長いと側室とみなされるためだ。
軍人としての才覚と剣の腕前を評価され、まさか将軍に抜擢されるなど思いもしなかったが。
思い描く姿は南部軍。
組織の制約と日々の業務を放り出す訳にはいかないが、いつか西部軍こそエリートと呼ばれる軍にしたい。
エンスタットの街並みを歩く。
この平和に溺れてきた姿が今の西部軍だ。
ある意味では理想だが、その先には必ず過酷な現実があるだろう。