砂漠の記憶 6
粘り強く昼まで空腹に耐え続けた俺は、開拓団の食堂で平べったいパンを齧りながらノアドの話に耳を傾ける。
「最初から募集にもそれは含めてあったからな。ターミルじゃ珍しい話じゃない」
「で、そのなんだっけ、サンマールだっけか、勝算っていうかさ。どうなってんの」
ターミル独特のこのパンは、レプゼントのように種類豊富という訳ではなく、俺が見た限りではこの少しべたつくような平べったいやつ一種類だ。
味は美味い。
ふんわりしてはいないが乾燥している地域だからか、水分を含んだようなしっとりした味わいで気に入っている。
「サジマールな。向こうはバリバリの傭兵団さ。まあ数は圧倒的にこっち有利だから勝算はある。元傭兵も多いし、あくまで地域の制圧だからこっちから無理に仕掛ける必要もないしな」
「そいつらと何だって戦になるんだ? 略奪したりバンデットみたいになってんのか?」
「あー、そうだな」
ノアドの説明は理解できるようでできなかった。
別に王政が崩壊した所ですぐ無秩序にはなるまい。
それまでの法には皆従ってたはずなのに、急に暴徒化するとなるとその法に問題があったか、力で押さえつけてたか何かしら問題があったのか。
が、そういう訳でもないらしい。
更に話を聞くと、少し理解できた。
ターミル地方は王国建国前、複数の部族が分かれて治めていたそうだ。
歴史は省くがなんやかんや有り、統一されて建国に至ったと。
だが砂漠の民の気質というか部族意識は継承され、受け継がれてきた。時代の中で部族の血も混じりあい、部族意識を持つターミルの民は少なくなったものの、今でも根強くそれを意識し続ける連中もいると。
「三軍制を敷いてきたのもその名残みたいなもんだ。傭兵軍ってのもサジマール族が王政に協力してたのがサジマール傭兵軍、何々傭兵軍って形でな」
「ほーん」
「サジマールの主張としちゃ統一王家が無くなった以上、元々の支配地域は自分達に帰属するって訳だ。だけどなあ、もうそんな時代じゃないんだよな」
「俺は今のターミルが良く分かってないから疑問だらけなんだけどさ。それって反乱とかそういう事?」
「うーん。どうだろうな」
ノアドは腕を組み顔をしかめる。
「サジマール族の連中が悪いって言うとちょっと一方的すぎるけどな。結局古い連中の主張をこっちが受け入れられないって、そういう話だ。奴らの居た場所だってとっくに王国には組み込まれてたし、今更明け渡すなんて無理だ。サジマールを名乗る連中の数も少なすぎる」
「なんかそれってあれだな。ちょっと可哀想な気もするな。田舎に帰りたいのに帰れないって感じだろ」
ラスターの言葉にノアドは鼻で笑う。
「そんな訳あるか。ちょっとガキっぽすぎるぞお前」
「はあ? 何がだよ」
「あのな、奴らが虐げられてたとかなら分からなくもない。だがターミルが統一されたことで奴らも恩恵を受けてたんだ。古い考えにしがみつくのは勝手だがな、死ぬ程便利になった場所は祖先一丸となって皆で作り上げたものだ。ムシが良すぎる。王国建国の時に俺達は皆一つの部族、ターミル国民となることを誓ったはずだ。冗談も大概にしろ、と言ってやりたいね、俺は」
急に熱の篭ったノアドにラスターは驚く。
こいつも砂漠の民ということか。
「何だよ、一方的とか言っといて」
「ターミルの法に従ってりゃ連中の言う話も少しは理解できるってだけだ。だが奴らは拠点とした場所の住人達を無理矢理追い出した。分かるか、奴らは俺たちの部族の民を攻撃してきたんだ」
故郷、祖先、一族。
目の前の男には理由があった。
ブライトン傭兵団というエリート組織を捨ててでも祖国の為に働こうと決めた男。
あのおちゃらけていた男が、眩しい程に一人の人間としての輝きを放っているかのように感じられる。
思わず自分と比べてしまう。
空っぽの自分への嫌悪感のようなものだ。
……分かんねえよ。
熱くなったノアドから目を反らす。
帰る場所も居場所も放り出して宙ぶらりんのラスターには、まるで「お前には心が無い」と言われているかのように感じられた。
――今でもそうだ。
――何の為に戦うのか理由が無い。
「……ラスター?」
ハッと我に返る。
シンと静まり返った夜に周囲を囲む目。
すうっと凍りつくような感覚が溶けて消えていく。
「あー、ちょっとど忘れしちゃいまして。まあそこから色々あってですね、ひとまず魔獣の方は置いておくって風に話が進んで」
本当はロイの事も少し妬ましい。
いつかあんな風に自分も目が覚めたりすればいい。
この話をしようと思ったのも、もしかしたらぼんやりとどこか現実感の無い自分が変われるのではないか、と心のどこかでそう思ったからだ。
少なくとも、目の前の彼らは家族なのだろう。
能力の優劣など、と思ってはみても無意識のうちにそこしか自分の拠り所が無いことに気付いてはいるのだ。
この手にかけたヴァイセントの感触。
こんな自分が奪って許されるものかどうか。
下らない、と何度も思っては浮かぶ思考。
そんな、あまりにも傭兵に似つかわしくない弱さを自分が抱えているなど、忘れてしまえと伸びをする。
ノアドがノルターミルの拠点へ行くというので、ラスターも着いて来いと誘われた。
形としては友人だが、ノル周辺における制圧戦の際の事務助手として俺を使うと、職員であり上司でもある人間には紹介しておきたいと言うのだ。
まさに見習いだ。
「でっけーな」
「腐っても一国の軍事要塞だった場所だ、当然だろ」
ノルからすぐ北はもう砂漠地帯へと変わる。
といっても緑は各所に点在し、不毛の大地といった様相は見受けられない。
少し砂塵が舞う石の外壁に囲まれた城「ハリシーン」の城門は開け放たれ、軍事城砦としての役目は終えたとアピールしているかのようだ。
ハリシーンの造りは面白い。
レプゼント王都デイカントもそうだが、平地を囲むように城壁が建造されており、こちらはデイカント程広大という訳ではなく、まさに箱庭といった感じがする。
城門をくぐるとやはり砂の地面が続くのだが、中央は緑が囲むオアシスとなっている。
それが人工的な物か訊ねると、オアシスがある場所に建造したに決まってるだろ、と答えが返ってきた。
その奥には砂が舞い込むのを避けるためだろうか、まるで舞台の大階段のような巨大な石の階段を構えた城が聳えている。
離れたここからでも見上げる程入り口は高い。
そこには沢山の人が行き来しているのが見える。
その左右には砦のような建物が隣接している。
「なあ、あそこの木でできたとこって何?」
「ありゃ倉庫だよ、急造のな。ここはあくまでも流通の中継基地だからな」
城門をくぐって右手に、ひしめくように木造の建物が建ち並んでいるのがやけに似つかわしくなかったので訊ねてみたのだが、なるほどと思う。
城へ向かって馬を曳いていくと、その倉庫群に隠れるように馬車溜まりがあるのが見えてくる。
無数の馬車が荷の積み下ろしを行っているようだ。
首布に頭巾。
絵に描いたようなターミル人の群れ。
人の事は言えない。
ラスターだってノアドから渡された頭巾と首布、全身を覆うローブ姿なのだ。
砂にまみれるのが嫌なラスターは、ターミル人よりよほどきっちり防砂対策を施しているような有様である。
「人が多いからな。その格好じゃ見つけるのは面倒くさいからちゃんと着いてこいよ」
うるせえ、いつまで子供扱いしてんだ。
風が吹き、口を開けると砂が入りそうなので、心の中で反論しておく。
人が行き交う巨大な階段をノアドに続いて上っていくと、これまた奇妙な光景に出くわす。
城の門も開け放たれているのだが、一階ホールであったであろうその場所にはデンと巨大なカウンターが設置され、多くの案内や受付に人が列を作っていた。
役所みてーだ。
上やその奥は見事に城の装飾が為され、それがまた何ともいえず胡散臭い。
「変なとこだな」
「それは否定できないね」
カウンターを横目に奥へと進み、狭い通路を歩く。
改装する訳でもなく、堅牢な城をそのまま利用したこの基地はノルターミル幹部の住居としても利用されているらしい。
「フードは取っとけよ」
一階の奥の職員事務所だろうか。
並んだ机に取り付いた男女が書類や資料と格闘していた。
ターミル城塞ハリシーン
ターミル南方に広がる魔境の防衛線の要として建造された巨大城塞。ここを中心にターミル王国は都市や街の防衛線を管轄していた。王政崩壊で軍として防衛線の維持が難しくなった事に加え、何も起きない魔境の監視より有意義に使おうというターミル人の逞しさがハリシーンを商業施設へと変えた。