砂漠の記憶 5
不規則に盛り上がり、手でなぞれば肌がすり下ろされそうな冷えた溶岩の如き岩を蹴り、次の岩山へと飛び移る。岩場などお構いなしに樹木は根を広げ、森を形成していたらしい。
最初に飛び込んだノルから見た森は、あれで随分とまともな森だったのだと思い知った。
(……どうするかな)
・最初の森を15分くらい歩いて進むと遭遇したヘビトカゲのような魔獣。殲滅が目的ではないので回避しようと思ったが見た目よりずっと素早く、跳ねて飛び掛ってくる。鱗はそこまで硬くない。死体の牙には変な汁が付いていた。毒かもしれない。地面は普通。あちこち石が埋まっている。
・森の切れ目のすぐから、小山のような岩礁地帯に出る。バラつきはあるが、高い所で3m程はある。魔獣との遭遇無し。
・徐々に低くなっていく岩礁地帯の先には遠く海が見え、見た目を考慮しなければ快適そのもの。かなり涼しい。
ここまで報告書用のメモを書いたラスターは考える。
最初の森を制圧するのは、どの程度の範囲かにもよるが問題ないだろう。
密生する木々で探知範囲は限定されたが、あのヘビトカゲ以外引っかかった反応は無かった。
この岩場と樹木が視界を塞ぐ一帯に足を踏み入れ、傭兵として物資輸送路の斥候だと仮定して考えてみる。
この未踏域に足を踏み入れてからまだほんの僅かだ。
馬や台車を使っての通行は難しいと言わざるを得ない。
ノルターミルもその結論に至ることは無いだろう。
迂回するにしてもオルリア側、レプゼント側のどちら周りを選んだにせよ、両国を掠めるように切り拓いた交易路では、接収されるなりなんなり何かしらの干渉を受けるのは目に見えている。この地はどこの領土でもないのだ。
(無理っぽいな、こりゃ)
ノルの村の滞在場所として案内された宿屋は、真新しい木の香りがするのでなかなかにラスターは気に入っていた。依頼を受けたその日にノアドがとってくれた宿だ。
立ち入り禁止区域に指定されたりはしていないものの、魔境に踏み込むなど誰かに見られたら大騒ぎだ。
翌日夜が明けきらない内に出発したが、思った以上に帰還が早い。
塀を作る作業現場に戻ると、幸いにも人はおらず静まり返っていた。
ノルから誰かに見られていないとも限らないので、静かに村に取り付く。
わずかばかりの水や食料、必要かもしれない装備を放り込んでいた大き目の背負い袋を背負い、宿に向かう。
「おはようございます。精が出ますな」
通りの途中で恰幅の良い四十代と思しき男性がにこやかに話しかけてくる。
台車の荷物を降ろしているところを見ると商人か。
「はい、まあ。来たばかりですけど」
「見たところ随分とお若い。どなたかと?」
(たぶん、俺を商人仲間だと勘違いしたんだろうな。宿に泊まってる連中はだいたいそうか?)
背負い袋を商売道具と思ったのか、ノルで宿に宿泊しているのは皆商人ばかりなのかはわからないが。
言葉からしておそらく商人なのだろう。
会話をさっさと切り上げたいラスターは適当に話を合わせ、商人らしき男と別れる。
ああして少しでも知り合いを作ろうとするのが商売のコツなのかもしれない。
部屋に入り背負い袋を床に落とし、ドサリと腰も寝台に落とす。
ノアドにどう説明しようか。
岩礁地帯の一番高い所から粒子を飛ばしてみたが、魔獣の姿は確認できなかった。
ノアドにすればもっと先に進んで調査して欲しいだろう。
だが何となく嫌な感じがした。
探知を過信して調子に乗って痛い目にだけは合うまいと心がけているので、すぐに引き返したのだ。
想像していた魔境はもっと危険な場所だったのだが、森はそこまで危険だとはどうしても思えなかったというのが一つ。
もう一つは、岩礁地帯の清潔さだ。
目視でも、探知でも生物の痕跡が見当たらない。
魔獣の生態など知らないが、生き物である以上何らかの痕跡はあるはずなのに、だ。
人間とて馬鹿ばかりではない。
魔境として警戒するには理由があるはずで、ラスターがその警戒すべき理由を発見できなかっただけと考える方が正しいだろう。
つまり分からないから引き返した。
ラスターにとってははっきり分かる危険と同じく、分からないということは危険なのだ。
(でもノアドがこれで納得するかね?)
地形が開拓には困難だというのは報告できる。
ただ流石に地形などそう頻繁に変わるはずもなく、当然以前の調査で把握しているだろう。
探知で危険を発見できなかったから、危険だ。
ちょっと上手く伝える自信が無い。
泊まり客は商人ばかりのようで、彼らは毎朝ノルに基盤を築くべく早い内から色々と精を出しているらしい。おかげでまだそこまでの時間じゃないというのに朝食を逃してしまった。
主人にゴネるのも子供っぽいので平然さを装い――本当は極貧の俺はかなりのダメージを受けていたが――通りを歩き、恐ろしく軽い財布だがこれで何とかしようと物色する。
開拓作業に従事する男衆ばかりと思っていたが、ノルの移民は俺の想像よりずっと多く、女性やお年寄り、子供の姿も見かけたので開発はこれから益々加速するのだろう。
村としての産業が何になるのか分からないが、規模を考えれば順調に開発が進めば都市と遜色ない姿になっていくはずだ。
まだまだ店の数などは少ないが、人気を感じる方へと歩いていく。
と、ノルに来た時に見た広大な空き地となっている場所の方角からかすかなざわめきを聞きつけた。
――ちなみにこの頃はまだ常時展開型の探知は使いこなせていない。
通りを形成する家々の路地を抜けると、普段開拓作業をしているはずの男衆が空き地に集まり、開拓団の服に身を包んだ連中が何やら周りで動いている。
その近くで見物するようにちらほら立ち見の人間がいたので近付き、訊ねる。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます」
「これ、皆さん集まって何をしてるんですかね?」
「ん、あなたは他所から来たんですか?」
おや、というような顔をした髭面の男が訊ね返してくる。
「来たばかりです」
「移住希望の方? 商売、ご家族か何かで?」
ノルでふらふらしている若い男は俺以外見かけたことがない。
商人にしても若すぎるのでやはり大分浮いているのだろう。
「まあ商売っていうか、開拓団の知り合いに見にこないかって誘われまして。下見みたいなもんですかね」
「へえ。じゃあ入団希望なんですか」
話しかける相手を間違えたな。
何だこいつは。いいから質問に答えてくれよ。
「思ったより立派で驚いてますよ。……で、皆さん何してるのかなって」
「ああ、これね。サジマールとの戦いに備えての訓練ですよ」
ん?
何ですかね、そりゃあ。
「へー。なるほど」
「私らとしちゃあもっとね……いや、何と言いますか頑張って貰いたいものです」
最後歯切れの悪い言葉が気になったが、髭面は誤魔化すようにそそくさと去っていってしまった。
戦いの訓練、民兵ってやつか?
そういえばあの槍、あれは村人に支給するものだったのだろうか。
集まった男達の前に立つ開拓団の人間が大声で何か演説をしている。
周りに立った団員が手分けして指導にあたっているようだ。
興味深くそれを見物しつつ、金切り声で主張してくる十代の胃袋をなだめすかす。