砂漠の記憶 4
木漏れ日が眩しく煌き、その眩しさに手をかざす。
背の低い木の屋根には隙間が多い。
朝の息吹を全身に感じる。
海鳴りのような木々のざわめきの中、吹き抜ける風が心地よい。
緑の香りを深く堪能しようとゆっくり吸い込んだその空気は――めちゃくちゃ生臭かった。
ラスターの黒髪が揺れるその周囲には、蛇ともトカゲともいえるような異形の死骸が数体転がっていた。
思った以上に素早く、そしてしつこく追いかけてきた魔獣の死骸に背を向ける。
その手にはノルの村で貰った安物の手斧。
ノル南方に広がる魔境は、ターミルの発展を阻害する要因として長くターミル国民を悩ませてきたが、散々痛い目を見てきた歴史の中で攻略は二の次となっていた。
人が足で歩くのも困難な異常な地形に、魔獣のテリトリーとなっており、誰も命を捨てようとは思わないのだ。
領土に加えようと野心に燃える王も、軍の派遣がままならない場所に手を拱き、いつしか不可侵の領域として人々に放置されることとなった。
ノアドからのラスターへの依頼は、魔獣の生態調査だ。
正しくは交易ルート開発の端緒として、まずはノル周辺の開発が可能か、魔獣の生息数がどうなっているのかなどの初動調査である。
「そんなの軍でやるもんだろ? そんなこともやってないのかよ?」
屋上でノアドから告げられた内容にラスターは首を振る。
「そりゃ散々やってきただろうよ。でも残ってる記録は随分昔のやつだ」
「あっそ。自分とこの傭兵団でやれよ」
ラスターは憤慨する。
どこに十代の小僧にそんな危険な依頼をする奴がいると言うのか。
いやここに居るが、そうじゃない。
あまりにも馬鹿げている。
「俺達が南方大陸との交易開発を画策してると周りの国に知られたくない。傭兵だろうが外部の人間は雇えない。内部から募ったとしても情報漏れが怖い」
真面目な顔に戻ったノアドの顔に、かつての傭兵団での記憶が蘇る。
いざ作戦が始まる段階になるとこの男はこんな顔だった。
「危険度を考えればどうしたって人数を揃える必要がある。しかしそれだと目立つ」
「ええ? どういう事」
「お前な、ターミルの事情を考えてみろよ。今ターミルはよそから入って来る人間に関しちゃフリーだ。好き好んで来る奴もそんなに居ないが、他国の密偵みたいな連中は自由に歩き回ってるんだぜ」
つまりノルの動向も監視されている、という事らしい。
「だったらこの事業自体ダメだろ?」
「馬鹿、誰が南方大陸進出の足掛かりを建設してます、なんて言うかよ。将来的にはそうだけど、当面の目的は国土の拡張とこの辺一帯の平定だ」
防衛線からこっち、空白地帯のようになっているこの辺りには王政崩壊から好き勝手にやり始めた連中の根城があるらしい。
「知るかよ、そんなこと」
「今教えた。でもこれで納得しただろ」
そもそも開拓団の部下を持つ程のポストにノアドのような若い傭兵上がりがいることが不思議だった。危険地帯なのだ、現場勤めの傭兵上がりならもっとベテランが他にも大勢いるだろう。
「最初からそのつもりで俺を抜擢したらしい。開拓団を隠れ蓑に南方への調査をする。開拓団には俺みたいな元傭兵が大勢いる」
ようやく俺はノルが建設された政治的背景を知る。南方交易の前線基地。村の建設に紛れてその可能性を密かに探る調査員を派遣する。
ブライトン傭兵団に所属していたエリートであるノアドは、人手不足のノルターミルにとってうってつけの人材だったのだろう。
「色んな肩書きを持った連中がここに視察と称して来たりもする。俺は動けん」
その言葉に、一体どういう事かとラスターは首をひねる。
最初からノアドを使う目的で送り込んだのならばノアドが動きやすいようにするはずだ。
立場が邪魔なら外してやればいい。
「少しはやってみたんだけどな。魔獣と言っても大したのは居なかったが、囲まれれば流石にどうしようもないしな。俺が知る限り、お前しかいないと思ってた」
真剣なノアドの眼差しに、口説いてるのか? と茶化してみたくなったがやめた。
「お前に返事の手紙を送ったのはダメで元々のつもりだった。もちろん……お前に断られて当たり前とも思ってる」
屋上に吹く生ぬるい風にそよぐノアドの金髪は、相変わらずきっちり撫でつけられている。
似合わないシャツだけが別人のようだ。
「ラス。危険だと感じたら放り出しても構わない。お前の悩みに応えるでもなく、この事も書かずに数年振りに手紙を送った俺がずるいのもわかってる、だけど」
「協力して欲しい。俺は故郷を見捨てられないんだ」
「……まあ、ここまでわざわざ来たし、適当になら」
ノアドは口を閉ざし黙ってラスターを見つめる。気恥ずかしさからラスターは屋上から見えるノルの景色を眺めるように数歩移動する。
何故かはわからないが、ノアドが言いかけた言葉の先にあったであろう、「頼む」の言葉が聞きたくなかった。
それにノアドの言うように、ラスターには自信がある。
周辺調査など、おつかいと変わらないさ。
「……これは俺個人からの極秘依頼という形になる。ノルターミルにも開拓団として調査を行ったという報告をする」
「全然、構わないけど。バレないように苦労するのはお前だろ?」
ノアドが眉を顰める。
「いいんだな?」
「いいって」
「男に二言は無いぞ」
「何だよ、まだ何かあるわけ?」
「素人丸出しだぞお前。……俺が出せる報酬はなんと五万ジェルだ。ただし支払いは来月末まで待ってくれ」
「他のヤツに頼め」
お前が一番ズルいのは手紙にそれを書かなかったことだ。
くそっ、ノアドの給料がいくらか知らないがこんな危険な依頼をはした金で引き受けるとは。
ちなみにノアドは俺の探知の魔力を知っている。
限られた、俺が信頼する数少ない人間の一人だ。
当然、ロイ達には黙っている。
「……魔獣……そんな経験もあるのか」
「ゼナ。寒くないか?」
ゼナはエルイの言葉に黙って首を横に振る。
少ししわがれてはいるものの、ゼナの声は少女のような本来の声に戻りつつある。
ロイから教えられたが、薬を飲んで変えているそうだ。
傷を受け薬を飲んでいないゼナが気付いているかどうか分からないが、俺は知らん顔をしていた方が良いだろうな。
「魔獣か。バケモノ相手に単独行? そんな若さで?」
「いやぁ、ちょこっとその辺の小さいのを見ただけですよ」
おっと、いかんいかん。
それに……魔獣を狩ったなど自慢できない。
俺はこの件に関して失敗もしている。
ノアドも魔獣なんぞ知らない若造だったということだ。
厳密に言うとノアドの失敗だな、ありゃ。うんうん。
外洋への遠征
これもやはりかつて教会が禁じた事、現実問題として魔獣に対処できなかった事などから未だ大陸でその動きが見られない事項。外から大陸に接触してくる存在が無い事も大きい。だが女神戦争以前から大陸の外に広がる世界の情報は有り、現在でもその情報は知識として伝わっている。