砂漠の記憶 1
登場人物紹介
メリサ……ノル開拓団の職員の女性。柔らかな印象を受ける、愛くるしい顔立ち。
「俺が、えっと十七か十八かどっちかの時なんですけど」
「四、五年前?」
「はい。当時の俺は子供の時から傭兵の鍛錬を積んできたにも関わらず、どこか傭兵団に馴染めなくてですね。まあ、今でもそうなんですけど」
「無所属、一匹狼の性なんだろうな」
「バリエさん、みじめになるんでやめて貰えます?」
「え?」
「……まあとにかく、悩んでた時期だったんですよ。迷子っていうか……傭兵ってのが何なのか、分かってなかったせいかもしれません」
ロイ達にも通じるものがあるかもしれない。
いや、きっと誰でもそういうものなのかもしれない。
「で、子供の頃から稽古をつけてくれてた傭兵がターミルに居まして……」
俺は話し始める。
足掻くのをやめた、そのきっかけを。
足を踏み出すと僅かに砂埃が立つ道。
爪先に目をやりながら歩けばそのまま顔まで舞い上がってくるというわけでもなく、空気に溶けたようにスッと消えていく。
すぐに地面へと戻ってくれるのは有り難いが、靴が汚れるのではないかと気になってしまう。
朝とはいえ照りつける夏の陽射しにうっすら汗ばむ首筋を拭う。
簡素だが頑丈そうな木の柵がめぐらされた、開拓地。
「一人か? 乗り合い馬車以外で一人でくるなんて最近じゃ滅多にないが」
土地の古い言葉で「新しい」という意味を持つノルの村の門番らしき男が先に声をかけてくる。
「ええ。レプゼントから来てモンド領行きの馬車に乗って、途中で降ろしてもらいました」
「レプゼントから来たのか。どっかの街か村で降りてここに来る乗り合い馬車に乗ればよかったんじゃないか?」
門番の疑問は当然だ。
このターミルで、一人旅は珍しい。
乗り合い馬車とは複数の馬車に護衛のついたキャラバンのようなもので、民間人の生活圏間の移動はこれで行うのが普通だ。
王政が瓦解した今、ターミルはお世辞にも治安が定まっているとは言い難い。
ただこの男の言い分も分からないでもない。
僻地ともなればそう頻繁に発着があるわけではないからだ。
街や村に着いたら一定時間休憩も兼ねて滞在してから出発するとはいえ、旅の都合上発着時間も正確とは程遠い。
荷を運ぶ交易馬車とは違うのだ。
そのため長距離移動で目的地の異なる乗り合い馬車を乗り継ぐとなると、余計な宿泊費などが嵩む。
ただでさえ高額な乗り合い馬車で長距離移動するとなると、それなりに裕福な商人などが主な利用客になる。
目の前の一人で来たと言うこの若者は商人には見えない。商人とは初対面の相手にはもっと愛想を振りまくものだ。
そもそも荷を持っていない商人などあまりいないし、途中で降りて歩いてくるなど。
あまり目つきが良くないのは生まれつきなのだろうが、かといって険のある表情という訳でもない。
(腕に自信アリなんだろうが。懐に余裕がないのを無理してきたってところか)
「金持ってるように見えます?」
「はっはっはっ! いやなに、お前さんを馬鹿にしたわけじゃない。スマン、つい笑っちまった」
肩をすくめ、好きで歩いてきたわけじゃない、と表情に出した男の発言と見るからに貧乏そうな出で立ちに思わず笑ってしまった門番は謝罪する。
「名前と、ノルに来た目的を聞かせてくれるか」
「ラスター・セロンです。ここに開拓民としてきているノアドという友人に会いにきました」
「ラスター・セロン……っと。お前さんはレプゼント国民ってことでいいのか?」
「はい」
「ここはお堅い規則がある街ってわけじゃないが、治安を乱すような人間はお断りしてるんだ」
そこで門番は少し申し訳なさそうな顔で聞いてくる。
「入村の規則には無いんだが、一人で歩いてくるなんて珍しくてな。仕事何してるか聞いてもいいか?」
「傭兵です。募兵なんてあんまり無いんでもっぱら雇われで使いっぱしりやってますけどね」
「どっかに所属してるのか?」
「いや、フリーですね。なもんであんまり声もかからないって訳でして」
根無し草か。
軽装も、無謀な行動にも納得がいった門番はなるほどね、と胸の内で呟く。
身元の確かさには不安は残るが、この村にはまだ明らかに危険と判断できる人物や集団以外の入村を拒む規則が無い。
ラスターと名乗る青年も話した限り気の良さそうな人物だ。フリーの傭兵も珍しいご時勢ではなくなっている。台帳にいくつか記入を終えると門番はニッと笑って声を掛ける。
「ご苦労さん。んじゃ入ってくれ」
「どうも。帰りは馬車で帰れるといいんですけどね」
「ははは、がんばれよ」
村へ入っていくラスターの冗談に笑いながら、とりあえずの機能でしかない村の門を閉める。
門横の詰め所へ入る前にもう一度遠ざかるラスターの背に目をやり、気付く。
(あいつ武器持ってないな。無謀にも程がある)
村に入ってもやはり若干の砂埃が立つ。
特に舗装されたわけではないが、元々の地面をそれでも平らに均したであろう人々の努力は想像に難くない。
門から直線上に刻まれた道は、そのまま建ち並ぶ家屋の区画へと続いている。
木造の家屋に挟まれた村の中央通りには、屋根と屋根の間に紐を使って布が張られ、日光を遮る工夫がなされている。
(まるで王都のアーケードみたいだな)
「悪い、そこ通してくんな!」
「ああ、気が付きませんで。どうぞ」
「あんがとよっ」
アーケードを形成する通りの入り口のど真ん中に突っ立って上を眺め、雨が降ったらどうなるのか、所々隙間が空いているのは意図的なのか? などと考えていると、後ろから声をかけられた。
幅広い木の板を頭上に掲げた複数の日に焼けた男達が息を合わせて駆けていく。
ノルの村という布告と、住民の受け入れを開始してからまだまだ間もない村ではあるが、規模としてはかなり大きく、移住してきた人間の数も多いと聞いている。
早朝のためかいまだ人影は少ないが、先ほどの男達のように活発に村の開発が日夜行われているのだろう。
下手な街より広大なノルを「村」と呼ぶのに違和感はあるが、間違いでもなんでもない。
国家に仕える貴族などが治め、一定の自治権を持つ場所を「都市」と呼び、国に任命された領主や派遣された役人がいる場所を「街」、そうでない場所を「村」と呼んでいるからだ。
ノルは国主導で建設されたものではない。それどころかいずれの国にも所属しておらず、徴税すらない。
ターミル自治領では新規の集落建設は自由だ。
この先この村を治める長や役人を決め街や都市となるのか、近隣国家のどこかに領土として併呑されるかはわからないが、とにかく現時点では村なのだ。
通りの中には道端に商品を積んだ台車や敷物があちこちにあり、商売の準備をしている人々がいる。
積まれた商品に目をやりながら目的の場所を探し奥へと進んでいく。
家と家の間のいくつ目かの路地にさしかかると、馬が繋がれているのが目に入る。
その後ろの裏口の扉は開け放たれており、数人の男女が荷物を運んでいるのが見えた。
(……槍? えらく大量にあるな)
細長い木の棒の先端に短い鉄の刃が付いた三流品だが、数本毎に束ねられた槍がどんどん運び出されている。
まだ若い男3人と女1人がせっせと道に積み上げていく。
この手の仕事はラスターにとって身近なもんである。ベテランといってもいい。
男女の格好は統一されたズボンとシャツだ。
黄味がかった白から覗く素肌は一様に陽に灼けている。
再び通りを奥へ向かいだしてすぐ、先ほどの男女と同じ服装の女性が近づいてくる。
こちらはあまり外に出ないのか、服の色と相まって肌の白さが際立つ。
「おはようございます」
穏やかな笑みを浮かべながら少し首を傾げ挨拶をしてきた女性にラスターも笑顔で挨拶を交わす。
そのまま通りすぎるつもりでいたが、女性は足を止め再び声をかけてくる。
「あの、外からこられた方ですか?」
えっ、とラスターは驚いた。
「あ、さっきここに着いたばかりです」
「そうなのですね。いきなり不躾で申し訳ありません」
そう言って頭を下げる女性に尋ねる。
「いえ、お気になさらず。なんでわかったんですか?」
女性が説明を始める。
彼女の名前はメリサ。柔らかに揺れる肩まで伸びた茶色の髪に、卵型の小さな顔と背で幼く見える。
ノル開拓団の一員として働いているそうだ。
メリサがラスターを外部の人間と思った理由は、現在ノルの住民登録をしている若い男性は皆、開拓作業に従事している時間だかららしい。胸が痛い。
住民以外にもここを訪れている外部の人間はいるが、開拓作業は作業可能な住民男性全員の義務となっているので、念の為確認したそうだ。
先ほど槍を運んでいた集団も開拓団の一員なのだろう。
「いつもこんな朝から総出で開拓作業しているんですか?」
「はい。暑くならない朝のうちに村全体で作業を進めて、昼前には解散します。その後は当番制で作業を割り当てています」
「なるほど。商売している方に差し障りはないんですか?」
「朝の作業中のお店の準備などは女性が担当しています。特にこの時間は自警団の方々が見回りもしていますので」
この中央通りは先ほど見かけたように外部の商人の目も多いので見回りには遭遇しなかったのだろう。
「ラスターさんはご商売でいらっしゃったのですか? それとも住民希望ですか?」
「友人に会いに来たんですよ。ノアドって奴なんですが知りませんか?」
「ノアドさんの! そうなのですね」
メリサの顔がパアっと明るく輝く。
それを見たラスターは内心ムッとする。
(ノアドの野郎。こんな美人とどんな関係だ?)
「ノアドがどこに居るか教えてもらえます?」
無意識に声のトーンが低くなる。
「ええと、今は開拓作業で忙しいと思いますので……」
うーん、とメリサは少し首を傾げる。
「よろしければ開拓団宿舎本部でお待ちになりますか? 朝の作業が終われば一旦戻ってくると思いますので。後2時間ほどで終わるはずです」
「……そうですね。そこで待たせてもらえれば有り難いです」
2時間もあるのか、と思ったがこのまま人気の少ない村で時間をつぶすのもしんどいと思いラスターは頷く。
「では、ご案内します」
街と町の違い
読みは同じだが厳密には「町」という区分は存在しない。役所が有り、王国が役人を逗留させているのが「街」であり、それ以外は全て「村」となる。「町」というのは近年人口が増え、「街」の機能を持ち得る「村」を区別する為に呼ばれ始めた通称。