王国動乱 22
「ロイ! 俺が代わるから信じて交代しろ! あんたが考えろ!」
ゼナとハイデンがもう保たない。
焦れた俺は鈍くなった工作部隊の隙間を抜け、ロイの前に割り込む。
機械のようにこの陣形を維持し続けるつもりならぶん殴ってでも止めてやる。
そう覚悟したがスルリとロイは中央へ下がる。
よっしゃ、それでいい。
サントゥ、パーグ、エルイの動きに合わせ方陣を回す。
別に走り回る訳じゃない。
四隅の頂点は、ハイデン達やエリオ達と違いしっかりと交戦しながら隣の相方の方へ突きこんでいくという具合だ。
ロイと俺が交代しても彼らは変わらずその動きを継続している。
敵は剣や槍を投げ込んできたりもするが、流石にそれでやられる程追い込まれている訳では無い。
が、指示が行き渡ったのか、弓を携えた連中が配置に付くべく移動しているのを探知する。
俺にとってはどうでもいいが、ロイ達にはまずい。
方陣はもうあそこまで届かないだろう。
ロイ達が倒れれば俺も流石に多勢に無勢だ。
詰みに近い。
「お前ら! 俺に着いて壁際まで来い!」
方陣を抜け出し走る。
正面からではなく、左右から牽制するように出て来る剣や槍を払い、弓矢を構えた四人の方へ飛び込む。
その辺りにいた敵が吹き払われるように下がり、距離を取る。
弓矢の四人も下がる。
その内の一人、矢を番え下がりながら構える男にナイフを飛ばす。
視界が悪いとはいえ多少距離が離れていた上向こうはこっちを見ている。
ナイフを腕で受けられてしまった。
が、仕方ない。
呻き、倒れこむように尻餅を付いた男に飛びつくように剣を突き込み、命を絶つ。
「下がれ、下がれ!」
「何なんだこいつら!」
方陣は俺が開いた道を進んできている。
もしもその場に留まる判断をしていたなら俺は一人で脱出すると決めていた。
覚悟を決めていたが。
本当にホッとした。
苦しい。
この程度でなんでこんなに。
訓練ではこの倍以上の長さでもここまで疲労することなど無かった。
恐怖心は無い。
こういう死地における精神鍛錬は幼い頃から積んできたので、ゼナには自信がある。
死ぬことも怖くはない。
なのにこのままでは自分が足を引っ張る。
それだけは嫌だった。
ゼナ達は素人ではない。
命を懸けたやりとりも、何度も経験してきている。
だがそれは同じ土俵で戦う相手だけだったことに気付いていない。
力量としては勝っているものの、相手が烏合の衆であることが逆にその立場を悪くしているのだ。
バンデットに見せかけた北部貴族の館の襲撃。
音もなく忍び寄り、風のように襲い掛かり目的の物を奪い離脱した。
命じられた暗殺。
直接行うのはゼナでは無かったが、チームでお膳立てしてきた。
失敗など一度も無い。
何者かが指嗾する密偵との戦い。
最も多かったのがこれだ。
今回のように多数に囲まれたこともある。
だがほとんど被害なく撃退したし、こちらの命を狙って捨て身で襲い掛かって来る連中も全て返り討ちにした。
ところが今相手にしている連中は目的を持っていない。
襲撃者と戦えと命じられているだけ。
ある意味では最初から守りを固めている。
損得による撤退の判断も無い。
こちらからの襲撃であれば、足を止めずやはり風のように襲撃し、幹部まで一気呵成になだれ込めば良かったのだ。
勿論相手がそうさせてはくれなかったというのもあるが、広間に突入した段階で強行突破を選択していれば、イエロには届いていただろう。
では何故それを選択しなかったのか。
ロイ達は事前に今回の任務が今までと異なった危険な展開になることを話し合っていた。
予想される敵の数が多いこと。
こちらを警戒して武装していること。
そして何より戦闘そのものが目的であること。
ミハイルに文句を言う者などいない。
いつかこういう場面が来ることは分かっていたし、何より自分達はリーゼンバッハの剣である。
「皆、俺は今回で命を落とす覚悟をしている。まあ、言うまでもないな、これは野暮だった。ミハイル様は撹乱と仰ったがラスターと俺二人の時には殲滅と仰っていた。おそらくあれが本心なのだろう」
「そうか。そんなことを」
「そう指示してくれれば良かったのに」
「ミハイル様のお優しさだろう、ゼナ。俺達に死んでこいなど、いざその場面になったら決して言わない御方だ」
尤も、ミハイルにそのつもりがあったかどうかは分からない。
主従の心が通じ合っているなど多分彼らのそうありたいという願望から来る幻想だ。
リーゼンバッハの抱える実行部隊はその時々で人数が多少変動するものの、基本的に個別の入れ替わり制では無く、固定の一軍制を取っている。
ロイ達も前任の部隊から引き継いで昇格したし、後を継ぐ者達も現在訓練を行っている。
代わりは居る、という認識を持っている。
「他ならぬ巫女様のことだ。どうあってもこの機を逃したくはないだろうな」
「そうだな……」
洗脳、とまでは言いすぎかもしれないが。
彼らはほぼ例外なく過酷な訓練の中で特別な思考をするようになる。幼い頃からその訓練を開始した者程その傾向は顕著になるのだ。
この点でルパードやハイデンはタッカやゼナに比べると柔軟な思考を持っている。
己の判断をするということではない。
あくまで大人だ、ということだ。
ロイがリーダーを務めるのは、勿論彼らの中で最も優秀だったからだ。
肉体的にもだが、頭脳でも一番だった。
そして過酷な訓練をこなす過程で一つだけ問題があったとすれば、ロイが優秀すぎたということだろうか。
並みの者なら極限状態の中で、リーゼンバッハの実行部隊の思考を頭ではなく肉体で理解していく。
そしてそれが当たり前の思考となる。
ただロイは優秀すぎたが故、そこまで追い込まれることなく頭で理解したのだ。
その分冷静な判断が下せるとも言える。
盲目的にミハイルの指示に埋没できる人間と、第三者目線で冷静にそれを判断できる人間、どちらがより優れているかは分からない。
だが結局ロイは非情になりきれなかった。
犠牲を省みず強行突破という選択ができなかったのだ。これはリーゼンバッハの思考を持った仲間からすれば裏切りに近い。
タッカやゼナはこのことを知ればロイを責め立てるだろうが、悲しいことに彼らはロイが土壇場で甘い判断を下したなど毛ほども疑っていないし、そこに行き着く疑いを持たない程ロイを信頼している。
他の連中は理解していた。
ロイが犠牲を出すことを躊躇ったことに。
そして黙ってそれを受け入れたにすぎない。
十年共に過ごした彼らの絆は強い。
死ぬなら共に、別にそれならそれでいい、と。
ルパードとて分かってはいたのだ、このままでは全滅するだけということぐらい。
奥に脱出口がある保証など無いのだ。
方陣を堅持して何とか離脱する道が見えている状況を、自分の判断で動かせなかった。
方陣にラスターが飛び込んで来る。
邪魔をするなとゼナは叫びたかったが、そんな余裕は無い。
ラスターはまるで見当違いなことをひとしきり怒鳴った後、あろうことかロイの前にしゃしゃり出た。
こいつ!
だがロイが下がってきたのを見てそれ以上に驚いた。
なんで!?
訳が分からない。
更にラスターは方陣を引き受けたにもかかわらず、それを放棄して飛び出した。
エリオがすかさずその穴を埋める。
「方陣を維持したままラスターのいる壁際まで移動。壁を背にして防御陣形」
ロイの指示に思考が霧散する。
無造作とも思える速度でラスターが次々と矢を放ち、こちらを援護しているのが見える。
どういう訳かラスターの居る場所だけ、ぽっかりと穴が開いたように敵が居ない。
「ゼナ、ハイデン、ルパード下がれ」
指示に従い壁を背にした半円の防御陣形の内側に入る。
体が重い。
荒い息をつき、自分の体に起きた異変の原因を探ってみる。
傷は受けていないのに。
もしや知らぬ間に風邪でも引いたのか。
こんな時に自己管理ができていないなど、一段劣った自分の能力に改めて歯噛みする。
「ロイ。決めてくれ。俺がここへ連れてきた時点で選択肢は無くなっちまっただろうけど」
「……ああ。撤退だ」
ラスターとロイの会話に現実感が無い。
撤退、という指示だけはっきりと認識する。
「エリオ、バリエ。ゼナを頼む。殿は俺とパーグ。密集隊形」
「タッカ、この弓使うか?」
「いや、いいよ。走りながらは無理だよ」
「あ、そ」
まるでいつものような調子の会話に、え、と思う。
「俺が先頭で行きます。弓のやつは一人残ってますが、仲間がいるから撃てないと思うけど、一応後ろ気を付けといてください」
「任せろ」
その言葉を残すとラスターが動き出す。
複数の光芒が宙を走り、囲んでいた敵の間から苦悶の声が聞こえた。
ゼナを挟むように両脇にエリオとバリエがいる。
いつもの離脱。
ゼナの思考はただそれだけに切り替わっていた。
飛び道具
女神戦争時代は魔獣相手に弓矢は大いに力を発揮していたが、それ以降は徐々に廃れていった。というのも、大きな理由の一つとして、教会が禁じた事にある。狩猟で獣を狩る武器を人間に向けるなというひどく宗教的な理由によるものだが、当時はこれがまかり通った。それ以降は再び使用され始めたものの、戦乱が落ち着くにつれ、戦争も経済効率を求められるようになったせいで大きく発展する事は無かった。