王国動乱 18
午後から雲が少し出始め、憂鬱な空模様に変わる。
雨が降りそうな気配こそ無いものの、曇天が更にクレアの憂鬱な気分を煽り立てる。
はあ、と何度目か分からないため息をつくと、ベッドから起き上がり階段を下りる。
先の見えない深刻な状況でも、腹は減る。
何を考えているのか、椅子に座りじっと腕を組んだまま動かないイーガンを無視し、台所の食料を漁る。
昨日作ったスープはすっかり冷えている。
火にかけるのも億劫なのでパスだ。
塩漬けの豚肉の燻製の匂いを嗅ぎ、ナイフで一塊切り取ると、昨夜切り分けた残りのパンを取り出す。
クレアにはやや大きい。
肉を切ったナイフでパンを切るのが何となく嫌なクレアは、木の皿のふちで押し潰すようにパンを二つに割る。
テーブルに運ぶと豚肉とパンを交互に齧る。
こんな食べ方もすっかり慣れっこだ。
元気良く食べ進めていく。
と、ガタッ、と外で音が聞こえた。
皆いい加減外に出る元気が出たかな、と思ったのも束の間、聞き捨てならない台詞を耳にする。
馬鹿、静かにしろ!
いや、台詞そのものよりも。
押し殺すような聞いたことの無い声。
両手に肉とパンを持ったまま、口の動きも止め、固まる。
イーガンと目が合う。
黙ってクレアを手で制すると、イーガンは立ち上がり窓の隙間から様子を窺う。
急いで咀嚼し飲み下すと、水差しの水を直接流し込み大急ぎでイーガンに追随する。
この村に人が来ない訳ではない。
ほとんど来る人間などいないが、年に一回役人が来る日さえ気を付けていれば、後は取引のある商人だけだ。
不意の来客が来ても、ペール村に見られてまずいものがある訳でもなく、今までそれが問題になることなど無かった。
だがダックが行方不明になった今は違う。
警戒はしていたが、よりによってこんなタイミングで。
憂鬱さが一気に遠のく。
ドクドクと鼓動が速くなり、様子を窺っているイーガンの横顔を見上げる。
「最悪だな。なんだあれは……お前も見てみろ」
イーガンに場所を譲られ、おそるおそる窓から覗き見る。
向かいの家の壁伝いにソロソロと歩くローブ姿の二人組。
明らかに怪しい。
「どうするの」
「……」
囁くクレアの言葉にイーガンは視線を床に投げ考える。
普通なら、放っておく。
別に歩き回られた所で問題は無い。
だが、あれはダックから情報を得た王国の人間である可能性が高い。
いつも通り何気ない村人の対応で追い返すか。
しかし動きを見るに何かを探っているようだ。
色々疑問もあるが、今失意と混乱の極致にあるこの村が、王国軍に襲われるようなことになれば――。
「クレア、動けるか」
イーガンの目を見ればその気持ちが分かった。
台所に駆けるとさっき使ったナイフを取り、上着をはだけて内側に差し込む。
「お前は注意だけ引けばいい」
「念の為よ」
裏口に回ったイーガンと目を合わせ、タイミングを計る。
大丈夫、やれる。
みんなを守るんだ。
深呼吸しイーガンに頷くと、扉を開け外へ出る。
何気なく、のんきな顔で。
窓から見えた二人はまだ同じ場所にうずくまるように伏せている。
何のつもり?
訳が分からないが、考える時間はない。
「あら、こんにちは。こんな村に――」
「見つかった!」
「くそ、逃げろ!」
とびきりの笑顔で挨拶した瞬間、ローブの二人組が凄まじい勢いでクレアの視界から横へ逸れていく。
「なっ」
手が届く距離でもない。
まさかいきなり逃げ出すとは。
こんな昼間にあんな格好で見つからないつもりだったのか?
潜入行動だとは思いもしなかった。
一体何が――。
「クレア、追え!」
遅れて裏口から背後を取る予定だったイーガンが追いついてくる。
他の家からも窓や扉が開く気配。
我に返ったクレアはイーガンを追いかけるように走り出すが、ローブの二人組は異常なスピードでどんどん遠ざかっていく。
二人組が森へ消えた時点で立ち止まったイーガンに追いつき、呼吸を整える。
「はぁ、はぁ……ごめん、声をかけたらいきなり」
「いや、いい。それより戻るぞ。まずいな……」
険しい顔でイーガンが踵を返す。
どうしてまた、こんな風になってしまうのか。
何かが胸に沈む。
些細な、失敗とも呼べない失敗だ。
頭ではそう思っても、思い通りにいかないことがこうまで続くとこたえる。
あたし達、どうなっちゃうんだろう。
不意に一気に襲い掛かってきた冷たく重たい感情に、クレアは顔を上げることができなかった。
「動いたな。随分と早い。二人だ」
森から村を監視していたルパードがタッカに告げる。
その言葉に反応したタッカは素早く紐を引く。
向こうで合図を受けたハイデンが同じように合図を送り、そうやって本拠地付近まで手分けして潜んでいる仲間達に次々と開始の合図が送られていくはずだ。
「よし、追うぞ」
充分な距離を開け、ルパードとタッカが追跡を開始する。
森に沿ってスルスルと移動すると、やがてハイデンと合流する。
ここから先は海岸の方へ向かうため、森に隠れながらの追跡はできない。
先程より距離が開く時間を待ち、ゆっくり動き出す。
ここからは、合流する仲間と共に退路を断つように背後から包囲を縮めていく。
先行して伏せている仲間を拾いつつ、追いかけるのだ。
目視による直接の追跡は、ロイが行っている。
「女の人がいたね」
「……ああ」
伏せている仲間からのハンドサインを受け、次々に合流して移動する。
海岸沿いまで来ると、ロイ、パーグ、ラスターが集まっているのが見えた。
「連中は?」
「この下だ。見ろ」
亀裂を覗き込むように全員が確認する。
「情報には無かったルートだ。少なくとも一つ、成果は得た」
「それで? どうする」
「さてな……情報通りならここから本拠地はすぐそこだ。おそらくこの下に通じる道があるんだとは思うが」
当初の目的は達成した。
村からの二人組は報告しに来たと見て間違いないだろう。
つまり本拠地には敵がいる。
村にもいることが確認できた。
「もうひとつ言うと、判断する人間はこっちに居る可能性が高いということだ。エリオとバリエの報告を聞く限りでは、村の方は良く分からんしな」
「今のうちに戻って村を叩くんじゃ?」
「最初はそのつもりだったが……。村の方と分断できているのは確認できたんだ。これで時間を置いて戻ったらこっちが留守になってました、という可能性を考えるとな」
再び全員が考え込む。
決を採ると、全員一致でこのまま侵入となった。
理由は様々あったが、この下のルートを確認するのと、拙速が時には何よりも効果的だという経験から来る判断が大きい。
ここからは戦闘モードだ。
偵察や撤退よりも突破、情報にあったヴァイセントの幹部を叩くことを第一の目標とする。