王国動乱 15
ロイの指示したポイントで、周囲を確認する。
木々の隙間から覗く空は徐々に赤味を帯びてきている。この様子だと、敵が小屋まで執拗に追撃を掛けてきたとしてもすぐに夜になるだろう。
夜闇の中なら、撤退時の仕掛けの発動で警戒する敵は迂闊に突っ込んでこれなくなるだろう。
手馴れたもんだ、と感心する。
視界の先にあるだろう伐採場の方角を確認し、思案する。
ロイ達がどういう戦い方をするか、ある程度話を聞いただけにすぎない。
これが初の実戦だ。
しかし傭兵として雇われた以上、まごまごして結果を出せないなどと無様を晒す訳にはいかないし、もっと合わせる時間をくれなどと泣き言を言う訳にもいかない。
「どうしたもんかね」
ビン、と弦を弾き張り具合を確認する。
即席で組み立てた割にはしっかりとした小型の手弓だ。
渡された木製の矢は八本。
この先の展開を想像すると、射線を得るには樹上が射易いか。
手頃な木を見つけ、スルスルと登る。
全身を覆うローブが邪魔だが仕方ない。
全員が顔形を晒さないことが幻惑に繋がるのだ。
二の矢を番える為の動きをもう一度確認し、矢筒代わりの革帯の位置を調整する。
木々に遮られ伐採場の方の粒子の反応はほとんど得られないが、与えられた役割に影響は無いだろう。
リラックスすることに努め、木と同化する。
夜の帳が落ちる。
伏せてから一時間は経過しただろう。
ここでラスターは新たな判断を迫られることになる。
(さて、この場合俺はどうすべきか)
考えられることはいくつかある。
単に時間が掛かっているだけ。
何らかの事情で別方向へ撤退せざるを得なかった。
失敗し、撤退できなかった。
可能性としてはこの三つが高い。
時間が掛かっているだけなら自分は作戦通り伏せ続ける方が良いだろう。
まさか時間経過による次の行動を伝えられなかったのは自分を試すためだとは思いたくないが……。
置き去りにされたとするなら間抜けな話だが、自分を気にしてリスクを取られるよりはそちらの方がずっと良い。
最悪なのは最後の場合だ。
それを考えると焦燥が募る。
ロイ達を信じもうしばらくは待つ。
いずれのパターンであろうと、自分が取る選択としては現場の確認が最適だと結論を下す。
むしろ一人での隠密行動ならやり易いというものだ。
鳥や動物の気配が消え、虫の鳴き声と木の葉の音だけが森を支配する。
限界だな。
右手の矢を革帯に収め、乗っていた太い枝から片手でぶら下がり、地面に落下する。
得意とするナイフは十本、体に貼り付けている。
どちらでいこうかと一瞬思案したが、折角だしこの弓を使うか、と再び矢を抜き取る。
周囲に探知できる人影は無い。
が、万一捕虜となっていた場合、自分の存在がばれている可能性もある。
長距離から弓で狙われることに備え、油断無く霧も展開して歩く。
と、粒子に反応があった。
形はローブを着ている。
小柄で、見た目で判断するならゼナだ。
だが一人で、しかも歩いている。
もしかしたら情報を得た敵が偽装している可能性もある。
瞬時に気配を殺し身を潜める。
射程距離まで来ると糸を伸ばし探る。敵意無し。
でも念には念を、だ。
隠れている近くまで来た所でローブの人物が動きを止めた。
姿勢が低くなり警戒するような素振りを見せる。
(見事だが遅いな)
スルリと背後を取り、地面に押し倒す。
両膝で相手の両手を押さえ、馬乗りの姿勢で首筋に矢を突きつける。
「……!」
「……悪い、一応警戒しないとと思ったもんで」
やはり、ゼナだった。
手を取り体を起こす。
「何があったんだ?」
「……留守のようだ。まさか拠点に誰も居ないなんて思わないからな。警戒して時間が掛かったんだ」
掠れるようにしわがれた声でゼナが話す。
幼い頃怪我でこうなったらしい。
常に喉元を首布で覆っている。
一本取られた事が気に食わないのか、剣呑な目つきで俺を睨む。
「皆は?」
「向こうに居る。俺はお前を迎えに来たんだ」
やれやれ。
とんだ待ちぼうけもあったもんだ。
森が途切れ、円形に切り拓かれた広大な空き地にいくつかの建物が建っている。
月明かりが差し込む下生えが伸びに伸びた空き地に浮かび上がるその姿は、やや古びているもののまだ充分に使えそうだった。
空き地を囲むように三点、森の切れ目に哨戒が立っているのを探知する。
なるほど。
安全確認から布陣まで、万全な対策を行って時間が掛かったのか。
でももっと早く迎えに来いよな。
一番近くに居た哨戒役の男にゼナが手を上げる。
手で形を作り不規則に揺らす。
多分、仲間内の合図なのだろう。
建物は石造りの土台に漆喰を塗り固めたような質感を持った、三階建てくらいの砦のようになっている。
「これ程しっかりした建造物を軍がそのまま放置するかな?」
「ちゃんと手続きして買ったりしたんじゃないのか」
んな訳ねえだろ……。
あ、でもバンデット相手に売ったとは限らないのか。
「ルパード。連れてきたぞ」
「ご苦労さん。ラスター、お前さんもな。拍子抜けだな」
「もっと早く教えて下さいよ。何かあったのかって気が気じゃ無かったですよ」
「ま、勘弁してくれ。俺達は必ず集団で動くようにしてるからな。ここの安全を確認しなきゃいけなかったもんだからさ。誰か一人お前さんを迎えに、ってのは時間がかかるんだよ。すまんな」
まあ最悪の想定になってなかったんだから良いか。
建物に入ってすぐに ハイデン、バリエ、タッカが居た。
「ロイとエリオは」
「まだ地下に居る」
「ラスター連れてきたけどどうする?」
「ここに居て貰おう。ゼナ、俺達も外に加わるぞ」
フードを被りながらハイデンとゼナが外に出て行く。
だだっ広く、天井の高い部屋だ。
どうやら三階建てではなく、二階建てらしい。
広さに対してがらんどうに感じる程空間が開けたこの部屋は、いくつか放棄された物品から伐採した木の貯蔵庫だったと推測できる。
「ごめんな。不安だったろ?」
遠慮がちにタッカが声を掛けてくる。
「いいさ、分かってるよ」
「いいね。ラスター、お前俺達の仲間になれるぞ。どうだ?」
俊足のバリエは俺よりやや年上のハンサムだ。
ルパードとハイデンが三十五歳程、ロイ達前衛担当とエリオが三十歳前後、バリエ、タッカとゼナが俺と同年代だ。
「それミハイル様が決めるんじゃないですか?」
「いやまあそうだけど。同じ匂いがするんだよな」
ハンサムだがやや残念なフシがある。
なんというかこう、痛々しい部分が時折見え隠れする男なのだ。
奥の地下へと続く階段から人が上がって来る。
ロイとエリオは俺を見ると、軽く手を上げる。
「ラスター、悪かったな。全員外に出るぞ」
フードを被り外に出た俺達は自分達の拠点を目指し移動を開始する。
哨戒の五人が合流すると速度を上げ、一気に夜の森へ飛び込む。
「しばらく監視して様子を見る。と言っても時間を掛ける訳にもいかない」
小屋に戻った俺達は仕掛けが一つも作動していないことをまず確認し、ロイを中心に焚き火を囲む。
バリエとサントゥは伐採場の監視だ。
「地下を見る限り奴らの拠点だったことは間違い無さそうだ。つい最近まで使用していた形跡もあった。ただ」
パチパチと爆ぜる炎に照らされた全員の顔に緩んだ気配は感じられない。
「居ないということは何か行動を起こしていると考えた方がいい。それが何かは分からないが、もし他の場所もそうなら俺達は空振りに終わる」
「収獲は?」
「無い。ご丁寧に何も手がかりになりそうな物は無かった。用意周到な連中だ。こちらが捕虜を得たことで放棄した可能性もある。このまま動きが無ければもう一度徹底的に捜索して、それから今後の動きを考える」
これが軍や傭兵団なら大損害だ。
動員が初動から完全な空振りに終わるなど、考えたくもない。
ミハイル様がこういった事態まで想定して少人数の自由な意思を持つ集団として放ったのなら慧眼と言える。
まあ、考えすぎだろうが。
「見張りは二人一組で交代していくぞ。次は――」
ロイはここで指揮を執る。
俺は明け方ゼナとコンビになった。
「ラスター、良かったら仕掛けを教えるよ。どうだい?」
順番が来るまで各自休息を取ることになった。
仕掛けが反応した場合の対応として寝ずの休息番に最初に選ばれた内の一人だった俺には、タッカの誘いは有り難い。
話しかけて嫌な人間こそ居ないが、バリエとタッカ以外は基本、無口なのだ。
「この部分、隠してあるけど向こうまで続いてるんだ。あそこまで。ある程度の重さでこれを踏むと、小屋に伸びた糸が向こうの仕掛けを揺らして気付くんだ」
「これは見にくいけど、上の方にも、そう、あそこ。見える?」
「あー、うん」
「これに引っ掛かるとあっちの金属片が音を出すようになってる。向こうを警戒させて足止めするんだ」
「これはもろ、鳴子だね。見て分かるだろ? でもね、こっちはフェイクさ。これを迂回する部分にあの糸が何重にも仕掛けてあるんだよ」
仕掛けを説明して回るタッカの顔は活き活きとしている。
なんだか微笑ましい。
きっと道具を作ったり開発したりするのが好きなのだろう。
「即席だから簡単なものしかないけどね。本格的な仕掛けはもっと凄いよ」
「タッカはどれくらいになるんだ? この仕事に就いて」
「仕事かぁ。考えたこと無かったけど、そうなるのかな? えーっと、十年くらいかな? ミハイル様のお屋敷に引き取られてからは」
孤児なのか?
ありそうな話ではあるが。
しかしこの話は軽々しく突っ込める話題ではないな。放っとこう。
一通り説明を受け、小屋の方へ引き返すと戦闘班のエルイが歩いてくる。
細身だが長身にしなやかなバネを感じさせる、引き締まった体の持ち主だ。まあ太った奴なんか居ないけど。
「あんまり小屋から離れるな。緊張感を失くすなとは言わないが、遠目にも油断しているのが分かったぞ」
「油断なんかしてないよ。ラスターに仕掛けを説明してたんだ」
「勝手に判断するな。まだこいつが信用できると決まった訳じゃない」
「えっ……」
タッカの顔が曇る。
その顔を見たエルイは厳しい表情を緩め、ふふ、と含み笑いを漏らす。
「タッカはこういう奴だ、ラスター。 ガキだろ?」
「仲良くなれそうだって思ってますよ」
「冗談でも言わない方が良いと思うよ、そんな事。エルイのほうがよっぽど子供だと思うな」
ははは、と笑いながらエルイが去っていく。
なんだよ、と呟くタッカは言われるまでもなく子供っぽい。
一つ下とは思えない程子供っぽいが、フードを被った集団行動を見ればタッカも並の人間では無いことを誰もがすぐに認めるだろう。
何となく、掴めてきたような気がする。
得体の知れない密偵部隊も、素顔を垣間見ればやはり人間には違いないのだ。
馴染めば傭兵団と同じ空気を感じる。
仲間、か。
思い思いに休息を取る彼らの報酬は、何なんだろうな。