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親友が茨姫に恋をした

作者: 花野 恋

俺は、まだ恋を知らない。


親友が恋をして幸せそうに笑っている。


でも、それが本当に恋なのか、俺にはわからない。

 恋とは何だろう?

 そう俺が思うようになったのは、親友がいきなり爆弾発言をしてきた、あの時だった。

『ムタ、ベティー、俺、結婚することになったんだ。セリア王国のリフィーレ姫と』

 突然俺らを呼び出し、そう告げた親友は、なぜだか遠い目をして笑った。それは少し寂しそうで、正直俺は信じられなかった。

『い、いきなり、なんで・・・?そ、その姫と・・・』

 公爵家の跡取りが一国の姫と婚姻をかわすなんてまさに奇跡のような出来事で、それは当然これ以上にないおめでたい話題であったことは確かだが、その姫の出身国が出身国なだけに、ただただ喜ぶことなんてできなかった。

 セリア王国といえば、かなりの遠方にある小国だと聞く。確か、以前何かの暴動により、国ごと滅んだとも聞いたことがあった。いや、未だ実在していたとは思ってもみなかったから実は驚いてしまったのも事実だった。

『そんな姫と結婚?』

 思わず声を荒げて言ってしまった。

 もしそれが事実ならば、それはあまり良い話ではないのは間違いなかった。隣にいたベティーは、目を開けたまま意識を失ったような顔をしていたから、代表して俺が冷静さを失うわけにはいかなかった。

 幼い頃からの親友のアディール・ベルリッツは整った顔を持つ美少年と評判だったにも関わらず天然で、どうも危なっかしいヤツだったから。また、下手に騙されているような気がしたのだった。

『聞いた話では、そこの王と王妃はもう・・・』

 言いにくいが、噂通りであるのなら、この世にいるはずのない一家とも言えた。だから俺は、凄くそれが気にかかった。でも、

『はは、ムタは本当に心配性だなぁ。大丈夫、俺は誰よりも幸せになるよ。彼女と』

 アディールは否定するようにただ笑った。

 恋をしたわけでもない、そんな女性相手に幸せになると嬉しそうに。

 でも、俺も特に疑問に思うことはなかった。なぜなら、俺だって知っていたから。実際恋をした相手がいたとしても、この時代では上手く結ばれることが難しいということを。

 いつの日からか、誰かに恋をするなんてことはそんな無駄な時間はないと思うようになっていた。

 だから、躊躇なく言ったんだ。

『幸せになれよ!』と。


「し、信じられない。人前で暴言はかれてもヘラヘラして、どこまでお人好しなのかしら」

 朝からご機嫌斜めなベティーが、本日何十回目になるかわからない台詞をまた口にした。

「それだからまたあの女がつけあがるのよ」

 これも、今日で何度目だろうか。

「ベティー、やめとけ。アディール本人は気にしていないんだから」

 むしろ、俺には彼が幸せそうにしか見えない。

 たとえあいつが、奥方になったリフィーレ様に未だ心を開いて貰うことはおろか、日々きつい言葉ばかり浴びせられていたとしても。それでもアディールはいつも幸せそうだった。

「で、でも・・・」

 今にも泣きそうに唇を噛むベティーの気持ちもわからなくはなかった。

 幼い頃から、誰よりもあいつだけを見てきて、いつか自分の隣で一生を共にするのはあいつだけだと決めて疑わなかった彼女は今、自分がいるはずだった位置に他の女性がいることが許せないのだろう。それはわかるし、同情もしている。

 しかし、華やかな見た目とは裏腹にどこか抜けていて、それでいて最高の笑顔を持つアディールを幼なじみとして応援できるのは俺とベティーだけだと思っていた。

「今日も、一度だってアディールの手を取ろうともしなかったわ。こんなにたくさんの人がいるというのに」

 信じられないと言うように、ベティーは美しい金髪をかき上げて、大きな溜息をついた。

 その姿が、少し羨ましくもなった。

 ベティーはアディールに恋をしている。小さい時からずっと。何を疑うこともなく。

 恋とは何なのか。それさえ未だにわからず真剣になれる自信もない俺としては、そんな姿が新鮮でたまらなかった。

 恋とは何か、一緒に気付くはずであった瞬間を前に、大切な親友は決められた恋の枠にはまってしまったから、俺は未だにそれを知ることなく今を過ごしていた。

「まぁ、そう怒るな。きれいな顔が台無しだぞ。おまえがそうピリピリしているとおまえに気がある人間が近づいて来られないだろ」

「いらないわよ、そんなの」

 アディールだけでいいのに、と未だに怒りを露わにしている彼女にはこれ以上は何を言っても無駄な気がした。仕方がない。そう俺だってわかっているから。

「あ、ムタ、ベティー、ここにいたのか?」

 噂をすれば、当の本人のアディールがこちらに向かって満面の笑みを振りまいて走ってきた所だった。隣のベティーのオーラが一瞬にしておさまった気がした。

「いいのか、主役?こんな所に出てきて」

 今日は、アディールの十七回目の誕生日であったから、結婚披露宴も兼ねた、お偉いさん達も集まったいわば祝賀会だった。

「ああ、リフィーの気分が優れないそうで、俺もそろそろ引き上げようかと思うから」

「気分じゃなくて、機嫌でしょ?」

 困ったような顔で、チラリと室内に目をやった彼にズバッとベティーが言い放っていた。

「な・・・」

「そうでしょ。さっきからずっと面白くないような顔をしていたし、いつものように・・・」

「ベティー、やめておけ」

 彼女の肩は、少し震えているように見えた。

「リフィーレ様、大丈夫か?」

 仕方なく彼女を庇うように前に立ち、アディールに目を向けると、アディールも申し訳なさそうに苦笑した。

「多分。でも、俺も一応もう戻ろうと思うんだ。今日はせっかく来てくれたのに、悪かったな。でも、ありがとう」

 その満面の笑みは、変わらずアディールのものだった。

「どうして・・・」

 今にも泣きそうになりながら呟かれた声が後ろから聞こえたが、すでに俺らに背を向けていたアディールには聞こえなかっただろう。

 アディールの瞳には、今や不機嫌そうに頬を膨らませ、こちらを睨んで立っているある女性が映っていた。まるで一輪の薔薇のように凛とした美しい顔立ちがさらに彼女の冷たさを際だたせているようだった。

 そう、その方こそ彼の妻、リフィーレ様だった。

 そしてアディールはアディールで、優しくその瞳を細めたところだった。

「アディール」

 思わず呼び止めてしまった。

「お、おまえ、幸せか?」

 どうしても、そう聞いておきたかったから。

「どうして、そう思う?」

 クスッと笑って返してきたアディールの顔には答えが書かれているようだった。

「不幸だと思うか?」

「いや、そうは見えないけど・・・」

 心配で、とは言えず、次の言葉に困る。

「俺は、結構今の生活が気に入っているんだ。ありがとう、ムタ」

 満面の笑みには、幸せという言葉に相応しい色が明らかに浮かび上がっていた。

「どうして?あなたまで戻る必要ないのに」

 と、そのまま戻ったアディールに、怪訝な瞳を向け、リフィーレ様はいつも通りの不機嫌丸出しの表情でそっぽを向いた。

「気分が悪いのは私よ。あなたは関係ないじゃない。ここを離れる必要はないわ」

「でも、一人だと心細いだろ、リフィー?」

「な、うぬぼれないでちょうだい。一人の方がどれだけ楽か、あなた、わからないの?」

 いつも通り、全く変わりもない。

 いつものように今日もまた、彼女は人目にもわかるほどにアディールに冷たく接し、周囲の視線を集めた。だが、アディールは気にせず宥めながらそのまま彼女の手を取り、嬉しそうに大広間から出ていった。驚いたような彼女の罵声がまた聞こえた気がしたが、俺は唖然として見守るしかできなかった。

 人の好みをとやかく言う気はなかったが、あそこまでされて、顔色一つ変えない親友が不思議で仕方がなかったし、あれが恋というものならば、さらに信じられない気持ちになった。また恋する必要性について考えた。

 ただ俺は、隣で悔しそうに涙を零すベティーの肩を抱き、この場を後にする選択をするしかなかったのは確かだった。

 恋をする前に恋を強制された人間が本当の恋を知る前に何も気付くことなく今の生活に満足してしまっているのは、今ここではとても残酷なことにも思えた。

 自分の方が先に好きだったのに、とまた小さく肩を震わせるベティーが、ひどく哀れで仕方がなかった。

 俺は溜息をつき、上手くいかない人生を恨むしかなかった。


「あれ?今日、ベティーは?」

「ああ、体調が悪くて来られないって」

 まるで天使のような顔を俺に向け、アディールは不思議そうな顔をした。

「え?最近、病気でも流行ってるのかな?」

 いや、泣き腫れた目ではさすがに来れなかったのだと、思わず言ってやりたくなったが、絶対に彼には言うなという、ベティーの女の意地とやらに免じて必死で堪えておいた。

「最近、三人で集まることが減ったから、少し寂しいな」

 何も知らずに、寂しそうに笑うアディールに俺も苦笑を返すしかなかった。

 昔から、俺達三人はいつも一緒だった。

 それぞれが同じ公爵の称号を持つ父親の元で同じ年に生まれたということもあり、俺達三人は生まれた時からずっと一緒にいた。

 最近になってからだ。リフィーレ様に付きっきりになったアディールの都合がなかなか合わず、今までのように三人で会えなくなってしまったのは。

「で、リフィーレ様の様態は?」

「ああ、だいぶ良くなったみたいだよ」

 素直に微笑むアディール。明らかに昨日から問題なかっただろ、あの様子は、と思わず言ってしまいそうになった。

「だいぶひどく言われていたみたいだけど」

 昨日も、とは言わずに言ってみる。

「ああ、今日もとっとと出てけって言われたよ。だから慌てて飛び出してきたところだよ」

「お、おまえ、本当によくあんなに言われて堪えていられるな」

 思わず呆れてしまう。

 昨日だって、何人かの貴婦人方が彼女の態度を悪く言っているのを耳にした。

 元一国の姫とはいえ、身よりもいない今では没落寸前の家名だけを頼りに、先明るいベルリッツ家に嫁ぐことができたという奇跡のはような話なのに、あの態度では間違いなく悪態つかれるのは目に見えている話であった。

 あまりにツンケンした態度に、裏では『茨姫』という名がつけられたほどだ。誰もの王子様的存在であった彼の相手だけに半ば妬みのような気持ちもあったのかもしれないが。

「あんな奥さん、俺ならごめんだな」

 無意識に出た本音も、俺は気付かず、目の前にいるあまりに哀れな親友を見ていたら溜息すら出てこなくなった。でも、

「せっかく二人の友人が来てくれてるんだからほったらかすなって。とっとと行けって」

「え・・・」

 不覚にも驚いてしまった。

 相変わらず棘のある言い方ではあったが、それでもあの、いつも不機嫌そうで、人の心というもの全て、あの噂で聞く反乱の中で消え失せたのではないかと思える彼女が、俺達を気遣ったような言い方をしたということが信じられなかった。

「そんな人なんだよ、彼女は」

 少し表情を曇らせたアディールは、ふと空を見上げた。

「いつもあんな風に素っ気ない態度だけど、大切なものを一気に失ってしまった彼女は、人を信じ、頼る気持ちに恐怖心を覚えているのは確かなんだ」

 わかってやってくれ、と言わんばかりに俺を見たアディールの表情は真剣で、初めて見るようなしっかりした瞳をしていた。

 彼は、彼女に本当に恋をしているのか?ふとそう疑問に思ってしまうくらいだった。

「それに、ああツンケンしててもさ、あれって俺にだけなんだよ、ムタ」

 だが、突然表情を崩し、頬を染めた姿はのろけているつもりなのだろうか?そんなアディールに俺は思い直すことにした。

「なんだか俺は、彼女があれくらいの方が脈有りな気がするんだ。いい意味で」

 信じられなかった。

 いつもボーッとして、何も考えていないようなアディールが嬉しそうに笑っていた。

「脈、あり?あんだけ文句言われておいて?」

 彼の方が、彼女に惚れているということなのだろうか?いくら長年の親友であろうとその答えだけは見つかりそうになかった。

「うん。最近、やっと近くで眠ることも許してくれたし・・・」

「は?い、今まで何もなかったのか?」

「え?そうだな。話くらいはしてたけど」

 結婚して、早三ヶ月。その間、何もなし。

 きっと、幼い頃からずっと、大切に大切に彼を見守ってきた彼のばあやは、それと同時に跡継ぎも楽しみにしていただろうから、今頃は絶望している頃だろうな、とふと同情の気持ちが込み上がってきた。

「それでいいんだよ。未だに暗闇が怖いみたいだし、俺がいて安心して眠ってくれるなら」

「おまえ、本当にお人好しだな」

 やはり天使のように心の広い親友に俺は思わず慰めの言葉さえ見つけることができなかった。


 そんな俺が、その気配に気が付いたのは、それからすぐのことだった。

 もちろん、俺と違ってのほほんとした武官をやっているアディールが気付くはずもなく、俺がパッと視線をそちらにやると、気配も慌てたようにさっとまた身を隠した。

 逃げた。とっさにそれだけはわかった。

 急用だとアディールには次げ、俺がその影のあとを全力疾走で追った時、三つ目の角を曲がった所で驚くべき人物がとんでもない形相で息を荒らげ俺を見て座り込んでいた。

「り、リフィーレ様・・・」

 なぜ、こんな所に?という疑問と腰が抜けたようにペタンと座り込んだ彼女がいつもとは違って見え、思わず目を見張った。

「あ、アディールはあそこにいますけど・・・」

 言うべきかどうかは迷ったが、怯えたような目つきで俺を見上げる彼女にあまりに申し訳ない気持ちがわき上がり、無理に笑顔を作り、俺は言った。と、いうか、身を隠したのなら会う気がなかったのかもしないが。

「い、いいんです」

 鈴の音のような声で、彼女はボソリとそう言い、パッと立ち上がりドレスの裾についた土を払い落とした、その姿に釘付けになった。

「急用ではなかったんです」

 初めて、怒っていない彼女の声を聞いた、気がした。

「あ、まぁまた後でゆっくり会えますしね」

 いつもと印象が違いすぎて、どうも上手く話せず、ぎくしゃくしてしまい、とにかくどうにか次の話題を考えようと必死になる。

 でも、それを否定するように首を振り、悲しそうな、それでいてしっかりした瞳で俺を見た彼女に俺は面食らった。

「り、リフィーレ様?」

「ムタ、様ですよね。あの方をこれからもよろしく頼みます」

「え・・・」

 突然発せられた言葉に、俺は息を呑むしかなかった。

「な、何を・・・」

「残念ですが、私はこれ以上、ここにいることができなくなりました。ですから・・・」

 内容がつかめず、思わず彼女を凝視する。

「あ、あのきれいな方にもよろしく伝えておいてください。あと邪魔してすみませんって」

 き、きれいな人?ベティーの事だろうか?

「じゃ、邪魔って、あ、あなたがいなくなったら、間違いなくアディールは悲しみます」

 ここから去る気だ。

 考えずともすぐにわかった。

「リフィーレ様、お待ちください!」

 無理に笑うようにして、彼女はパッと俺に背を向けたから、自分でも信じられない言葉を発してしまっていた。

「リフィ・・・」

「それだけはありません」

 消えそうな声が、本当に消えてしまった時、俺はただその光景を呆然と見ていることしかできなかった。

 目の前で、彼女が倒れ込み、いつの間にか数人の怪しい武装集団に囲まれていた俺は、それに気付いた時、すでに遅かったことがわかった。はっとした時、視界が霞み、俺も草の生い茂った地べたに這い蹲るように倒れ込んでしまった。不思議と衝撃は、なかった。


「ム、ムタ様・・・」

 か細い声が心配そうに俺の名を呼んだ時、俺は重い瞼を開いた。

 目の前には、泣きそうな顔のリフィーレ様が俺を覗き込んで座っていた。

「こ、ここは・・・」

 状況が把握できず、それでもガンガンと未だに殴りつけられたような頭痛を感じながら、俺は身を上げる。

「申し訳ございません。あなたまで巻き込むつもりはなかったんです」

 俺が起きあがったことに安堵したのか、やっと泣きそうな表情を普段の引き締めたものに変えた彼女は、しっかりした口調でそう述べ、頭を下げた。

「これは、うちの兄の仕業です。兄は私を殺そうとしております。それで、あなたまで巻き込んでしまいました」

 兄?また、訳の分からない言葉が浴びせられ、混乱してしまう。

「な、何を言って・・・」

「いえ、事情を説明している暇はありません。あなたはとにかく安全な所にお逃げ下さい」

「え、って、ちょ・・・」

 長いドレスの裾から覗く、白い脚を恥ずかしげもなく露わにした彼女に俺は飛び上がりそうになったが、それ以上に、その脚にきつくくくりつけられた短剣を目にし、さらに驚きを隠せなくなった。

「あなたなら、ここからでも無事に出られると思うんです。でも、早くしないと危険です。いつ兄がここに来てあなたを傷つけるかわかりませんから。さ、早く」

 逃げろと言うのか?強い視線から、それ以外の彼女の思惑は読みとれなかった。でも、

「逃げるわけがないでしょう。大事な親友の奥方様を残して」

 間違いなく俺の答えも決まっていた。

「一緒に、あなたも一緒に逃がします」

 え?と一瞬眉を上げた彼女も、それから泣きそうに笑った。

「いいんです。もう、本当に行く所はありませんから」

 悲しそうに首を横に振る彼女に、こんな表情もできるのか、と意外な気持ちになった。

 いつも怒った顔しか見ていなかったから。

「兄は・・・昔、家を、家族を裏切った人間です。両親と家来達を皆殺しにして、それで全ては終わったはずだったんです。でも、死んだと思っていた私も実は生きていて、しかもアディールに保護されていたものだから、今も狙ってきているんです。だから、あなたまでここにいては危険です。私は大丈夫ですから」

 大丈夫と言われても、さっきから言われたことが少しも理解できず、爆発寸前だった脳裏を一生懸命整理し、俺は耳を疑った。

「ほ、保護?アディールが?」

 この意味が一番わからなかった。

「逃げて下さい」

 キッパリ言い放たれたその言葉は、いつもの彼女のものだった。暗闇の中でも、その心の強い瞳は輝いて見えた。

「でも、暗闇にあなたをおいては行けません。嫌いなんでしょう?俺だけなんて嫌です」

「え・・・」

 あまりに聞き分けがない彼女だけに、半ば賭けのつもりで言った言葉は、思ったよりも上手く、彼女の本心を映したようだった。

「あ、アディールが・・・?」

 驚いたように見開かれた瞳が、揺れた。

 いつもとは全く予想もつかなかった彼女の言動に、本当に今日は驚かされる日だった。

 そして、ふとアディールが言っていた言葉が脳裏をよぎった。

 だから、俺には何となくわかった気がした。

「あいつに、嫌われるためにわざと冷たくしていたんですね?」

「ち、ちがっ・・・」

 今にも泣き出しそうな彼女を見たら、少しほっとした。

 彼女がありのままの彼女のまま、本心を隠すことなく素直に気持ちを表現しているのは、俺の大事な親友の前だと思えたから。

「あの方は巻き込みたくないんです」

 眉をひそめ、顔を反らせた彼女がはっとしたように顔を上げたのはその時だった。

 つられたように顔を上げた俺も、目の前で蒼白な顔で、立ちつくすアディールの姿が目に入った。片手には、嫌な色がベットリこべりついた刀を手にしていた。

「あ、アディール・・・」

 震え上がったようにリフィーレ様が彼の名を呼んだ時、後ろの方で見慣れた軍団とそのかけ声が聞こえ、ベルリッツ家の兵士達が飛び込んできたところだった。

 何が何だかサッパリわからないが、とにかく珍しく武装したアディールが、崩さない表情のままリフィーレ様を見下ろしている姿が目に入った。

「あ、アディー・・・」

「やはり、君も、今回の陰謀の主犯者の一人だったんだね、リフィー・・・」

 俺の声が聞こえないというように彼女だけを見つめたアディールは低く、今まで見たこともない心のないような表情で彼女に静かに剣先を向けたところだった。

「ちょっ、アディール、何を・・・」

「ムタを頼む」

 目の前にいて、俺に目を向けようともせず、他の兵士に任せようとしているこいつは、一体誰なのか?一瞬ゾクッとした。

 そしてまた、それを睨むように見返しているリフィーレ様に驚いた。

「やっぱり、知っていたというのね?」

 冷ややかに笑い、彼女は美しい声を上げた。

「知っていて知らない優しい夫のふりをしているなんて、相変わらず嫌な性格ね」

 クッと歯を食いしばるようなアディール。

 もう、何が何だかわからなかった。

 彼女は、アディールが言うように悪者だというのだろうか?巻き込みたくないと先程まで言っていた、彼女が。

 でも、一つ思ったことがあった。

「殺すなら殺しなさいよ。ただ、あなたのような優男に殺られるというのは絶望的だわ」

 怖さを微塵も感じないといったように肩をすくめ、せせら笑った彼女の声色がさっきと違っていた。

「何よ、早くしなさいよ。度胸がないの?」

 まずい、そう思った。彼女が自分から彼の剣先に飛び込んで行きそうな気がした。

 でも、それはなかった。

「いや、何もしないよ」

 アディールが剣を下げる方が先だった。

「試すような真似してごめん。君は被害者の方だね。目を見たらわかるよ」

「なっ!」

 俺と同じく、驚きを隠せないと言わんばかりに口をぽっかり開けたリフィーレ様に、跪き、いつもの優しい表情に戻ったアディールはそっと彼女に口づけた。

「でも、君には、やはり俺の想いなんて届いていなかったんだね。残念だよ」

 ポカンとする彼女からそっと距離を開け、立ち上がったアディールはあの、いつかの寂しそうな笑みを浮かべていた。

「さてと、彼女を安全な場所に運んでくれ」

 ポロポロと大粒の涙を零しだしたリフィーレ様から視線を逸らすようにして、そう告げるとはっとしたように俺の方に近づいてきたアディールは苦笑して口を開いた。

「もー油断するなよ、ムタ。おまえならあの気配に気づくと思っていたのに」

 開いた口が塞がらないのはこのことだろうと、初めて思った気がする。

「お、おとりにつかったというのか?」

「ムタがおとりになるなんて思ってなかったんだよ。でも・・・」

 静かに笑って彼は表情を引き締めた。

 彼女を引き留めようとしてくれてありがとうと微かに聞こえた気がした。

「あ、そこ、そこを上に逃げたヤツらが主犯者だから、全部お縄にかけて。一人も逃がさないように」

 俺と話しながらでもてきぱきと迅速に指示を出す彼は、今までののほほんとした彼とはまるで別人だと思える姿であった。

「お、おい、アディール。ま、待てよ」

 指示だけ出し終えると、そのまま俺らに背を向ける彼を俺は慌てて追いかけた。

「な、どういう意味なんだよ」

 意味がわからない。一体何が、起こって・・・

「ある国を潰した一派が、我が家に入り込んでいた、とでも説明しておけばいい?」

 アディールの瞳に、いつもの色はなかった。ただ残酷で、心のないような乾いた声だけが返ってきた。

「お、おまえ、知って・・・」

「ああ、初めて身分を隠して過ごしていた彼女を見つけた時から、こんな日が来ることは予想していた」

 そこで、一息ついて、彼は続けた。

「でも、あの時、どうしてもいつ死んでもおかしくないと言わんばかりの彼女をどうしても放ってはおけなかった。だから、保護するという形で彼女を引き取り、妻にした」

 淡々とした言葉とは裏腹に、とても悲しそうな表情を浮かべ。

「何度も考えたよ。これが彼女にとって、本当に一番いい方法なのか。まぁ、結果、一番最悪な結果になってしまったけど」

 俺はその時、彼が時たま見せる、寂しそうな表情の意味がわかった気がした。

「とにかくどうしても彼女の命を狙う一派を捕まえたかった。彼女が安心して毎日を送れるように。それが俺にできることだったから」

「おまえの隣にいたらいつまでも問題なく安心だと思うけど?」

 とっさに出た言葉だったが、アディールは一瞬だけ俺に目を向け、そして静かに頭を振った。まるでもう諦めたというように。

「幸せだって、言ってただろ?何もかも、上手く片づけた後に、やっぱり無理だって手放すというつもりなのか?おまえ、恋したのは本当なんだろ?彼女に・・・」

 信じていい。一瞬、恋を信じていない俺だってそう思えたんだ。そんなに簡単に諦めて欲しくなかった。

「幸せになるんだろ?」

「俺一人では、幸せになることはできないんだよ、ムタ」

 向けられた瞳は、つらそうに揺れていた。

「何百回も嫌いだっていわれているうちに気付けば良かったよ。俺以外にはあんな、優しい表情をする人だって、知りたくなかった」

 俺は、アディールの涙を初めて見た。


 恋とは、何だろう?

 こんなに、目の前の親友を苦しそうな顔をさせ、悩ませるものなのだろうか。


「おまえだけ、きつく当たるのは、脈有りだって言ってなかったか?」

 俺の言葉に、何も言わないアディールからは無言の笑みが返ってきただけだった。

 恋とは、こんなものなのだろうか?

 こうやって、自分の感情を押し殺してまで、諦めたりするものなのだろうか。昨日まで、あんなに幸せそうにしていたというのに。

 また、わからなくなった。

 突然、大きく響いたヒールを鳴らす音に、振り返ったアディールの表情を見るまでは。

「よ、よくも剣を向けてくれたわね」

 さきほど兵士たちに連れられて逃げたはずの人間が、なぜか息を荒げながら俺らの前に立っていた。

「こ、このままで済むと思わないでよね!」

「り、リフィー・・」

 どうして、と驚いて目を見開くアディール。

「な、なんでここに!危ないから早くここから・・・」

「いやよっ!」

 鈴の音とまで思えた先ほどまでの声が嘘のように、胸を刺すような鋭く甲高い声が響く。

「ムタ、頼めるか?」

 隣で諦めたように肩を落とした親友の姿が視界に入った。

 ふたりの間に、見えない大きな溝ができたように思えた。

「ひとりだけ、逃げるつもりはない」

 俺にすべてを託すように背を向けたアディーレに、またリフィーレ様の声が響いた。

 次の瞬間目に入ったのは、瞳いっぱいの涙を拭うことなく飛びつくように彼の背にしがみついたリフィーレ様の姿だった。そこで、彼女はわっとまた声を上げる。

 何も言わず、ただわんわん泣きじゃくる彼女の行動に驚いたのか、動揺したアディールも動くに動けずとまどいを隠せない表情をしていた。

「あ、あなただってひとりで逃げるなんて、卑怯よ。どうして今日は自惚れないのよ、バカぁ・・・」

 震えた声が、響いた。それと同時に、アディールが、今までに見せたこともないような引き締まった表情に変わったのがわかった。

「アディール!」

 気づいたら、俺も声をあげていた。

「あとは自分で何とかしろ」

 奥方様だろ!と続けると、はっとしたように彼はうなづいた。

 二人の姿を見て、なんだかおかしくなった。

 恋とは、何かは未だにわからない。でも、この二人は大丈夫。俺は直感でそう思えた。

 だから、そのままその場をあとにすることにした。


 それから、ベルリッツ家の人間は、謀反で侵入してきていた異国の人間たちをすべてとらえたと発表された。一件落着だ。にもかかわらず、やっぱりあの二人は相変わらずで、人前に出れば言い合いを繰り返していた。でもあの一件を見ていた俺には今までとは違う別の気持ちで二人を見守ることができた。

 信じられない、と隣でも変わらずしかめっ面になるベティーがいたが、俺はもうそんな彼女を羨んだり不思議に思うことはなかった。

 あの親友でさえも一瞬にいて一喜一憂させてしまうという恋。

「アディールのやつ、本当に幸せそうだな」

 今ではそんなものを、共にできる相手をいつか俺も見つけられる日が来るのかと、希望を抱き、今日も俺は幸せそうに笑う親友を、静かに見守ることができた。

恋心を見守る友人の様子を書いてみたくて生まれた物語です。


ぜひ、お読みいただけば幸いです^^


よろしくお願いします!

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