不愉快な記憶の残骸
何故、助言めいた事を告げてしまったのか。
あの場で津ケ原の娘を殺しておけば、それだけで自分の長年の目標が達成されるというのに、それを拒む意志が何処かに在った。求め続けたいのか、目標を――稲神聖羅は、館里から少し離れた万倉霊園の津ケ原、と掘られた墓標を見下ろしていた。
「良かったじゃないか。お前達の娘はちゃんと血を受け継いでいるぞ。クク、私も楽しみで仕方がないよ。ほら祝杯だ」
手首に引っ提げているコンビニ袋から酒を二本取り出し、墓前に供える。残った一本のプルタブの隙間にナイフの切っ先を差し入れて開けた。
「無色透明の魔力とは、本当に異端のような娘だな……そういえば、昔はよく一緒に飲んでいたな。ずっと妬んでいたよ、お前達の才能を、な」
ルアの屋敷を後にして直ぐ感じた魔力の波。館里の町全体を覆った薄い膜状の魔力は、直ぐに溶けるように消えたが、純度や魔力量から見てAランクに該当しそうなソレは確かに透理を残した屋敷から感じた。
化け物の子は化け物とはよく言ったモノだと、聖羅は亡き親友二人の面影を思い起こせた。
稲神聖羅がAAランクに昇格した時、二人は我が事のように喜んでいた。もちろん、その時はとても嬉しく、素直に喜んだ気がする。だが、津ケ原夫婦も同じくしてAAランクに昇格し、Sランクという別格の次元への昇格が約束されていた事を知った聖羅は、酷く彼等に嫉妬した。あの席に座るのは自分が相応しい、他の誰にも譲ってたまるか、と。
嫉妬は憎しみへ――やがては殺意へと育んでいった。
「すぐに、お前達の墓の隣りに娘の名を刻んでやるよ」
今では自分と並ぶ魔術師はこの世には存在しない。陳腐な言葉であるが、自分が最強だという自負さえある。
聖羅は不味そうに酒を流し込む。
「時間が経ったから温いな……」
自分でも気づかない寂しげな声。
「人間やめると老けなくていいもんだぞ。お前ほどじゃなくても、私の顔もそれなりに良いと思っているんだが、男運は最悪だ」
憎しみを抱く前の――互いに親友だと認めていたあの頃を振り返り、言葉を持たぬ墓石に話しかける。
「そういえば香織、お前と何か賭け事をしていなかったか? 私が負けて……何か面倒な約束事をさせられた気がするんだが、あぁ、頭の中がグッチャグチャしてて、思い出せないなぁ。まっ、その程度の約束だったんだろうが、な」
不味くなった酒を一息の飲み干し、ゴミを袋に詰める。
聖羅は過去の所々に靄が覆って――そのほとんどが、津ケ原香織との記憶だった。憎しみ故に自分の中から消去しようとしたからだろうか、思い出そうとすれば、酷い頭痛が嘲るように遮る。今までは何の違和感も持たなかったが、今は喉に小魚の骨が引っ掛かったように意識してしまう。頭痛が思考を放棄させようとし、放棄しようとしても巣食った靄が際立って仕方がない。
「……来るんじゃなかったよ。そもそも、どうして来てしまったんだ? 私はお前達との関係を断ち切りたいはずなんだがな」
忘れ去りたい自分の汚点。汚点を残せば白紙に垂らしたインクのように広がり、自分の色を塗り潰されるからだ。
透理の魔力に触発されてしまったが故の行動か、真我に宿った友への不明瞭な理由からか。聖羅は胸の奥底に埋まる靄の下に、もがき這い上がろうとする不快感に気付いた。
余計なモノだと切り捨てたはずの、今ではその正体すら分からぬの何か。
忘れていたい、忘れているべきだ、思い出せば――。
「――私は」
苦痛に歪む形相――口の端から垂れる血は、とっさに唇を噛み切ってしまったもの。脳を揺する波紋は、神の意志によって勝手に情報の書き換えを行われているようで、脳の記録媒体が焼き切れそうな苦痛を聖羅に強要した。考えてはならない、思い出そうとしてはならない、思い出すな、という強制的圧力に屈する頃には、自分が何を思い出そうとしていたかも忘れ、気分は晴れやかなものとなった。
「はぁ、はっ……ハハ、記憶の滓が、忌々しいものだ。私に依存する不出来な私が、私を殺そうとするか」
聖羅は汗を雑に拭う。
スッキリとした歪んだ顔で、世界を嘲笑うべく稲上聖羅は、天上に描かれた模様を睨み据えた。
こんばんは、上月です(*'▽')
昨日は投稿できずに申し訳ありませんでした。
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