喰らいたい悪魔、助けたい悪魔
「あれ……ボク、寝ちゃってた?」
透理は瞼を擦りながら、ぼんやりとする思考で周囲を見渡す。
「ここ、何処? って……ああ、迷宮だっけ。はぁ、こっちも夢だったら良かったのに……というか、どんな夢を見ていたんだっけ?」
座ったまま寝ていたせいで、身体が軋みを上げた。
「うぅ、いてて。さて――ッ!?」
聞こえてしまった――その音を聞くと背筋に悪寒が走り、心臓がいつも以上に跳ね上がる。
「うそ……だろ?」
それは、直ぐ真横に立ち、壁に背を預け座る透理を見降ろしていた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
逃げなくては――脳が危険を察知する前に、人間がもつ動物的感覚に従う。逃走を求めるも身体が固まっていたので、上手く逃げることが出来ずに転倒してしまう。這ってでも距離を開けようと必死にもがく。
だが、傍らに立っていた。
その女性はボロボロの白衣を纏い、ボサボサ髪から覗く瞳は虚ろの黒。目下でもがく透理を見つめておどろおどろしく嗤う。
身体に上手く力が入らない。脳からの電気信号を拒むかのようにガクガクと四肢は震える。懸命に這ってでもいい。少しでもこの非常識から逃れられるなら、無様な醜態も晒してやろうともがく。
だが、それは叶わない。
女性が手に持っているモノを目にしてしまったから。
どれほど引きずったのだろうか。硬質な黒い棺の下面は塗装が剥げ落ち、それ以外の箇所も色褪せて腐敗していた。その中には誰が入っているのだろう。いいや、これから誰を入れようとしているのだろうか。
透理の全身の熱が瞬時に冷やされていく。
「え……あの、その」
言葉が上手く伝えられない。そもそもこの非常識を相手に何を伝えようとしているのかさえ、自分でもよく分からない。
「うぅ……うッ!」
「――ひぃッ!?」
もう、何が何なのか。透理は涙を流し、女性と視線を合わせてしまった。
「あ……あァァ!」
まるで歓喜のように口角を持ち上げて引き攣った笑い声をあげた非常識に、背筋がゾワゾワと恐怖で伸び、それはもう感情が半狂乱に荒れ狂った透理は、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! よく、分からないけど、本気で助けて! ルアァァァァァァ!」涙鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き叫ぶ。
「おやおや、お嬢ちゃん。随分と参っているみたいじゃな」
突如として聞こえた第三者の声。
涙で霞む視界で辺りを必死に探ると、透理と女性の間に宙から一匹の大きな猫が降って来ては、面白可笑しそうに、ククっと喉を鳴らす。
「なに、怖がることはない。お嬢ちゃん、ソイツの引きずっている棺桶を開けてみろ」
「嫌だ!」
「どうして拒むんじゃ?」
「お前が悪魔だからだよ! かくれんぼって言ったのにこんな迷宮に閉じ込めて、あまつさえあんな怖いお化けを差し向けるなんて、酷いじゃないか、あんまりだ!」
「お化け? クク……おい、お前さん、お化け扱いされてるぞ。まぁ、そんな姿じゃあ、間違われても仕方ないがのぅ」
キャストールは女性に何やら親し気に語り掛け始めたのを見て、透理はあふれ出る涙を袖口で拭い、真っ赤に染まった眼で、じっと一人と一匹を交互に見合わせる。
「ご……ご……なさい」
女性がしゃがみ込み、透理と視線の高さを合わせて小さな声で何かを呟くが、とっさのことに彼女が何を言ったのか聞き取ることが出来なかった。その様子を見かねたキャストールがやれやれと割って入り、状況を説明せんと背筋を伸ばす。
「コイツの名前はフェーラン。ワシと同じく、魔術師と契約した十三の悪魔の一体じゃ。そして、コイツは迷宮で泣きじゃくるお前さんの手助けをしようと、勝手にワシのゲームに参加しおったのじゃが……送り込んだのはルアか、余計なコトをしてくれおって」
言葉に忌々しさを滲ませ、隣でしゃがみこんだ女性を一瞥。これで理解したか、と透理の瞳を覗き見る。
「えっ、ただ、ボクを助けようとしてくれていたってコト?」
「あ、う……はい」
遠慮がちに小さく頷く。
「そうだったんだ。そうとは知らなくて、怖がっちゃってごめんね……」
「うぁ……」
フルフルと首を横に振ると髪が乱れ、長い前髪から上目遣いに覗く眼。一種のホラー的要素で溢れ、背筋を走る薄ら寒さを、無理やり強張った笑顔で隠す。
「あっ、そうだ。キャストール、みっけ! これで、ボクの勝ちだよね?」
「むむ、致し方ないか。ふん、今回はお前さんに勝ちを譲ってやろう。分かったら、ホレ、そこの棺を開けないか。お嬢ちゃんへの褒美が入っておる」
勝利に得意げな表情を浮かべる透理に、フェーランは小さな拍手を送る。
「あれ、この棺ってフェーランさんのじゃないの?」
「いい……がう」
フルフルと否定。
「ワシのだ。コイツが勝手に持ち出したんじゃ。まったく……手癖の悪い悪魔め」
「あな、言われ……く、ない」
ブツブツと途切れ途切れに喋るフェーランは、きっと『貴方に言われたくはない』と言ったのだろう。
なんにせよ、これにて悪魔とのゲームは終わったのだ。棺の中には可愛らしい小さな紅玉が埋め込まれた指輪だった。
「さっ、帰ろうよ。ボク、お腹空いちゃった」
キャストールは此処に来るときにしたように、透理と視線を合わせる。
またもや、意識はぼんやりと混濁し、直ぐに深い微睡に抱かれていく。脱力して膝から崩れ落ちるが、それを優しくフェーランが抱きかかえた。
キャストールのゲームをクリアした透理。棺の中に入っていた指輪はどのような代物なのか。
次回の投稿は明日の21時を予定しておりますので、是非とも一読くださいませ!