AAランクの魔術師
自室でタイプライターを小気味よく打ちながらルアは難しい顔をしていた。
執行会と飢えた狼。これらの存在は任務遂行を妨げる邪魔な因子でしかなかった。教会には執行会の力を隠匿する加護があって彼女を前にするまでその術力は定かではなかったが、あの修道女は執行会の中でも相当の実力者だと察した。さらに付け加えて今回この町に現れた歪みの規模からして自分一人では少々荷が重いと判断し、組織からの増援希望と指示を請う。
報告書と要請書を同時に送り、椅子に深く腰掛ける。
「この極東の地にこれ程の歪みが現れるとは……来たか。流石に対応が早いな」
タイプライターが勝手に動き出し、紙に文字が記されていく。
「馬鹿なことがあるかッ!? 増援不要と判断、現場指示はルア・ウィレイカシスの意思に一任する……だと」
これら全ての敵に自分一人で対応しろとの命令に指示書を握りつぶし、急ぎ足で一階の居間へ降り、「透理、何処にいる!」何度呼んでも返事はない。
「おい、キャストール。透理が何処にいるか知らないか?」
「さぁな。帰ったんじゃないか? お前さんが引きこもっておるから、大層暇そうにしていたからのぅ」
テーブルの下で昼寝をしている猫は、興味がないという様相で答える。
「そうか……なら、いいんだ。これから大規模結界をこの屋敷と周囲の森に対し展開する」
「なんじゃなんじゃ、大層慌てた様子じゃないか。なにかあったのか?」
「この町には執行会と飢えた狼がいる。この場所を襲撃させない為だ」
「そうかい。それで、あのお嬢ちゃんがいると都合が悪いというわけだな?」
面白いことが始まりそうだ、と嬉々として言葉を交わす猫は舌なめずりをする。
一人と一匹は屋敷の外へ。
「そうだな、近くに居ては足手まといにしかならない。それに一般人を危険な目にあわせるつもりはない」
ルアは数冊の書物を手に、屋敷を中心に数キロ圏内に結界を敷く。
「見える事象だけが全てではない。不可視には感覚を研ぎ澄ませと父は語る。されど、我を守る母の愛はその感覚すら惑わす魔性の抱擁である」
書物を開き、一定の間隔で文章を読み上げれば、反応するかのように森がざわめく。
「展開せよ:不干渉たる空間領域」
ルアの魔力が媒体たる本を介して屋敷を中心に外側へ働きかけ、ルアの意識した範囲全体に広がって浸透したのを知覚した。
「成ったか。これで、しばらくの防衛面は大丈夫だろう。後は迎撃手段だな」
「執行会に飢えた狼ねぇ、いくらAAランクのお前さんでも分が悪いんじゃないか?」
「だからこうして結界を張ったんだ。この程度で狼の牙から守りきれるなんて思ってはいないが、あくまで時間稼ぎをしてくれればいい」
魔術師、飢えた狼、執行会――この三竦みで一番分が悪いのは肉体的にも人間レベルの魔術師だった。残る二勢力は神の加護や特異体質などという恩恵を受けているお陰で肉体的損傷は受けにくく、欠損の修復速度も常人とは比べるのが馬鹿らしくなるくらいに速い。だから魔術師は知識を総動員させ、うまく知恵と魔術で立ち回らなければならない。ルアは執行会をこれまでに何人か屠ったことはあるが、飢えた狼に至っては噂に聞くばかりで、一度たりとも会ったことがない。現状でルアが一番警戒するべきは人伝に聞いた情報程度しか持ち合せていない、血を求める快楽殺人主義である狼であった。
「一応、透理に後で連絡を入れておくとしよう」
「別にいいじゃろ。結界も張ってあるんじゃし、気にする事でもない。違うか?」
「言っただろ、一応だ……ん?」
透理の携帯番号にコールすると微かだが軽快な着信音がルアの耳に入る。それもその音はこの屋敷の中からだった。
「どういうことだ? なぜ、私の屋敷から彼女の着信音が」
言うや否や携帯を切らずその音を頼りに屋敷の中を駆け出すも、その音源は直ぐに見つけることができた。
「ここは地下室に続く扉だが……この中に透理はいるのか?」
妙な胸騒ぎした。
どうして電話に出ないのか。もし、仮に電話を落としたことに気付かず帰ってしまったとしても、この家の固定電話に自宅から掛けてくるだろう。だが、その形跡もない。ならば透理の身に何かが起こったと考えるのが自然。
「透理っ! これは一体」
地下室の冷たいコンクリートの床で意識を失い倒れている透理の姿。
急ぎ身体が冷えている透理を抱きかかえて暖かな暖炉のあるリビングへ連れていき、ソファーに横たえさせる。背後に控えるキャストールに険しい視線を向け、「化け猫! 貴様、透理に何をした!」透理からは外部から昏睡させられた魔力残滓を感知した。
「おいおい、ワシは何もしておらんよ」
「そんな訳はないだろう。お前はリビングにいたのなら地下に行く透理を目撃しているはずだ。それを、お前は帰ったんじゃないか、と言ったな?」
「ワシは寝てたからな。たまたま、気付かなかっただけじゃな」
「それはない。お前の頬に付いてるのはモンブランのクリームだろう。そのケーキは私が透理の為に買って冷蔵庫に入れておいたものだ。猫であるお前が一人で冷蔵庫を開けられるわけは――」
「ご名答。そう、ワシがお嬢ちゃんをここに連れてきた」
ルアの長々と続きそうな推理を面倒くさいと言わんばかりに、あっさりと自分が犯人であることを認めた。どのような思惑があってこのような行為に及んだのか。ルアは問わねばと口を開く前に、キャストールは不満を口にし始める。
「ワシがお嬢ちゃんをこんな所に閉じ込めた理由が聞きたいのじゃろ? ようは、不満なんじゃよ。ワシ等は使役されている以上は主人に逆らえない。だが、肉は喰いたい。もちろん、若々しい女の肉が」
「だから、透理を?」
人間の肉を食すことを固く禁じているルアに対して反発からの行為だった。その赤い瞳はお前にも責任の一端はあるんだぞ、と静かに語り聞かせる様に主人を見上げている。
「クク、お嬢ちゃんとは少しゲームをしておってな。ちゃんと帰って来れば、褒美をくれてやる約束をしたのじゃが……まぁ、帰ってこれなかった場合は」
舌なめずりをする悪魔にルアは怒りをあらわにする。
「貴様ッ!」
「怒るなよ人間。お嬢ちゃんが、このゲームをクリアすれば問題はないんだからのぅ」
「こちら側の存在を知ってまだ日が浅く、魔術師としてのイロハも理解していない一般人が悪魔の遊戯に対抗できるはずもないことくらい――」
「知らんよ、そんな事は。後はお嬢ちゃん次第さ。それとも実力で阻止するか? AAランクの魔術師よ」
キャストールの赤眼が挑発的にルアを舐めまわす。
ルアの胸中は焦りと不快感で渦を巻く。いま目の前にいる悪魔を実力で屈服させても良いが、それでは後々に障害を残してしまう可能性を考慮すると、ただ握り拳を作る事しか出来ない。
「懸命じゃな。せっかくできた弟子じゃ。信じて待てば意外と帰ってくるかもしれんぞ」
キャストールは尻尾を愉快気に振りながら、気紛れな猫そのものを体現したかのように、フラリと外出してしまった。
「悪魔風情がッ……!」
ルアもただ黙って待つつもりは毛頭ない。急ぎ足で自室へ引き返し手遅れになる前に策を練らねばならない。
次回はキャストールの遊戯に誘われた透理の話となります、投稿は10月2日の21時~22時を予定しております!