悪魔の遊戯
透理が案内した教会は館里駅からも数分の住宅街にある、何の変哲もない民家を改良したこじんまりとした造りをしていた。
「一応ここが教会だけど、どうする、中を見学させてもらう?」
「いや、もう十分だ。今日は帰ろう」
この場はもう用済みだと、教会に背を向け透理もそれに続き帰路に着こうとした時――背後から扉が開く音と共に二人の背に声が投げかけられた。
「あら、見学をご希望ですか?」
声を掛けられた以上そのまま無視して帰るのは少し気が引けたので透理は足を止め振り返る。
その女性は修道服に身を包み、胸元で両手を組んでいたのだが、透理の目を引いたのは彼女の髪と瞳だった。右肩から胸元に下がる編み込まれた金色の髪と柔らかな草原を連想させるような薄緑色の瞳。海外の女優さんのような美しさと品性を湛えた雰囲気に同性でも見惚れてしまった。
「いや、たまたま散歩をしていて通りかかっただけなので、私達はこれで」
透理の手を引いて背を向けようとして、「私は其方の可愛らしいお嬢さんに聞いたのであって、魔術師である貴方には聞いてません」挑発的で威圧的な女性の声で反射的にルアは足を止めた。
ゆっくりと振り返ったルアの眼はしっかりと敵として認識したような力強さが見て取れた。
「狡猾で浅ましい魔術師。私は一般人を巻き込んでまで、執行を下そうとは思ってはいません。一般人を盾に神の庭に踏み入ろうとするその悪知恵は流石というべきでしょうか」
「彼女はたんなる案内人だ。盾にしてどうのとは考えてはいないし、私も一般人を巻き込むつもりはない」
「巻き込むつもりはない? 道案内をさせている時点ですでに巻き込んでいるではありませんか。魔術師は敵が多いのでしょう?」
「そういうキミこそ、一般人の前で魔術師だの執行だのとよく言えたものだな。それに、敵が多いのはお互い様だろう?」
売り言葉に買い言葉のやりとりを黙って見守っていたが、なかなか終わる気配がないので二人の間に割って入る。
「二人とも取り敢えず落ち着いてよ! まったく、どうして初対面でそう言い合えるのかなぁ」
「気に食わないからだ」
「気に食わないからよ」
同時同意見の反論。
「それでも、喧嘩は良くないよ! ボク達はちょっと確認しに来ただけで、なにも喧嘩しに来たんじゃないんだよ?」
その発言にルアは額に手を当て、深く溜息を吐いた。
「確認しに来ただけ? それは一体……どういう意味ですか?」
「この教会を任されている者が一般人かどうかの確認だ。もう、こちらの要件は済んだのでね、帰らせてもらう」
「コソコソと嗅ぎまわる主の敵を、このまま見逃すと思いまして?」
「ほぅ、ならばどうするんだ? 神の庭を魔術師の血で汚すか? それとも先程自分で言った言葉を覆すのか?」
一触即発しそうな沈黙を透理はヤキモキしつつ、両者から少し距離を開け見守っていると、修道女の方が溜息を吐き沈黙を破る。
「今回だけは特別です。速やかに私の視界から消え失せなさい」
「では、そうさせてもらうとしよう」
「一つ、忠告をしてさしあげます。この街には血に飢えた目障りな狼が潜り込んでいますので、精々その貪欲な牙に注意する事ですね。私的にはそのまま食い殺されれば万々歳なのですけど」
「忠告感謝する。だが、気をつけたほうがいいのはキミも同じだろう? 奴らは血の臭いをかぎ分け、戦場を求め見境なく死を振りまく戦闘狂だ」
今度こそ教会に背を向け、「帰るぞ」透理の手を引いて教会から立ち去る。その後ろ姿を奇襲すればあの魔術師を屠ることは容易だろうが、例の血に飢えた狼の件もあり、迂闊に執行を下すことが出来ないでいた。胸中に芽生えたもどかしい気持ちを払拭するべく、神への祈りをささげようと教会の中に引き返す。
屋敷に帰るとルアは自室に籠ってしまい、透理は暇を持て余していた。
「おやつとかあるかな」
最新式のガス台に食器洗い機。大型冷蔵庫の中にはルアの趣向品である値が張りそうな酒が陳列していた。その隅にモンブランが顔を覗かせている。それを愛おし気に手に取り、黄色い栗を眺めていれば幸せな気分に浸れる。だが今は空腹を満たすべく、ポットで淹れた紅茶と共に優雅なティータイムのひと時を過ごそうと席に着く。
「いただきま……ん?」
フォークに刺した栗を口に入れようとしたら、足先が何かに触れた。机の下を覗き込むと大型犬のような猫がその身を丸めて気持ち良さそうに眠っていた。
「床暖は暖かいからね。でも、わざわざこんな所で寝なくても……」
ルアの使役する悪魔のうちの一体――鋭利で大きな捕食歯を持つ巨大な猫は鼻をヒクつかせ、甘いケーキの香りに空腹からか目を覚まし、背をピンと伸ばし大きな欠伸を一つ。透理の傍らで姿勢よく座り、その視線はいま口に運ばれようとしていたモンブランの顔でもある栗に注がれている。その眼は三日前に異形の化け物へ向けられたものとは異なるも狩人としての眼であった。
「うぅ、栗ぃ」
まじまじと見つめられれば、このまま食べてしまうことに罪悪感のような感情が芽生えてしまう。致し方なく栗をフォークから抜いて掌に乗せたまま食べさせる。
「悪いの、お嬢ちゃん」
「そんな目で見るのはズルだよ!」
「悪魔だからな。ズルいのはご愛嬌じゃ」
「はぁ……、まあ、いいや。師匠が引きこもりになっちゃったから暇なんだよね」
「暇ならばワシと遊ぶか?」
人語を渋い声で話す猫は咀嚼した栗を呑み込み、透理の反応を窺っている。
さて、どうしたものかと首を傾げて考える。師であるルアには深く悪魔とは関わるなと念を押されてはいるが、それはルアが不在時の話。今は部屋で何をしているのかは分からないが、ちゃんと在宅はしている。つまり悪魔と遊んでも問題はないだろう、と自分に都合の良い解釈を導き出し悪魔の誘いを承諾。
「遊ぶのは構わないんだけどさ。何して遊ぶの? やっぱり、猫だから散歩とか猫じゃらし? 外は寒いよ」
「お嬢ちゃん。ワシは悪魔だぞ? 散歩だの猫じゃらしなどに興味を持つわけが――」
顎の下を指で軽く撫でてやると、喉をゴロゴロ鳴らしては気持ちよさそうに眼を細め、もっとやってくれとねだるように顎を持ち上げる姿はやはり猫であった。
「気持ちいいんだ?」
「はっ!? 気持ち良くなんてない! 人間のくせに悪魔を手玉に取りおって。そんな事より、これからお嬢ちゃんにはワシを探してもらう。それが遊びだ。もちろん見つけることが出来れば褒美をやろう。どうじゃ、悪くなかろう?」
「聞くまでもないね。もちろん参加さ!」
「では、特別ステージにご案内しようかの」
吸い込まれそうな蠱惑的に細められた瞳は透理の意識を混濁させる。
全身に行き渡る脱力感。思考は鈍くなり、襲い掛かる睡魔に成す術なくその場に倒れ伏す。一匹の大型猫がズルズルと主人に悟られないように透理の身体を静かに引きずり、普段使われない埃の積もったカビ臭い地下部屋に押し込んだ。不敵に歪み笑う口元からは唾液が垂れ落ちていく。
「さぁ、お嬢ちゃん。ゲームの時間だ。ゆっくり楽しんでいっておくれよ」
何事もなかったかのように、大きな欠伸をして床暖でぬくぬくと惰眠を貪り始めた。
次回の投稿は明日の夜21時くらいを予定しております。