飢えた狼ウォル・アンクリオット・ディーラデイル
突如とし天窓を破って現れた奇襲者は銀色の髪を乱し、狼のような瞳孔は捕食対象としたルアに向けられている。
「コイツが飢えた狼かッ!」
投げ捨てた本が宙で停滞し、ページが勢いよく捲れていく。綴られた文字が紙から剥がれ、規則正しく配列する。それは以前に透理がルアの部屋で見た現象と全く同じであった。
「姑息、でも魔術は私に、効果はない」
「さて、どうかな。魔術師は如何なる場合でも常に第二、第三と策を弄するものだ。むろん、キミのような非常識相手には特に念入りにな」
「なら、その前に……殺す!」
大鎌を肩に担ぎ身を低くしたウォルは膝関節と足関節をバネのように弾き跳躍する。それは人が到達できる次元のものでは無い。まるで放たれた弾丸だ。一直線に、だがその速度に反応できる頃には、魂を狩る大鎌の狩場内。
「ルア!」
透理の叫びに、銀色の狼は一瞬だけ意識がそれる。
その僅かな好機をルアは見逃さなかった。宙で配列している文字は一斉に振動して連鎖反応を起こし、次々と赤く発光していく。
「な、に?」
「巨人殺しの神話だ」
地面から生えた幾重もの鎖。それらは生きているかのように蠢き、大鎌を振るい応戦するウォルに猛威を振るっていく。
嗜虐鎖は遠心力に任せた鋼鉄の殴打。悪戯鎖は彼女の足を絡めとり横転させる。残った日和見鎖たちは、身動きのとれなくなった少女に群がり全身を拘束する。
ウォルの手首から先は青紫色に変色し、血液の流れを阻害する。顔は真っ赤に染まり苦悶の声を小さくあげた。
「飢えた狼。キミは魔術や肉体的欠損に耐性があるというコトは噂に聞いている。だが、力ではどうしようも出来ない鋼鉄の鎖による拘束ならばどうだ?」
身動きの取れない状態であっても、未だにその闘争心を宿した瞳でルアを見上げ嗤う。
「殺さない、駄目。お前は、勝機逃した」
「この状況で……大鎌は何処だ?」
視線と意識は常に拘束されたウォルに向けられて、瞬時に手から離れた得物に気が付かず、今になってようやく己の慢心に毒づきたい気持ちになる。
「ルア、後ろ!」
キャストールと共に離れた場所で、二人の戦闘を不安げな表情で見守っていた透理が声を荒げた。もちろん、魔術師は枠組みで言えば一般人だ。動物的反射神経なんて持ち合わせているわけもない。
後ろの状況なんて分かる筈もなく、しゃがむべきか、左右どちらかに避けるべきか。その判断すらままならない。
「ぐっ……」
右頬のすぐ傍。肩口に熱い痛みと共に、銀影が空気を切り刻みながら車輪のように回転し、ウォルを束縛する鋼鉄の鎖を難なく断ち切った。
「わざと、外した。ううん、違う。かすめたの」
赤に染まりゆく白のワイシャツ。
傷が深いのだろう。必死に傷口を押さえつけても、止めどなく溢れ出す血は袖を通り、床に滴り落ちていく。
「右腕は……駄目か。流石は飢えた狼……嬲り殺してから獲物を捕食する獣らしい狩り方だな」
「質問、するため。トゥリは魔術師?」
「…………」
「沈黙、よくない。答える」
動かぬ右腕。互いの距離を考えてみても自分が魔術を行使するより早く、ウォルは自分を殺すことが出来る。自分が死んだ場合、魔術師の住処に居合わせた透理はどうなるか。答えは明白だ。
「いいや、違うな。アレは単なる道案内のバイトに過ぎない。それとも狼の嗅覚には、彼女が欲深く狡賢い魔術師にでも見えるのか?」
ウォルは透理を一瞥し深く考える。
考えてから、首を振る。
「トゥリ、魔術師じゃない。私はトゥリ、食べない」
「そうだ。キミの捕食対象は私達、魔術師や狂信徒共だろう?」
「抵抗しないなら、楽に、殺す」
「駄目だよ!!」
ルアの頭上に大鎌を大きく振り上げた所で、キャストールの脇を抜けた透理が二人の間に割って入る。
「邪魔。このまま、トゥリ、殺してしまう」
「どかない! 勝手に人の師匠を殺そうとするなっ! いいよ、振り下ろしたければ振り下ろせばいいじゃないか。でもね、ボクは執念深いんだぞ! 毎晩ウォルの枕元で立って、焼肉代返せって耳元で囁いて寝不足にしてやるんだ!」
「透理、なにを言って」
「トゥリ……」
「むぅ~、なに!」
「焼肉、トゥリが、好きなだけ食べろって。あとあの肉、店長のサービス。トゥリ、払ってない」
「…………」
言い返せなかった。
自分が好きなだけ食べていいからと誘い、それに代金も店長のサービスだから一銭も払っていない――溢れ出る脂汗。つい、視線をウォルから逸らしてしまう。
「……分かった」
振り上げられた刃をゆっくりと降ろす。
俯き黙るウォルに透理は安堵の表情を浮かべる。
「ウォル! ありが――」
「トゥリも、殺す。魔術師の仲間」
「そんな!」
「今じゃない。トゥリ、優しい。今日は見逃す……でも」
次回は敵として刃を向ける。
彼女の赤い瞳がそう告げていた。
「魔術師、名前、教えて」
「……どうしてだ?」
「特に……いや、初めて殺さなかった。だから、聞く」
今しがた殺し合っていた相手に名前を問われ、苦痛に歪んだ表情をより一層に不可解だと困惑させたが、ここで機嫌を損なわせても此方に得はないと結論を出す。
「……ルア・ウィレイカシスだ」
「ルゥ……覚えた」
「私の名はルアだ! 覚えていないではないか。何処かの弟子と同じで、貴様の脳の許容量も絶望的だな」
ルアの必死の抗議虚しく、そんな指摘に聞く耳なんて持たないといったように、エントランスホールに散らばったガラス片を踏み割り、奇襲時とは違い玄関ドアを押し開き、闇夜の森に姿を消した。
今回はプチ戦闘でした。
身体能力と圧倒的な力を併せ持つ飢えた狼。
本来であれば、ウォルよりルアの方が実力的には上なのですが、一瞬の油断がルアの敗北を決める要因となりました。
さて、次回の投稿は10月9日の夜21時くらいを予定しております。




