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突然の奇襲者

 安アパートに設置された固いベッドに伏せて、窓から流れる真冬の冷気すら鬱陶しく、はしたないと思いつつも足で窓を閉める。


「はぁ……もう、何が何だか。ボクには難しくて分からないよぉ」


 透理はウォルと名乗る飢えた狼と出会い、自分の知らない世界があることを改めて認識した。関わり始めた裏世界の秩序――三勢力の抱く闇。


 食後の散歩にウォルが語った真実は透理に揺らぎを与え、モヤモヤとしたわだかまりを植え付けた。


「魔術師は己の価値観を持って世界真理を識る為に魔術を学び行使する。執行会は己の神と信徒を冒涜し辱める者を抹殺して世界に神の愛を諭す為。飢えた狼は――」


 焼き肉屋を後にした二人は静かな波音と潮風の匂いを堪能しつつ、ゆっくりと足場の悪い砂浜を歩いていた。


「じゃあ、飢えた狼ってなんなの? 血と戦場を求めて死を振りまく戦闘狂だって……ボクは聞いてる」


 それは、誤りだとウォルは静かに否定した。


「飢えた狼……その呼び名、執行会が勝手に、つけた悪魔の名。本来は調律者。世界の均衡を守る、私達の仕事」

「世界の均衡?」

「ん、トゥリには難しい。えっと、世界を乱す執行会、魔術師を止める。私の役目」


 説明することが得意ではないのだろう。ウォルはなんとかして分かりやすくと頭を悩ませ、身振り手振りも交えて事細かく話すが、透理はその話の一割すら理解できず、分かったような素振りで相槌を打っていく。


「なるほど、つまりウォルは世界の味方なんだね!」


 話の流れでなんとなく導き出した答え――完全なる思考放棄である。


「……そう。私達は、正義。だから、殺す」

「む! いくら正義でも殺しは良くいないよ!」

「どうして?」

「どうしてって……」


 結局、何も言い返せなかった。倫理や道徳だと言ってしまえば確かにそうだ。だが、そこに深く追及されると透理自身上手く説明できる自信がなかったのだ。


 故に沈黙。


 自分はあの場で押し黙る事しか出来なかった。その様子を見かねたのか、「ご馳走様」とだけ言い残してウォルは立ち去った。


「はぁ、どうすればいいんだろ。このままだとあの子、絶対にルアと……」


 ルアだけではない。あの小さな教会の修道女も交えれば三竦みとなる。産まれも育ちもこの小さな田舎町だが、いつからこの町はこんなにも物騒になってしまったのだろうか。


「わかんない! わかんない! わかんないよぉ!」


 考えるより行動派の透理の脳は既に許容量を凌駕し、思考が強制的に打ち切られ、枕に何度も顔を打ち付ける。


「こんなことしてる場合じゃなかった。ルアにこの事を知らせなきゃ!」


 携帯電話の電話帳からルアの番号を見つけコールする。


「なにやってるんだよぉ! 重要な要件なんだから、早く出て!」


 延々と鳴り続けるコール音。


 一分、二分と時間が過ぎていくにつれ、胸中で芽生えるざわつきと不安。透理は舌打ちをして電話を切り、ハンガーに掛かっているコートに袖を通し家を出た。


「弟子を心配させるなよ!」


 ボロアパートに停めてある愛用の競技自転車に跨り、沿岸沿いのまばらな人を縫って走る。背後からは自分を呼ぶ声が聞こえたが、申し訳ないと思いながらも全て無視してペダルを踏み漕ぐ。


 小山に空いている小さなトンネルを潜り抜ければ、海沿いの町並みとはうって変わり、山に囲まれ畑が一面に広がっている。民家も数棟が点々と在るだけだ。さらにそこから舗装も十分にされていない細道に入る。小石を弾き、でこぼことした不安定な道に尻を痛めながらもお構いなしに突っ切っていく。


「ルア、キャストール……無事でいてよ」


 ようやくルアの邸宅がある森にたどり着く。森の中は蔦や根が邪魔で自転車での移動が困難なので、入口付近に放置する。もちろん、鍵なんて掛けている暇はない。


 運動神経の良い透理は根や蔦に足を取られる事なく、無事に森奥に建つ古屋敷にたどり着く。


「ルア!」


 扉は施錠されておらず、簡単に両開きの扉は大口を開けた。


「おやおや、お嬢ちゃん。どうして戻って来た……いや、戻って来れたんだ? 屋敷の周囲はルアが結界を張っておったはずじゃが」


 ホール奥の階段で門番のように伏せていた悪魔猫キャストールが身を起こし、怪訝な視線を向ける。


「キャストール、ルアは?」

「何事だ、キャストール……透理? 何故、キミがここに居る!?」


 二階の右通路からルアが姿を見せ、思わぬ来客に驚愕の表情で言葉を失う。その驚きの表情を透理は短い付き合いながら、一度も見た事の無いモノだった。


 言葉語らず階段を降りてくるルアは少々機嫌が悪そうで、透理は小さく身構える。


「どうやって、ここに来た?」

「……え?」

「どうやって、この屋敷までたどり着いたと聞いているんだ」


 口調はいつものような淡々としたものであるも余裕のあるものではなかった。


「どうやってって……そんなの普通に入口から来たに決まってるじゃん! そんな、ことより――」

「普通に来れるはずがないだろ! この森全体には結界が敷いてあるんだぞ。一般人であるキミが簡単に掻い潜れるものではない!」

「結界ってなんだよ! そんな、怒って言われても知らないものは知らない!」

「ああ……すまない。冷静になろう。いいか、この森には魔術を使った結界、つまり、誰もこの屋敷に近づけないようにしてあるんだ。それをキミは普段通りにやって来れた。この意味がわかるか?」


 ルアの言葉に怒気はない。いつもの魔術講義をするときのように諭した口調に安心する透理。だが、その質問には首を横へ振るわざるを得ない。


「まあ、そうだろうな。何かしらの原因で私の結界が破られた可能性もある。結界は私の魔力で成っている。故に破られれば私が感知できる。だが、結界に異常は感じられなかった。つまり、キミがなにかしらの力を使い結界を抜けてきた……と考えるのが打倒だろう」

「えっ、ボクそんな力なんて持ってないよ。そもそも、森だって普通に――」

「ああ、キミから感じる魔力は一般人程度のものだ。なんの修練も積まず知識もない子に何かできるとは思えない」


 エントランスホールに沈黙が続く。


「嫌な臭いじゃな……お嬢ちゃん何を持っている?」

「うん? 何も持ってきてないよ」

「コートのポケットから異様な臭いがする。この臭いは……ルア!」


 キャストールの嗅覚を頼りに、ルアが透理の羽織っているコートのポケットに手を滑り込ませ引き抜く。


「これは、髪……か?」

 

 手に握られる数本の銀色の髪。


「透理、これに見覚えはあるか?」

「う~ん……ある。そのことで、ルアに知らせようとして来たんだ」


 昨日の出来事を一から事細かに話した。その間、ルアもキャストールも一切口を挟まずに黙していた。


「というコトなんだけど。ルアはそれでもウォルと戦うの?」

「自らを調律者を騙るか……おこがましいな。透理の話しを聞く限りでは、そのウォルという少女は、キミには手を出さないとみていいだろう。だが、それはキミが日常側の存在であればという条件付きだ。飢えた狼の件は私の方で対策をする。キミは――」

「嫌だ!」

「透理?」

「嫌だよ! ルアもウォルも会って日は浅いけど、ボクにとって大切な人なんだ。嫌だよ……大切な人たちが殺し合うなんて」


 握り拳を小さく震わせ俯く姿にルアは目線を合わせるべく腰を落とし、透理の頭に温かく優しい掌を乗せる。


「そのウォルという少女がキミにとって大切な存在だと言うのなら、私はその子を殺しはしない。出来れば交渉で済めばいいと思う。飢えた狼は本来私の標的ではないからな。それに私自身も死ぬ気は無い」

「ホント? 安心させるための嘘とかじゃない?」

「ああ、本当だ。約束しよう。確かこの国では指切りという互いに約束を交える儀式があったな。それをしようか」


 冗談交じりに言うルアを透理は思いっきり笑った。


「うん! じゃあ、小指出して」

「これでいいか?」


 ルアの小指と透理の小指が絡み合う前に、キャストールは鼻を鳴らし、唸り声を上げる。


「何か来るぞ、真上の天窓じゃッ!」


 エントランスホールの天上に取り付けられた大きな窓に黒い影が迫る。盛大な音と共に窓をぶち破り、ガラス片と共に小さな少女が手に持った背丈以上の得物と思しきナニかと共にルア目掛けて落下する。


「くっ……結界が意味を成していないかッ!!」


 寸での所で後方へ跳び退き、空間から一冊の書物を瞬間的に取り出す。相手が追撃するより早く無造作に本を開いてそのまま投げ捨てた。

休職にされ三日もたたずにルアの屋敷に足を運んだ透理。

ポケットの中には見知らぬ髪の束。

そして――天井の窓を破って現れた者の正体とは……!


次回の投稿は明日の13時くらいを予定しております。



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