8話 マジか。そう来たか、やっぱそう来ますよね。はいはい、ですよね、知ってます。
ぼふん、と、ベッドに寝っ転がり、回想する。
ついたて将棋に逃げた。
部長の問いが、頭にこびりついていた。
ずっと、目をそらし続けてきた言葉だった。
わたしは、たしかに将棋から逃げた。
ならば、今ついたて将棋を指しているのは、将棋のかわりなのだろうか。
極限まで努力した将棋で、三度挫折した。三度とも、小学生に敗北した。
才能の違いに、自分の才能の限界に気づかされた。
将棋を嫌いになった。81マスを、見れなくなった。
ついたて将棋なら、またゼロから、成長率の高い、楽しい段階から始められる。だからハマったのだろうか。
だから、再び81マスの宇宙に目を向けることができたのだろうか。
わからない。そんな気はするけれど、そうではないと強く否定しなければと、心が叫ぶ。
そうであったならば、それは、あんまりにも、醜いから。
と、悩んでいると、ノックもなしに扉が開いた。
「よう」
姉ちゃんだ。
その手にビールはない。顔も、普段のへらへらしたソレではない。
「ノックしろよ」
ベッドに寝っ転がったまま、視線だけやって抗議する。
けれど、姉ちゃんはわたしの言葉に答えず、ぽつりと言った。
「ついたて将棋部な。廃部にする」
「………………は?」
意味が分からない。なんだそれは。何を言っているんだ。こいつは。脈絡がなさ過ぎて、何もついて行けない。飲み込めない。
「んじゃ、そういう事で」
「いやいやいやいや『そういう事で』じゃなくて。ちゃんと説明しろよ」
背を向けかけた姉ちゃんを、わたしは跳び起きて呼び止める。
姉ちゃんは顔だけ私の方へ向け、無表情に口を開く。
「将棋部の部長から申し入れがあった。ついたて将棋部を追放してほしい、と。部員の総意だそうだ。だから、ついたて将棋部を追い出すことにした」
「や、あんた、それでいいのかよ。なんのための顧問だよ。そこらへんはちゃんとコントロールしろよ」
「良くねぇよ。良くないけれど、これが一番マシだったんだ。アタシにできる範囲では」
「何がだよ。何よりマシなんだよ」
意味が分からなさすぎる。
「ま、そういう事で。一応言っといた方がいいかなって思ったから、言いに来た。それじゃ」
それだけ言って、ついに部屋を出ていく。
なんだそれは。
本当にわけがわからない。ふざけんな。理不尽に巻き込んでおきながら、勝手に終わらせるな。
怒りか、何か、よくわからない感情のままに、私はベッドから立ち、廊下へ。
「姉ちゃん!」
「ん?」
「報酬を、くれ」
振り返った姉ちゃんが、小首をかしげ、
「アタシの財布から出せる範囲でな」
「ビタ一文払わんでいい。ついたて将棋部の話、きちんと詳しく聞かせろ」
ニッと、笑った。
姉ちゃんは私のベッドに腰かけ、話し始めた。
もともと海鵺は純粋な将棋部員だった。部内に友人はおらずいつもつまらなさそうに将棋を指していたが、実力的には最強を誇っていた。昨年の大会も、何とかお願いをして団体に出場してもらい、結果県大会ベスト8進出という良い成績を収められた。
が、その後、彼女はたまたま引っ越してきたふくと出会った。ついたて将棋を通じて。
そして彼女は、ついたて将棋に……正確には、ふくに、のめりこんだ。
結果、将棋部は最大戦力を失った。先の大会でも彼女だけが無敗でチームを引っ張った。彼女を失くしては、全国出場の夢が確実に潰える。
将棋部には、彼女が必要だった。
だから、何としてでも彼女をついたて将棋、ひいてはふくから引きはがしたかった。
「それで、ついたて将棋部の廃止、か。んで、なんでそれがマシなの」
「ふくに、嫌がらせ――もっと言えば、いじめをする奴が現れた」
絶句した。
同時に、思い出した。
先日の、下駄箱でのふくと海鵺の姿。あれは、つまり、そういうことだったのか。
海鵺に戻ってきてもらいたい気持ちは、まぁわかる。
が、しかし。しかしだ。
そこまでするか。そもそも、ふくを追い出したところで海鵺が戻ってくるわけないのだ。
と、そこまで考えたところで、気づいた。
「……いや。嫉妬、か」
海鵺を奪った、ふくに対する。
その感情は、痛いほどによくわかった。
わたしも、ベクトルこそ違えど、海鵺に執着する人間の一人だから。
「犯人が分かれば、アタシがいくらでも折檻してやるんだけど、いかんせんわからん。そして今後、把握しきれん」
「それを把握して何とかするのが教師でしょうが」
わたしの冷静なツッコミに対し、姉ちゃんは一つため息をついた。
「生徒間のいざこざなんて、自販機の下に落ちた小銭みたいな物だよ。どんなに必死に覗き込んでも見つけられないものも多いし、見つけられても手が届くとは限らない」
ぼふん、とベッドに身体を預け、遠い目を天井に向けて言う。
「ふぅん」
納得はできないけど、まぁ現場の人間がそう言うなら、たぶんそうなんだろう。
「でも冷静に考えたら、別についたて将棋なんて部活がなくても好きに指せるんだし、そんな問題でもないじゃん。大会に出れないのだけは少しアレだけど、まぁふくさんなら普通に指してるだけでも楽しめるでしょ」
「なんだけど、肝心のふくが、海鵺と一緒に大会に出ることにこだわっててな」
私を見上げながら言う。
「でも学生の大会は、個人戦はともかく団体戦は学校の部活に所属していないと出られない。追い出される前になんとかもう一人そろえて出してやりたかったんだが……」
「意味わからんわ。別に大会なんて出たって記念程度にしかならんでしょ」
「それが重要なんだよ」
よっと身体を起こし、どこか柔らかい目をわたしに向けた。
「記念っていうのは、記憶の記録なんだよ。記念は、大人になったとき、生きる力になる。まぁ、仲間内で遊んだだけの青春が力にならないとは言わんけどな。結局本人次第ではあるし」
そんなものなのだろうか。大人になってみないとわからないことを、子供のわたしに言われても、というのが正直な感想だ。大人になれば自動的にわかるのだから、得意げに説教しないでほしい。我ながらひねくれていると思う。
「ところで、部の設立に必要な人数って、知ってるか?」
わたしの面倒な思考を見通してか、姉ちゃんが話題を変えてきた。
「知るわけないじゃん」
「正解は三人だ。で、似たような部でも、条件次第では存続が可能って知ってるか?」
「へぇ」
「一定の実績を残せば、いいんだよ」
吐き捨てるように言う。
「私立だからな。どんな部でも、とりあえず集客効果があるなら認めてやるっていう、合理的な考え方だ」
「ふぅん。そういう割り切った学校経営、嫌いじゃないけど好きじゃないよ」
「アタシは大嫌いだぞ」
なんでそんなとこで教師やってんだアンタ。
「で、ついたて将棋部は、公式にはなかったが、将棋部の中にねじ込まれていた。新設というよりは、既存の部活みたいなもんだ。って言い訳で、ねじ込んできた」
言いながら、ポケットにねじ込まれた紙を取り出す。
しわくちゃの紙を整えると、そこには、『次の大会で全国に出場すれば存続を認める』という旨のことが書かれていた。
「すげぇ」
姉ちゃんのこういう行動的で、強引に話を推し進める剛腕は、素直にスゴイとも羨ましいとも思う。
「ま、そういうことで、可能性は繋がりました。めでたしめでたし。話はおしまい。んじゃ、これが一日目の分の報酬ってことで、二日目と三日目の分の報酬は冷凍庫に用意しといたから、適当に食ってね」
ひょい、とベッドから飛び降り、去っていった。
三日分まとめての報酬のつもりだったんだけどなぁと首をひねりながらキッチンへ向かう。
「……これ、一日分の報酬って量じゃねえな」
その意図を理解し、わたしは、少し気が重くなった。
わたしは、海鵺の将棋の才能に、焦がれている。
ふくの楽しく指す才能には、憧れの感情がある。
彼女らの居場所が理不尽に奪われたことは、同情する。
でもそれだけだ。
居場所なら別の場所で作れる。
将棋部を追われ、ついたて将棋部を作ることが許されないなら、放課後二人でマックにでも行き、毎日ついたて将棋をすれば良いのだ。大会は、まぁ確かに一つの記念みたいな物にはなるが、それだけだ。
たしかに、姉ちゃんの言う通り、記念を作ることが将来生きる力になるのかもしれない。
が、大会に出場すれば、どれだけ勝ったところで、自分より強い人間がごまんといることを知るだけだ。
真剣であればあるほど、好きであるほどに、辛い思いをするだけだ。
本当に彼女らのことを思うならば、わたしは、手を貸さないべきなのではないだろうか。
わたしは、彼女らに協力すべきなのだろうか。