7話 ヒーロー
翌日。昼休み。
今日は雨が降っているので、中庭へ行くことはせず、教室で弁当を開けた。
「先輩!」
大きな声が教室中に響いた。
ふくだった。
「なんで昨日は部室来てくれなかったんですか!」
躊躇せず上級生の教室に侵入し、ずかずかとわたしのもとへ歩み寄ってくる。すげえ。なんだこの子の精神力は。鉄板か。鉄板流か。
「いや、ついたて将棋部入るなんて一言も言ってないし、そもそも昨日部活休みなんじゃないの?」
「ついたて将棋部に休みなんてないです。それよりイナミ先輩、ついたて将棋しましょう。海鵺先輩もほら、こっちこっち!」
教室の隅でぼそぼそ食べていた海鵺を大声で呼びよせた。
教室中の注目を集め、気まずい。恥ずかしい。なんだか、別に思わなくても良いのに、クラスメイト達に申し訳なくなる。
でも場所を変えようと提案できるほどのコミュ力もないので、仕方なくこの微妙な空気感に耐える。
結局、わたしのもとにふくちゃんと海鵺が現れ、近くの机をくっつけ、百均の将棋盤と駒を広げた。教室の隅で飯を食べるボッチ女子二人と、よくわからん後輩女子の三人組。なんだこのくじ引きで決めたかのような取り合わせは。席替えじゃねえんだぞ。
「ついでにごはんも食べようと思ってお弁当持ってきました」
昼休みの意味を間違えていると教えてあげた。
そんな感じで昼休みについたて将棋を教えながら弁当を食べた。
「あ、もう予鈴。ほら、ふくちゃん。教室帰らないと」
「えーもうそんな時間ですか。しょうがないですね」
しぶしぶ、といった様子で腰を浮かす。そこで、期待と不安の入り混じった目で、尋ねられた。
「イナミ先輩、今日こそは部活来てくれます?」
「ん、まぁ、そうだね。一応、行くよ」
「やったー!」
こうも無邪気に喜ばれると、今日が最後とは言い出しづらい。しかもわたしが行くのは将棋部であって、ついたて将棋部は基本的に関係ないはずなのだ。
そんなわたしの内心と裏腹に、ふくちゃんはルンルンと、スキップでもせんばかりの上機嫌で帰っていった。
ふぅ。まぁ、とりあえずこれでおしまい。と、あとは海鵺が自分の席へ戻るのを待つ。
と思ったら、
「ちょっと、来なさい」
海鵺に手首を掴まれ、強引に女子トイレへ連れられた。そして、元来の意味ではない、胸キュンラブロマンス(死語)でよく出てくる壁ドン。え、やだ強引。こんなところで、恥ずかしいわ。きゅんっ。
「もう来るなって、言ったわよね」
ドスを利かせた声で、詰問された。
胸キュンものではなく、胃がキリキリ痛むタイプの展開だったかー、と思いながら、
「いや言われてないけど」
と冷静に反論してあげた。
もっと言えば、今回来たのはふくの方であって、わたしにはどうしようもなかった。そこを責めるのはお門違いだ。
と、そこまで考えたところで、気づいた。
「ああ、あのラブレターは、君か」
先日、靴箱の中に入っていた手紙を思い出す。くそう、ぜったい犯人はイケメンなダンディだと思ったのに。女子校だけど。
「脅迫状よ」
「情熱的なお手紙だったね」
軽口は鋭い目に咎められ、威圧感を増す。思わず背筋が伸びた。
「それで、今日も明日も明後日も、活動に、来るつもりなのかしら? あなたがそのつもりなら、私にも考えがあるわよ」
言って、ポケットをごそごそと漁り始める。なんかヤバイ臭いがする。
「待って! 待って待って! 最後!」
慌てて手を振るわたしに、怪訝そうな目を向ける。
「全部で三回。姉ちゃんに無理やり講師として参加させられる回数。だから今日が最後。明日からは、将棋もふくちゃんも関係ない生活」
「…………でも、たぶん、あの子は、またさっきみたいに、あなたを訪れるわ」
「そんな事言われても。本人に言ってよ。わたしにはどうしようもないんだから」
「断りなさい」
「えぇ……」
「とにかく! あの子には今後一切二度と関わらないで。今日だけは大目に見るけれど、それ以上は許さないわよ」
「はぁ」
なんとも返答に困ってしまうが、海鵺の表情は真剣そのものだ。
海鵺は結局、静かな怒りを肩にまとわせたまま、トイレを出て行った。
その日の活動は、意識的に、ついたて将棋部には関わらないよう立ち回ることにした。
「おーい稲美。次対局だぞ」
「えっと、ごめん、こっちの検討が難しいから、待って」
「…………」
やべぇ。あの目。後で折檻だ。
でも、やはり、ふくに関わるのは気まずい。
何をするかわからない海鵺の逆鱗に触れるのは、得策ではない。ていうかなんだこれ。なんでわたしばかりこんな板挟みになるんだ。勘弁してくれ。
と思いながら、検討をする。なんだか、いつも以上に味気がなかった。ああ、早く帰りたい。
長い、拷問のような活動が終わった。
さあ早く帰ろう、と、姉ちゃんやふくから逃げるように部室を出ると、将棋部の部長さんが声をかけてきた。今日は来客の多い日だこれでわたしもボッチ脱却リア充だやったー。
「ちょっといいかな」
「えっと、あんまり」
「五分だけ。五分だけ、話をできないかな」
そう食い下がられては、断りづらい。わたしの悪い癖だ。
結局、場所を変えて二人きりで話すことになった。
「単刀直入に言う。将棋部に入ってほしい。君がいれば、うちは全国に行けるかもしれない」
予想通りだった。だから、あらかじめ考えておいた答えを口にする。
「すみません。もう将棋はやめたので」
沈黙が下りる。
空気が重い。だから嫌だったんだ。
「……理由を聞いても、いいかな」
絞り出すように尋ねてきた。
当然、ほとんど関わったことのない人間に対し、本心をさらけ出す気などさらさらない。適当にごまかしてやり過ごす。
つもりだった。
「あんなに、強いのに。なぜ、将棋をしないんだ」
気づいたら、吐き出していた。
「強くなんて、ないです」
ずっと、抱えていた思いを。
「弱くて、弱くて、弱い。自分の弱さを、才能のなさを、嫌というほどに思い知らされて、もう将棋のことが大嫌いになって」
誰かに、聞いてほしかったのかもしれない。心の内を。
「それで、やめたんです。逃げたんです」
逃げた。
以前、姉ちゃんがわたしに使った言葉だ。
あの時わたしは、怒り、強く否定し、自己の正当性を主張した。
でも、本当は、分かっていた。
そう。わたしは、逃げたんだ。
才能のなさ、勝てないという事実に怯え、疲れ、逃げた。
そんな私の独白に対し、
「…………ついたて将棋に、か?」
悔しそうというか、なんだろう。怒りに似た感情を見た。
一瞬の、空白。
ハッと、失言に気づいたのだろう。部長は頭を下げた。
「っと。すまない。失礼なことを言った」
慌てて頭を下げる。
「いえ。……ついたて将棋、嫌いなんですか?」
わたしの問いに、渋い顔をする。
「嫌いではない。が、好きでもない。運が絡むゲームは、言い訳ができてしまう。だから好まない」
わからないでもないな、と思った。わたしにも、将棋という完全ゲームこそが至高のゲームだと真剣に思っていた時期があった。
でも、今は。将棋に挫折し、ついたて将棋に出会った今は、そうは思わない。
きっと、どのゲームも、それぞれ、100点のすばらしさがある。
「はぁ。しかし、やはりそうか。まいったな。やっぱり、頑張って私たちが強くなるしかないのか。せめて、まともにスパーリングできる程度にでも……」
部長さんは、独り言のようにつぶやく。
誰とスパーリングするんですか、とは、訊かなかった。
踏み込んだら、引き返せなくなりそうだったから。
いろいろちからつきてごめんなさい