6話 静かな恋の物語
翌日、放課後。今日は将棋部に行く必要がないので図書館で何となく数学の問題集を開いてみた。
開始三秒で諦めた。
さっぱりわからない。
わかりたいという気持ちすら出てこない。
というわけで、今度は英語に挑戦してみる。
「…………うん。ムリ」
今まで将棋漬けの生活をしていたから、通常の勉強なんていつ以来やっていないか。
将棋なら、分からないことは面白い事だったんだけどなぁ、と、やるせなくなる。
勉強は、分からないとつまらん。
気づいたらスマホを触っていた。ううむ我ながら現代っ子。ゆーちゅーばー。
スマホを触ったところでやることもない。手癖故か、ついたて将棋のアプリを起動していた。
まぁ、起動してしまったものは仕方ない。とりあえずやるか。
と、なんだかよくわからない思考回路を経て、対局を開始する。
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
何十分経っただろうか。脳の疲れからか、自然とうめき声を上げる。
今日は調子が悪いのか、やや負けが込んでいる。
負ければ、死ぬほど悔しい。
でも、だからこそ、敗けた時、次こそはと新たな対局に臨む。
ちなみに、勝ったら無茶苦茶嬉しいから嬉々として次の対局を挑む。
勝負事にハマった者の、ゆるぎなき末路だった。
しかし、将棋をやめると誓ったときはもうこの81マスを見るのも嫌だったのに、ついたて将棋となると普通にやれるんだから不思議だ。
ついたて将棋の魅力故か、……わたしの、醜さ故か。
何故ついたて将棋は普通にやれるのか。
目をそらしていた疑問にブチ当たり、気分が重くなる。
たぶん、答えは、至極単純だ。
ゲームは、始めたころが一番楽しいからだ。
成長を、肌で感じることができるから。
RPGと同じだ。強くなれば強くなるほど、成長に必要な経験値が加速度的に増える。
そして、大変なことに、レベルが上がれば上がるほど、一つレベル上がった時の喜びは小さくなってゆく。一レベルが二レベルになるときは二倍強くなるが、五十レベルが五十一レベルになったところで、誤差程度の変化しか見られない。
努力に対する見返りが、見えなくなってゆく。
なのに、初心者の頃より、強者までの道のりの険しさが、距離の遠さが、ハッキリと知覚できてしまう。心に対する負荷が、大きく、重くなる。
「……帰るか」
嫌な思考が頭の中をぐるぐる回り始めたので、席を立った。スマホの充電もそろそろアレだし。
と、下駄箱へ向かうと、
「げ」
海鵺とふくがうろうろしていた。
さっと、反射的に柱の陰に隠れる。
こりゃタイミングが悪い。
いや別に、嫌いとかではない。隠れる理由もない。ただ、何となく、あまり関わりたくはなかった。また嫌な思考にハマりそうだったから。
と、柱の陰に隠れて彼女らの姿をうかがっていると、どうにも変だ。何か探し物をしているようなのだが、海鵺の怒りにあふれた表情と、苦笑いを浮かべながらもどこか悲し気な目をするふく。その対照的な二人の姿に、あまり愉快な事態でないことを、何となく理解する。
んー。とはいえ、何が何なのか、よくわからない。何かしゃべっているようだが、いまいち聞き取れない。
どうしよう。いや別に、普通に出て行って気づかないように帰ってもいいんだけど。あるいはここで、彼女らがいなくなるまで待っても良いんだけれど。話しかけるという選択肢は……ないかな。海鵺がいるし。どれだけ純粋な親切心で話しかけようとも、海鵺に睨まれるのが関の山だ。
どうすっかな。もう一度、図書室へ戻ろうか。でも面倒だなぁ。運動不足だし、できる限り余分に身体を動かしたくはない。
と、悩んでいると、いつの間にか彼女らは外を歩いていた。もう帰るという事なのだろう。
結局よくわからないが、まぁ、きっと彼女らには彼女らの事情があるのだろう。
やれやれ。気づかれないよう、追いつかないよう、もうしばらく時間を潰してからわたしも帰ろう、と、わたしはスマホを取り出した。