4話 i want u
翌朝。
眠い目をこすりながら、辛うじて学校へ到着した。
正直とても辛い。今すぐ帰りたい。
どう考えても、昨晩、遅い時間までついたて将棋をやりすぎたのが原因だ。
それにしても、我ながら驚いた。
ルールが違うとはいえ、また81マスと向き合うことができるとは。
それがどういう意味なのかは置いておくとしても。
とか考えながら下駄箱のふたを開けたら、かわいらしい封筒が入っていた。
「ふむ……照れますなぁ」
とりあえずカバンに突っ込んで、トイレへ向かった。個室の扉を厳重に締めてから、丁寧に封筒を破いた。
書かれていたのは、たったの一文。
『もう将棋部に来るな』
……………………心当たりが、ない。
当然、送り主の名前など書いてはいない。
おそらく、昨日、あの場にいた誰かだろう。が、思い当たらない。それほど歓迎されたわけでも打ち解けられたわけでもないが、かといって迷惑なことはしなかったはずだ。
むしろ、多少は役に立ったという実感すらある。
では、一体誰なのか。
「ん~~~~~~~~~」
わかるわけがなかった。将棋部の人たちのことは、さっぱり知らないのだ。
でもまぁ、これで将棋部に行かない理由ができた。本当はあと二回行かなきゃいけないけれど、脅迫状一枚で様々なイベントが中止に追い込まれるご時世だ。姉ちゃんがわたしのことを思ってくれるなら、きっともう行かなくて良くなる。
ということで、放課後を待ち、いったん職員室へ。汚い机の前でポテチを食べる姉ちゃんに、例の手紙を見せる。
が、姉ちゃんは一瞬眉をしかめただけで、
「まぁ、大丈夫っしょ。ほら、さっさと行くぞ。もう部活始まる」
わたしの腕をつかみ、将棋部へ連行していった。なんと薄情な。
まぁいいか。脅迫状なんてどうせ脅すだけが目的のものだ。そんなものにビクビクしてもしかたない。
彼女らのついたて将棋を少し見てみたかったし。
ということで、部室へたどり着く。
が、どうやら今日は部内対抗戦の日だったらしい。今日は昨日の練習将棋と違い、各々持ち時間が長い。
すぐに全員が対局を始めてしまったので手持無沙汰になった。もう帰っていいかな。
と考え始めたところで、姉ちゃんが言った。
「じゃあ稲美、そっちでついたて将棋の審判してやって」
一瞬、部室内の空気が、ピリッと張り詰めた。
え、なに、この空気。
気づいていないのか無視しているだけなのか、姉ちゃんはビクビクするわたしの背中を押して、海鵺らの前へ登場させられる。
茜ふく、といったか。新しい仲間の登場に顔を輝かせる後輩女子と、誰こいつと言わんばかりの不審な目を向けてくる海鵺。いや、むしろふくより君の方が、わたしとは顔見知りのはずなんだけど。同じクラスだし。
「ちゅーわけで、こいつが君らの審判。たまにはリアルの盤駒触って対局した方が楽しいだろ。まぁこいつ、昨日ルールを覚えたばっかりだけど、深夜遅くまで対局してたみたいだから、たぶんちゃんとできると思うよ」
なんで知ってるんだ。
「……はい」
「よろしくおねがいします!」
対照的な返事で、わたしはなぜか審判をやる羽目に。
審判、いわば神の立場から、ついたてを挟んだ二人の対局を見た。
「……ふぅむ。なるほど」
海鵺は経験者なのか、手筋も頭に入っているようでさっささっさと指している。
一方ふくは、手筋や定跡が頭に入っていないようで、一手一手考えながら、まさに手探りで指している。指し方の方針が定まっていない、という印象だ。
まぁそれはいい。初心者はそんなもんだろう。それより、ふくさんに関しては、本当に楽しそうに指しているところが気になった。考えることが楽しい、指すことが楽しい、という感じだ。
わたしにも、そんな時期があった。盤駒を触るだけで、あとは勝っても負けても楽しかったころ。
口の中に苦いものが広がる。
羨ましい。嫉妬の感情に気づかないフリをして、審判に集中する。
と、ふと気づいた。
海鵺の方が、たまに、鋭い手を指すのだ。
まさかついたての奥が見えているのだろうか、と思わされるような、ピッタリな手。嗅覚が鋭いのか、恐ろしく頭の回転が速いのか。
かと思いきや、明確な悪手を指したりする。
そしてふと気づいた。
悪手を指すときの方が、やや間をおいているのだ。
何か考え込んでいるような。鋭い手や手筋の手はさっと指すのに、考えたほうが悪手を指す。それも数手連続で指すものだから、そこで明確に形勢を悪化させる。
表情を見るに特別苦しそうな顔はしていない。終局後の感想戦でも、特に悔しそうな様子は見せず、「あー、ここらへんで悪くなったわね」と冷静に振り返っている。
プロの将棋では、しばしば『長考後の手は悪手』と言われる。が、今回のこれは、どうにもそういう次元の話ではないように見える。
なんだろうか、この違和感は。
「二人の戦績、どんな感じなの?」
「互角くらいです。やっぱり同じくらいの実力の人が相手だと楽しいです」
ニコニコと返された。
ふむ。指導対局というわけでもないのか。
正直、よく分からない。
気になるし、海鵺本人に直接訊いてみたくもあるが、同じクラスだからといって特別仲が良いわけではない。というか、それこそ会話を交わしたことすらない間柄だ。
ついでに、個人的感情として、自分が受からなかった奨励会試験に受かった人間という事で、負い目というか嫉妬の感情がないわけでもない。そういう意味でも、やはり気軽に話そうという感じにはならない。なんと切り出して良いのかわからないし、それで変な空気になったら困る。先の見えない場所には踏み込まないのが最も無難なのだ。
とまぁそんな感じで、わたしは何となくやり過ごした。
「じゃあ次は稲美とふくでやってみるか」
姉ちゃんの提案で、わたしはなし崩し的に対局をすることになってしまった。
あれ、たしか元々、将棋部の特別指導者として呼ばれて来て、今はヒマだったから審判をやることになっていたのでは。
おかしい。何かが確実におかしいぞ。
と思いながら流されるがままに対局をスタートすると、
「すいませーん、ちょっとわからない局面があるんで検討入ってもらっていいですか?」
将棋部の方から声がかかった。
え、どうしよ。今対局中だけど、一応将棋部の講師としてきたんだしそっち優先すべきなのかな。
と、困っていると、
「スマンこっち対局中だから、終わったらそっちによこすわ」
姉が割って入ってきた。ふむ。そうか。まぁ顧問がこちらを優先しろと言うならわたしはそうしよう。責任は全部顧問にある。
……将棋部員たちの方から、舌打ちが聞こえたけど。
そんなやり取りにも気づいていないかのように、ふくはうんうん唸る。まぁ彼女、すでに劣勢だし。
で、向こうに早く行かなきゃいけないのかなと思って、あっさりと撃破した。
うん、弱い。やっぱりさっきふくが海鵺に勝ったのは、たまたまなのだろう。
「じゃあ、ごめんねあっちの検討行――」
「今の対局、どこが悪かったのでしょうか」
キラキラした目で、感想戦を求めてきた。
ううん、本当は向こうを優先すべきだとも思うんだけど、どうしよう。
なんだこの板挟み。
困った。姉ちゃんの判断を仰ごうと、チラリと目線を送る。
「…………」
こんな時に限って、姉ちゃん、何も言わないのな。
たぶん好きにしろって事なんだけど。
向こうからは冷たい目が向けられてるし、こちらからはキラキラした目を向けられるしで、どうするのが正解なのかわからない。
ただ、目の前で問われたことに答えず、向こうへ行ってしまうのは、どうにも気まずい。
「えっと、とりあえず、攻め一辺倒じゃなくて、守ることを覚えたほうが良いかな。まずは、王様の居場所を、初期位置から変えるとこから始めよう。できれば2マス以上」
「何でですか?」
「ついたて将棋は、王様を探すゲームだからね。攻めにばかり手を使っていたら、自分の王様は初期位置にいます、って主張しているようなものでしょ。まず、姿をくらませなくちゃ」
わたしの適当な解説に、しかしふくはやたらと感動する。
「へえ~~~~、なるほどすごい! 強いんですね!」
「いえ、そんな、そうでもないです」
キラキラした目をむけられ、しどろもどろになる。と、隣から、じとーっと物凄く冷たい目を向けられる。海鵺の方だ。
あと、部内全体から、なんだか嫌な空気が発せられている。そりゃあ、対局序盤から検討に求められているのに、こちらの対局を優先したうえ、感想戦までのんびりやっているんだ。当然といえば当然だ。冷静に考えるとやべえ。
つっても、なんで無理やりつれてこられたわたしが一番気まずい思いをせにゃならんのか。
とりあえず感想戦を一通り終えたので、「すみませんお待たせしました」と将棋部の方へ行く。
幸いまだ検討をやっていたようで、そこに参加できた。
ぼちぼち検討が煮詰まってくると、
「よし、稲美。じゃあ帰ってこい。次はお前の番だ」
姉ちゃんがわたしを呼んできた。
え、まだ検討終わってないんだけど。
と思いつつ、姉の目を見る。うん、逆らえない目をしている。これ、今行かなきゃ折檻だ。
「この局面ですけど、この手ってどうでしょうか」
露骨に引き留められたが、仕方ない。
「すみません、呼ばれたので」
そそくさとその場を離れ、海鵺たちの方へ。
で、今度はわたしと海鵺とで対局をした。
正直、ついたて将棋における海鵺の実力が掴めなかったので、どんなもんかな、と、半分実力を探るような感覚で対局した。
結果。
「……つっよ」
無茶苦茶強い。
どうせ手筋通りに来るんだろうと思ったら、さらに一歩先を行った手を指され、あっという間に差をつけられた。
こちらも慌てて本腰を入れ相手の手を読むが、既に時遅し。緩めることなく一気に寄せられた。
これほどの強さ。おそらく、最初から本気でやっていたとしても、敗けていただろう。
「運が良かったわ」
嘘つけ。隠す気のない殺気が対局中ビシバシ刺さってきてたぞ。
それにしても、明らかに今の対局の力の入れ方は、ふくの時と違った。なんだろう。何か恨まれるようなことをしただろうか。そもそも奨励会試験の時に対局した以外、彼女と関わったことがない。当然、心当たりなどない。
「あの、ついたて将棋部入ってくれませんか?」
ふくに言われる。
「ついたて将棋部? ずっと気になってたんだけど、君ら、将棋部じゃないの?」
「将棋部の中のついたて将棋部です! 似たような部の設立はダメだし、そもそも人数が足りないって言われたので、将棋部の中で活動してるんです」
言われたというのは、まぁたぶん理事長か何かだろう。変に厳しい高校だなと思った。
「ふぅん」
「あの、三人いれば、大会にも参加できますし、練習がしやすくなるんです。それに、先輩にはもっといっぱい教えてほしいです。入って、もらえないですか?」
どこまで意図的か知らないが、かわいらしい上目遣いでお願いされる。きっとわたしが男だったら迷わず受け入れていただろう。
「……………………考え、させて」
そう言ったのは、わたしが女だったから。というのもあるだろうが、単純にこの場で決められるほど簡単な話じゃなかったのと、――周りから、とげとげしい視線を感じたからだった。