1話 ALONES
この話の序盤は『ぷよぷよ!!!!』の序盤をほぼ流用してます。書くの面倒だからね。仕方ないね。
何故20歳になるまでお酒を飲んではいけないのか。
ずっと疑問だった。
『脳細胞の破壊が加速される』
『アルコール分解能力が未熟』
『アルコール依存症になりやすい』
グーグル先生に訊けば、様々なそれらしい理由を説明してもらえる。なるほど、それらはたしかに、きちんとした医学的根拠に基づいた、信頼に足る根拠なんだろう。
しかし、と、わたしはそれを否定する。違う。そうではない。そんな面倒くさい理由は、ただの後付けだ。
何故ならば、それらの理由では『なぜ大人は酒を飲むのか』が説明できないからだ。
その答えを、ずいぶん前から探していた気がする。
そして、今この瞬間。わたしは澄み渡る青空を眺め、おにぎりを口に含みながら、ふと理解した。
『大人がお酒を飲むのは、そうしないと世界を楽しめないからである』
逆説的に、子供がお酒を飲んではいけないのは、お酒なんてなくても世界を楽しめるからだ。
つまり、飲酒は、17歳からできるようにするべきである。きゅーいーでぃー。
……アホらし。溜息をついた。なぜこんなガバガバ理論のしょーもない事ばかり考えてしまうのか。以前のわたしはもっとまともで建設的な思考をしていたような気がするんだけれど。……いや、産まれたときからこんなもんだった気もする。
ともあれ、最近、時間の使い方がものすごく下手になってしまった。もう本当、嫌になる。どうしてこうなったのか。なんもかんも政治が悪い。すべてを政治のせいにして投げ出してしまえれば、それはそれで楽になるなぁ、と、政治家が何を言っても激しい非難にさらされる理由が少しわかった気がした。こうしてまた一つ、この世の真理を知ってしまった。悲しいかな、こうして人は大人になってゆくのか。ああ、無邪気な子供だったあのころに、お酒なんてなくてもただひたすら楽しかったあのころに戻りたい。もっとも、お酒があったところで、今のこの退屈がやわらげられるとは思えないけれど。
「退屈……そっか、退屈。お昼休みって、こんなに長かったっけ」
退屈っていうのは、つまり、苦痛なんだと思う。
まぁ忙しいのも辛いし、そもそも生きる事自体が苦行なんだけれど。
なんにしても、『生きるため』に生きるのは、苦しい。
今のわたしには、『生きる』以外に、生きる目的が必要だ。
世の中の多くの人が酒やたばこや風俗を楽しむように。
「つっても、今のわたしにはなぁ。なーーーーーんもねぇなぁ」
将棋以外何もしてこなかったからなぁ。
深くため息をついて、周囲へ目をやる。
昼休みの中庭は多少にぎわいを見せるらしい。特に今日は梅雨にしては珍しく陽光が差しているからか、ほとんどのベンチが埋まっている。昨日までの雨のせいで空気がジメジメしており、心地よいとはとても言い難いのだが、それでも太陽が好きな生徒が多いのだろう。よくわからない感覚だ。首をひねるものの、傍から見れば自分もその一員なのだと気付き、なんだかやるせなくなった。
そんなだから日向ぼっこをするような気分にもなれず、かといって、会話をして時間を潰すような相手もいない。なにしろ、今までひたすら将棋に明け暮れてきたのだ。81マスを通してでしか、他人と会話をできなかったし、しようとしなかった。それが、強くなるための覚悟だった。
だから、今のわたしに他人とコミュニケーションをとる術はない。完璧なボッチにしてコミュ障JKの出来上がりというわけだ。オタサーの姫にすらなれやしない。
結局、弁当を口に運ぶことでしか暇を潰すことができない。このままでは過食で太ってしまうではないか。そんな心配が一瞬脳裏をよぎったが、そうなったらそうなったで特に困らないから、まぁいいか。そう結論づけ、唐揚げを口に突っ込んだ。しょっぱい。
気づいたらスマホを手にしていた。将棋をやめてから、やたらとスマホを触るようになった。何も面白くないのに。
と、
「まーた小路か」
ラインが来ていた。いいや。すでに未読メッセージが100を超えているが、ここまでくると一周回って「面倒くさい」と読まない理由が増える。しかししつこい奴だ。イベントに対局に忙しいだろうに、わたしなんかに構ってないで仕事に励めば良いのに。
と思っていたら、通話が来た。嘘やん。面倒くささの極みかこいつ。
拒否するのは微妙に申し訳ないので、一応拒否はしない。かわりに気づかないフリをする。
ぶーーーーーーぶーーーーーーーぶーーーーーーーぶーーーーーーーー………………。
いや鳴りすぎやろどんだけ粘るんだこいつこれだけで充電切れるわ。
「……はい」
根負けした。まぁ、暇つぶし程度にはなるだろう。
「ああ、ようやっと出たわね。鉄球蒔き」
「死ね」
素直な気持ちを言葉にして、通話を終了した。
すぐにまたかかってきた。
「……はい」
「いきなり切るだなんてひどいわぁ、蒔さん」
いつも通り全く反省していない小路。まぁ仕方ない。こいつにそんな殊勝な態度は期待していない。
「勝手に雑誌取材でわたしの名前を出した上、二つ名までつけた君の所業、わたしはまだ許してないからな」
「あなたをよく表した良い二つ名よねぇ。わたくしのライバルにふさわしいわ」
「少しは悪びれろ」
「というわけで、あなたも女流棋士となってわたくしとたくさんの棋譜を生み出しましょう」
「なにが『というわけ』なのか言ってみろ」
はぁ、と、わたしは小さくため息をついた。
将棋の世界には、奨励会を乗り越えて得られるプロ棋士という立場以外に、女流棋士という立場がある。
女流棋士になるためには、奨励会とは別の、研修会という組織に入る必要がある。その組織の中で一定の成績を残せば女流棋士となれる。女流棋士はプロと比べかなりレベルが劣るが、プロ同様対局があり、タイトルがあり、イベント出演がある。
劣ると言っても、女流棋士になるのだって、並大抵のことではない。一説には、女流棋士になれるレベルは、奨励会入会レベルだと言われている。全国から集まった才能自慢の中でも、一握りの女性しか女流棋士になることはできない。
堀田小路は、わたしと同時期に奨励会試験に登場し、わたしと同様門前払いされた。
わたしはそれから二度、奨励会試験にしがみつき、将棋をやめた。
彼女は奨励会から、研修会へ、そして女流棋士への道を歩んだ。
「何度誘われても、わたしは、もう将棋をやめたんだ。女流棋士になる気はない。そもそもなれるかもわからないし」
「なれるわよ。あなたなら必ず」
心の底からそう思っているのだろう。先までの冗談めかした風ではなく、真剣な声色で言う。
……やめてくれ。せめて、いつもみたいな、しょーもない雰囲気で言ってくれ。それなら、適当にやり過ごせるのに。
「ねえ、なんで。どうしてやめてしまうの。あんなに力強い、面白い将棋を指すのに」
「いろいろ、あるんだよ」
辛うじて声を絞り出す。
が、当然、小路は納得しない。
「お願い。せめて、理由だけでも教えて。そしたら、もう無理に女流棋士に誘わないから」
必死な声だ。まるで自分を捨てようとする彼氏に縋り付いているみたいな、なりふり構わない声。電話口のむこうの表情が、容易に想像できてしまう。
そしてわたしは、そういうのに、弱い。
「…………決めていたんだ。三回目の入会試験に落ちたら、もう将棋はやめるって。女流棋士にもならないって」
息をのむ音が、耳に届く。
「そういう、背水の陣、覚悟で、臨んだんだ。だから、もうやらない」
「…………………………………………………………………そう」
物凄く長い沈黙の末。ほんのわずかに声が聞こえ、わたしたちの間をつなぐ糸が、一方的に切れた。
「…………ふぅ」
やるせないため息をつく。
彼女に話した理由。それは確かに、一つの根拠だった。
が、自分に誓っただけの覚悟を、この期に及んで守る必要もない。肝心なのは、もう一つの理由だった。
けれど、
「さすがに言えないわ。格好悪くて」
もう一つため息をついた。
と、
「だーれだっ!」
突然視界がブラックアウトした。
一瞬びっくりしたが、ここでびっくりした事がバレると悔しいから、つとめて平静に言った。
「世界一美しくて気高くて微妙なお姉さまです」
「最後の単語がよくわかんなかったけど正解!」
私の視界にかぶせた手を離し、テンション高く私の前に現れる。微妙でいいのか我が姉よ。
「ねーちゃん、アラサーにもなって小学生みたいなことするね」
「まだピッチピチの24歳だわ殺すぞ」
折檻された。ばたんきゅー。
「……それで、お昼休みにわざわざ中庭に来てどうしたの? 職員室で浮いてるの?」
「人気過ぎて独りになる時間がほしいから来たのよ」
「じゃあトイレでもこもってろよ」
わたしの鋭いツッコミにもめげず、というか全く効く耳を持たず、姉ちゃんはわたしの横に座った。
「それで、アンタに一つ、お願いがあるのよ」
「嫌どす」
「将棋部で、一日講師してほしいのよ」
瞬間、血液が熱くなった。
「…………冗談は、それだけ?」
もっと単純に言えば、イラっとした。
わたしが奨励会試験に三度挫折し、将棋を諦めたことを、姉ちゃんはよく知っている。わたしが物凄く落ち込んでいることも、知っている。
そんな姉ちゃんが、わたしに、再び、将棋と関わらせようとしている。
「冗談なんか言ってねぇよ。本気」
「…………はぁ~~~~~~~~」
どうも、わたしの周りには、わたしに将棋を指させたい奴がいっぱいいるみたいだ。こういうのを『人に恵まれている』っていうのかな。
全く嬉しくないけど。
「知っての通りアタシ将棋部の顧問なんだけど、最近部員たちが伸び悩んでるみたいでね。アンタの実力を見込んでのお願い」
「将棋部の顧問とか知らないし、実力と指導力は比例しないし、そもそもわたし将棋やめたから」
「プロ目指すのをやめたって、将棋はやれるだろ?」
「プロ目指すのをやめたんじゃなくて、将棋をやめたんだよ。あんな最低最悪なクソゲー、大っ嫌いだ。もう見たくもないね」
イライラした感情をぶつけるように、肉団子を噛み潰す。クソっ、味が濃い。だから冷凍食品は嫌いなんだ。余計イライラする。
と、負の連鎖に入り込むわたしに、姉ちゃんは、
「……逃げるなよ」
低い声で、言った。
多分、脳の血管が数本逝った。
「はぁ……。あのさぁ、姉ちゃん。そうやって言うのが格好いいと思ってんの?」
教師になって、二年目。少しは社会人が板についてきたからって、まだ何も知らない学生ちゃんにご教授してあげなきゃ、とでも思っているのだろうか。
「わたしは逃げたんじゃなくて、諦めたんだよ」
そういうつもりなら、わたしは、絶対に許さない。
「限界まで、極限まで頑張ったんだよ。それで、駄目だったんだよ。才能が、なかったんだよ」
わたしだって、修羅場をくぐってきたんだ。
「一万時間……プロになれるってラインまで、将棋の勉強を続けたんだよ。定跡を覚えて、最新形の研究もして。一日最低十時間。毎日。四年間。猛暑日も大雪の日も台風の日も、道場に通い詰めた。詰将棋だって山ほど解いた。電車の中でも、授業中でも、結婚式場でも解いた。姉ちゃんは知らないだろうけど、『これを解いたら絶対にプロになれる』って言われてる、超絶難度の詰将棋があるんだよ。図巧ってやつ。これも、一年かけて解いたんだよ。その根気が、プロにつながると信じて」
でも。
どれだけ努力を積み重ねても、
「プロどころか、その卵になる資格すら、もらえなかったんだよ」
才能が、決定的に足りなかった。
「乾いた雑巾をどれだけ絞っても、水は、垂れてこなかったんだ」
強くなれないなら、もう、わたしは将棋を楽しめない。
イライラしていたはずが、気づいたら、涙が出そうになっていた。
でも、姉ちゃんの前で泣くのはあまりに悔しいので、死ぬ気でこらえる。
姉ちゃんは珍しく何も言わない。へらへらもしない。わたしをじっと見つめる。
なんだか気まずくて、わたしの方が視線をそらしてしまう。
鳴りだした予鈴に合わせるように、姉ちゃんが立ち上がった。
「ま、とにかく、だ。悪いけど、三回だけ頼むよ。欲しいものとかあったらさ、アタシの懐から出せる程度ならなんでも買ってやるから」
駄目だ。やっぱり、分かってもらえない。
当たり前だ。血の通った姉だけれど、生きる世界が違うんだ。
失望するようなことではないし、してはいけない。
ただ、やはり、心が重い。穴が開いて、軽くなったはずなのに。
と、うつむくわたしに、上から、一転柔らかい声が降った。
「アンタの頑張りは、アタシが一番わかってるよ。もし奨励会に弾かれた理由を努力不足だなんて言う奴がいたら、死ぬまで痛めつけてやるから連れてきな」
反射的に顔を上げると、姉ちゃんは、背中越しにひらひらと右手を振っていた。
※本作において女流棋士の方々を貶める意図は全くありません。そのように受け取られてしまったとしたら、ひとえに私の文章力不足です。申し訳ありません。




