17話 風に流離い
「ありがとうございました」
未だ熱っぽい頭を下げる。
力が、完全に抜けた。
腕はだらりと垂れ、脚は力が入らない。
安心に、全身を支配される。
それから、徐々に、ふつふつと、喜びがわいてきた。
自然、頬が緩んだ。
そんなわたしに、ついたての横から現れた小路が、手を差し伸べてきた。
「さすが鉄球蒔きね。見事に乱されたわ」
「それマジでやめろ。君が勝手に雑誌のインタビューでわたしの名前出したこと、まだ許してないからな」
「だから悪かったって言っているじゃない。わたくしにとって、ライバルはあなた以外にいないのよ」
ボッチかよ寂しい奴め。なんて、照れ隠しに言ってみる。心の中で。
たとえ買い被りでも、その評価は素直に嬉しい。
という感情を微塵も表に出さないよう、細心の注意を払いながら、握手を返す。
「それより、女流棋士の道を歩む気はないの?」
「ないね」
即答する。と、
「そ。……それじゃあ、仕方ないわね。わたくしも、本腰入れてついたて将棋に向き合ってみるとするわ。三年後くらいに、誰よりも強くなれるように」
小路はそう言って、去って行った。
いやお前は女流棋士として将棋に打ち込めよと思った。
と、そんなことを思いながら見送っていると、
「稲美先輩! スゴイです!」
興奮した様子のふくがわたしの腕をつかみ、キラキラした目を向けてきた。
「ぐ、偶然だよ。運が良かったんだ。最後。最後だけじゃない。そもそも、対戦相手の時点で、運が良かった」
「弱い人だったんですか?」
「ううん。強いよ。多分、わたしよりも。しかも、これからもっと強くなる」
きょとんと首を傾げられる。まぁそりゃ、意味わかんないだろう。
「小路はね。芸術家肌なんだ。本質を求めるんだよ。目先の勝利に食いつかない。ただひたすら、貪欲に、真理を追い続ける。三年後、五年後に大化けするタイプ。わたしみたいな、小手先の技術で相手を間違えさせる人間とは正反対。だから、終盤、彼女は時間を惜しみなく使い、逆にわたしはノータイムで荒い手を指し続けた。その結果が、あの時間切れ」
ちらりと小路の背中を見やる。団体戦のメンバーにぺこぺこと頭を下げている。あれだけ爽やかな表情で去っていったが、やはり仲間には悪い事をしたと思っているのだろう。
「団体戦でそれをやらかしてしまうところが、あいつらしいというか、なんというかね」
唯一の救いは、チームメンバーが、慌てた様子で彼女をなだめているところだろうか。いい仲間に恵まれたようで、良かった。
「あらやだ稲美さんあんな無様な対局さらしちゃって、次の対局は大丈夫なのかしら。でも大丈夫よ。私とふくでキッチリ星は稼ぐもの。あなたは好きなだけ砂鉄を蒔いてきなさいな」
わたしももっと良い仲間に恵まれたかったなぁ。と、やたらと演技臭くわたしを非難してくる海鵺を、じとっと見る。つーか君そんなキャラだったか。
まぁいい。
それより、決勝戦だ。
ついに、というか、やっと、というか。
泣いても笑っても、これで最後。全国の切符を賭けた戦い。
絶対に負けられない戦いの、最後。
その、決戦の場へ、いざ、出陣。
「さて――…………………………………………………………………………は?」
対局相手を見て、愕然とした。
「あれ。そっか。あなたですか。よろしくお願いします」
少し驚いた様子で、ヒトカゲが、わたしにむけて頭を下げた。




