15話 ハチミツ ~Daddy,Daddy~
対局は、途中やや怪しい部分はあったものの、最終的には大差で勝利を収めた。
隣の海鵺も一分ほど前に勝利を収めているので、これで二回戦進出が決定。予定通りとはいえ、ひとまず安心した。大会における初戦とは、一番簡単なようで一番難しかったりする。
あとは消化試合と化した、ふくの対局だけだ。
どれどれ、と、ふくの盤面の覗き込む。
「ん~~」
思わず声が漏れる。
相手の駒が見えないから確証はないが、たぶん劣勢だ。駒損が激しい。陣形も薄く、玉が見つかれば即詰みもあるだろう。
だが、ふくはにこやかに指す。
わたしは、そんな彼女の姿に驚嘆した。
練習でもいつもニコニコと指していたが、本番、しかも初めての大会でもそれができるとは、恐るべき胆力だ。
いや、胆力というより、純粋についたて将棋を楽しむ力、心か。
そして本人には言っていないが、これこそが、彼女の最大の強みともいえる。
なぜなら、ついたて将棋とはメンタルのゲームだからである。
ついたて将棋は相手の盤面こそ見えないが、表情はお互い見える。
だから、明らかに劣勢であるはずのふくがニコニコとしている光景は、相手にとってはさぞ不気味に映るだろう。
何か、決定的な見落としを、読み違えをしているのではという疑惑に駆られる。
一度相手を大きく見てしまうと、加速度的に大きさが膨れ上がる。
そうなれば、指し手は急速に弱くなる。
メンタルは、局面に対し、大きな影響力を持つ。
相手の目が揺れる。泳ぐ。力なく指す。
「ここだ」
小さくつぶやく。
きっと、これが好機だ。ここを逃すと、おそらく勝ち目はない。
ふくも、そう感じ取ったのだろう。一瞬出かけた手を引っ込める。
「すう~~~~~~~~~~~~~~~~~はあ~~~~~~~~~~~~~~~~」
大きく深呼吸。手の甲をつねり、盤面に覆いかぶさるように前かがみになる。
そうだ。まだ持ち時間はある。考えろ。対局には、時間を使うべきタイミングというのがある。ほとんど感覚的なものであり、確証はないのだが、たぶん、それが今このタイミングだ。
考えるべき時に考えられる人は、強くなる。
じっと、目玉が飛び出そうなほどに盤面を力強く見つめる。頭の中でひたすら駒を動かしているのだろう。現局面を想像し、膨大なパターンから最善手を探る。どれだけ考えても絶対に答えの出ない問題を、考え続ける。
それが、わたしたち81マスと関わる者の苦行であり、快楽だ。
何分経ったか。
スッと、音もなく指す。
『王手です』
審判の宣言。
ラッキーなのか、ある程度勝算があったのか。ふくの表情からは読み取れない。
相手も突然の王手宣言とふくのニコニコ笑顔に、慌てふためき、目が泳ぐ。呼吸が乱れる。
『反則です』
相手の指し手を審判が戻す。
二度の反則を経て、ようやく正しい手を指す。
が、ふくは、先の長考とは裏腹に、ノータイムで指した。
『王手です』
恐るべきことに、そこから五連続で、審判は『王手です』と発声した。そして、二人の間を隔てる壁を取り払った。
「負けました」
「ありがとうございました」
ふくは、一手の緩みもなく、相手の王様を殺しきった。
「………………………………マジか」
なんだこの終盤の鋭さは。
まるで、相手玉が見えているかのような瞬殺劇だった。
ふくは、こんなにも強くなっていたのか。一週間前より、昨日より。
「……まったく」
果たして、わたしは、いつまで師匠面できるだろうか。
嫉妬の感情がないと言えば嘘になるが、不思議と頬が緩んだ。




